菅江真澄遊覧記1

菅江真澄は、いまの愛知県豊橋市あたり出身で、1784年(天明4年)、32歳の時に、東北へ向けて旅立って以来、1829年(文政12年)、76歳で亡くなるまで一度も故郷に戻ることなく、東北に留まり、東北各地を旅し続けた人だ。1巻には、信濃を旅した記録。秋田に向けて出発し、青森、岩手を旅した記録がおさめられている。


約200年前の日本の様子、東北の様子を知りたくて読んでみた。天明の大飢饉の頃に青森を旅した記録の中に、歩いていたら、道端に雪のように白く、飢饉で行き倒れた人達の骨が積みあがっている場所があったり、食べるものがなくなり飼っていた馬や行き倒れた人まで食べたことを村人から聞いている。その後、山間の農家に泊めてもらった時に、その家のおじいさんが、深夜に鎌や包丁を念入りに研いでいるのを見て、自分が食われるのではないかと一睡もできなかったとも。青森から下北半島へも行くつもりだったが、食料を求めて家財道具をまとめて逃げてくる人達とすれ違い、この先旅を続けるのは危険と判断して引き返している。


飢饉に翻弄される自然の悲惨な面がある一方、人々が自然とともに暮らし、楽しんでいる記載もある。季節ごとの農作業、季節の行事の様子、やれ中秋の名月だ、十六夜だ、信濃姥捨山からの月は有名だなどと、何かにつけて月を愛でて、今日の月は良いとか面白いという記載が何度も登場する。テレビもネットもなくて自然と直接向き合うしかない生活にうらやましいと感じる面もある。そして、自分の親たちが子供だった頃、高度成長期の前までの農村の暮らしと、菅江真澄の頃の生活はそんなに違っていないように思った。


菅江真澄遊覧記 (1) (東洋文庫 (54))

菅江真澄遊覧記 (1) (東洋文庫 (54))