白山茶屋 午後4時30分

仕事を少し早く切り上げて、金沢駅前の都ホテルの地下にある居酒屋、白山茶屋に行った。早い時間なので空いていると思いきや、カウンターは満席。サラリーマンの2人連れ、3人連れが一組づつ。その他は、ひとりのお客さん。仕事を退職して、悠々自適の生活をしてそうな方ばかり。私もその中に割り込むようにして加わる。


生ビールを飲みながら、厚揚げとぬたをつまむ。ジョッキが空きかけた頃、左隣りの方が、「ここはよく来るんですか。」と話しかけてきた。「ええ、たまに。よく来られるんですか?」と返す。お話を聞くと、この方以前はよく、ここに来ていたけれど、腰を悪くして1年数ヶ月間入院、つい最近退院したばかりとのこと。当然、入院中はお酒を呑めず、今日は久しぶりに外に呑みに出かけたそうだ。時々腰を伸ばすようにして、座っていても辛そうだ。


しばらく、入院中のことやリハビリが大変だった話を聞いているうちに、仕事の話になった。腰を悪くするまでは、新潟県の越後湯沢で板前さんをしてたそうだ。その前も、全国各地をいったりきたり。一番良かったのは何処ですかと聞くと、札幌の薄野がにぎやかでよかった。板前は親方からお呼びがかかると何処へでも行くもんだ。板前になる前は、地元の人ならみんな知ってる去る大手メーカーに勤めていて、40歳の時に、料理人になりたくて退職、一度は自分の店を持ったこともあったけれど、上手くいかなくて借金を抱えて店をたたんだ。借金を返すために、親方に頼み込んで仕事をさせてもらってきた。なんとか、借金は返して、今は、お呼びがかかればたまに手伝いに行く程度、家でテレビ見てのんびりしてる。子供は息子2人に娘が3人。息子は1人は板前、もう1人は公務員になった。娘さんたちはみんな結婚して、孫は全部で8人いる。だから、今は何の心配もない。板前としては成功できなかったけれど、自分の好きなことやらしてもらったんで、まぁ、良かったと思っている。


私の父親と同じくらいの年代かと思い、年齢を聞くと、昭和18年生まれで70歳とのこと。父とは酒呑んでも、どちらかが酔っ払って寝てしまい、あまり話しをすることもなかった。今日は、父と話をしているような気がした。