1995年
当時は、日本の電機メーカーのアメリカ現地法人で財務をやってました。その頃のアメリカで起こっていた事が、今日本で起こっていると思うことがいくつかあります。
◆ホワイトカラーの年収減。雇用。
財務部門で一緒に働いていた現地採用の人たちの年収が25,000ドル程度でした。マネージャークラスで50,000ドル。25,000ドルでどうやって暮らしていけるんだと思ってました。食料は安いけど家賃は1000ドル以上はしてました。若い人は仕事終わるとMBAを取るために大学に通ってました。同じ仕事している限りはずっと年収は上がらないので、いいポストを探してどんどん転職していきます。
「80年代までは、旦那の稼ぎだけで家族が食っていけたんだけど、最近は私も働かないととてもじゃないけど生活できない。」と給与計算を担当していたおばさんが言ってました。
給料安いのは事務屋さんだけで、エンジニアは高い給料もらってました。100,000ドル以上はザラにいました。
仕事で成果が出せない人はどんどんクビになります。3ヶ月ほどの準備期間中にその社員が能力が無いことを裏付ける資料をそろえて、突然、総務部に呼び出されてクビをいいわたされます。木曜日の午後に言い渡すことが多かったので、thirsday afternoon meeting と言ってました。クビを言い渡されるとその日のうちに私物をダンボールに詰めてさようならです。クビの切り方があまりにドライなのでトラブルもよくありました。うちの会社も人種偏見からクビにされたと裁判に訴えられました。近所の会社では逆恨みから拳銃をもって殴りこまれたという話もよく聞きました。
日本は、正社員をばっさり首にすることはまだあまりやってないようですが、非正規社員に置き換えておなじようなことをやってるのかなと思います。
◆航空会社
既に格安航空会社がたくさんできてました。サウスウエストやアラスカ航空など。コスト削減のために客室乗務員が搭乗口でチケットももぎりをやったり、機内の飲み物が有料だったり。私のボスは小学生の娘に、「ちゃんと勉強しないと、将来スチュワーデスくらいにしかなれないわよ。」と言ってました。
◆病院
会社をクビになると一番つらいのが医療保険を全部自分で払わなければならないこと。その保険料が馬鹿高い。どんな保険に入っているかで受けられる治療が変わります。アパートの近所に大きな病院があったので、病気になっても安心と思っていたけれど、あそこは、そんなにいい保険に入っていない人ばかりが行くとことだから行かないほうがいいと言われ、意味がわからずとまどいました。一方、いい病院に行くと、そればそれは優雅でした。スタンフォード大学の病院では、社長室のようなオフィスでお医者さんの問診をうけて、検査で一日入院した時は、入れ替わり立ち代り看護士さんがきて世話をしてくれて、そのシステマチックな仕組みに驚きました。日本は公的な医療保険制度があるのでだいぶ事情は異なりますが、今後どうなっていくのか心配です。
◆何年か前から、アメリカでは新聞社の経営が大変なことになっているようです。シリコンバレーではみんな読んでたサンノゼマーキュリーは風前のともし火。日本で新聞を月々4000円払って購読する人がどこまで続くか。