怒りについて

怒りがどれほどの悪いものなのか、くどいくらいに何度もくりかえし、手を変え品を変え、説明していきます。
ある程度の怒りは、ある種の勇敢さについてくるものではないか。怒りの全くない精神は退屈で、愚鈍に陥るのではないか。という主張にたいしては、少しの怒り、丁度いい程度の怒りというのはありえない、衝動に突き動かされ、我を忘れて復讐しようとするのが怒りであり、自分でコントロールできるような都合のいい怒りといいうものはない。そもそも、怒りが良いものであるならば、たくさんあればあるほど良いということにならなければおかしい。と言います。


怒りが困ったものであるのは、他の感情は個人的なものであるのにたいし、怒りだけは集団を巻き込んで集団を暴走させる力を持つことだと言います。仮想敵国を作って国民の怒りをそこに向けさせて、国内の団結をなしとげようとするのは、お決まりのパターンです。


では、こんなに有害な怒りから逃れる、怒りを取り除くためにはどうすればいいのか?
まず、「遅延」です。怒りの最初の一撃をやりすごすことが大事だといいます。最初の一撃に反応して軽々しく行動するのではなく、まず、一歩引いて、判断するための時間をもつことで、怒りの大部分は治まるといいます。怒りにまかせて、舞い上がってしますと、自分の言葉にさらに怒りを駆り立てられて、収拾付かなくなることがあります。


怒りに押し流されそうになったら、死を思えとも言います。みんなもうすぐ死んでしまう。短い人生を怒りに乱されて過ごすことに何の意味があるのか。


若い頃は、怒りで心が乱されて収拾がつかなくなることがあったけれど、年をとってくると、怒る回数はそんなに変わらないけれど、怒りの持続時間がみじかくなったような気がします。一瞬、むかっとするけれど、すぐにどうでもよくなって忘れられるのはいいもんです。

ついでにこちらも、どうぞ。怒らないこと http://d.hatena.ne.jp/benton/20090904/p1

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

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