新竹

大学を卒業し働き始めた頃1991年から1995年にかけて、東京都の小平市に住んでいた。会社の寮に住んで夜な夜な西武多摩湖線の一橋学園あたりで飲みあるいていた。ある日「新竹」という名前の中華料理屋さんが開店した。友達と2人で店の前を通り張り出してあったメニューを見ると、かなり本格的なメニューがそろっている。早速店に入って食べると旨い。


それからは週3,4日新竹で晩御飯を食べた。ピータン豆腐、豚の耳、落花生の塩茹でビールを飲みはじめて、エビチリ、マーボナス、干し豆腐の炒め物で盛り上がって、焼きビーフンか炒飯でしめる。ご主人と顔なじみになるとメニューにない料理も作ってもらうこともあった。一人5,000円払って宴会をお願いしたら、それまで食べたことないような料理を出してくれた。もうほとんど忘れてしまったけれど、肉を竹の皮で包んだ料理は覚えている。おまけにご主人が胡弓の演奏を聞かせてくれた。ご主人は実は日本人で残留孤児としてずっと北京にいて、90年に日本に帰国した。文化大革命のころ仕事を追われて料理人になった。というようなことも話してもらった。そんな生活を2年ばかり続けたら中華料理に詳しくなり、すっかり太ってしまった。


私が結婚したとき、ご主人がお祝いにくれたのがこの写真の鶴の置物だ。思いがけない贈り物がやけにうれしかった。


結婚してから妻とも何回かご飯を食べに行ったけれど、独身の時のように頻繁にお店に顔を出せなくなった。しばらくしたら2軒目のお店を出されていたようですが、どういうわけかお店の経営者がかわったようで、ご主人と顔を合わすこともなくなった。


夜中の12時にやっと仕事が終わって、早く寝ればいいものを3時まで新竹でビール飲んで一緒に騒いでいた同期の人たち、みんなどうしているんだろう。