日常生活のなかの禅

3度目の再読。折に触れて読み返したくなる本です。「苦」、「縁起」、「因果」などの重要な言葉を説明し、後半で坐禅すること、在家として生きる方法を示します。


著者は「本当の自分」、「本当の自己」という言い方を否定します。自己には、それ自体として確たる根拠などない。自己以外のもの=「非己」との係わり合いのプロセス、つまり行為のまとまり、関係性のあつまりが編成されたものが、自分であると言います。

「私が机を使う」と言うと、「私」がいて、「机」があって、しかる後、「使う」という行為があるように思われる。が、それは違う。最初に与えられているのは、「使う」と表現されているところの、ある行為である。その行為の相関項として、「私」と「机」はある。その事態にあっては、「机を使う」以外の私のありようはなく、「私が使わない」机は、そのときには「机」ではない。「使う」と言われる関係の仕方こそが、ものの存在を決めるのである。そのリアリティを最終的に担保するのは、身体的行為、行為的身体なのだ。

実体としての右、左があるのではなく、二つのものの関係が右、左を決めている。実体としての確たる自分や他人があるわけでなく、お互いの係わりあい方、行為の編成の仕方が自分である。私の普段のものの見方を一変させる、一番ぞくぞくする部分です。

行く者は行かないし、来る者は来ない。

「行く者」という実体があるわけでない。行くという行為があって、その時点では行く以外の私のありようはない。


2度目に読んだ時:http://d.hatena.ne.jp/benton/20100921/p2
最初に読んだ時 :http://d.hatena.ne.jp/benton/20100516/p1

日常生活のなかの禅 (講談社選書メチエ)

日常生活のなかの禅 (講談社選書メチエ)