ちょっと怠けるヒント

一冊まるごと怠けるについてのエッセイ。怠けるを主題にして、よくこれだけ書けるなと感心する。古今の文学作品に登場する怠け者について語ったかと思うと、ゴミ屋敷の主について考察してみたりと幅広い。ひとつ前のエッセイの話題を引き継いで次のが始まる形式なので、読み進むうちにどんどん引き込まれる。


「猫になれず、虫になりたがる」は、カフカの「変身」で、虫に変身してしまう主人公は、仕事で疲れて帰ってきて家族から浮いてしまっている、日本のお父さんだという話。

仕事で疲れ果て、クタクタになって帰宅することがいかにダサく、キタナイかについて無自覚だからだ。若者ならばまだいい。若さはそのエネルギーでダサさを隠す。クタクタになった理由はいくつでも挙げられるだろう。そんなことは家族も重々承知なのだ。理由を言葉で語ったところでイライラしている者は聞かないのだ。ツカレタ表情と不機嫌は伝染する。家族もすぐに不機嫌になる。お父さんに理由があるなら、家族にも理屈がある。たとえ家族のために働いてくれようとも、住まいは静かに美しく保たなければならない。それはザムザも望んだ生活だ。そこに虫男が帰宅すれば、すべて台無し。

必要なのは双方とも虫ではなく猫に変身する術である。独りでキバラズ、ガンバラズ、孤独を嘆かず、ときに人に甘え、人に媚び、ときに自分勝手に遊び、失敗を恐れず、明るく振る舞う。自分を愛するのはエゴイストではない。エゴイストはいつも不機嫌でイライラしているものだ。エゴイストは不機嫌のプロだ。イライラの王様だと自分を認め、誰にも不機嫌を伝染そうとする。そんな王様の理屈はなおさら家族は聞く耳をもたない。


「もの足りなさの、もの足りさ」では、いい家の話がでてくる。

棟梁をしていた土地の古老に「いい家というのは、どんな家か」と訊いてみた。すると古老は「いいところもないかわりに、悪いとこもなし、さて帰る段になると、なんとなく、心がひかれて、去りがたいような気がして、もう一度あの家に行ってみたいような」と答えた。

住宅というものは、どこまでも、自分自身の家で、ひとに見せる家ではないということ、これが住まいというものの、唯一の信条だと思います。

四六時中家に向き合うのは自分自身なのだから、人目を気にして奇を衒うことなく、もの足りないくらいがいいということ。確かにそうだ。


壁は乗り越えたり、ぶち壊したりするだけのものでないよ。壁も前でちょっと怠けて、ウジウジ、グズグズ、ためらったり、静かに考えたり、相手のことを思ったり、ちょって怠けるのも必要だよ、というお話。

ちょっと怠けるヒント

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