東京の昔

吉田健一の長編小説。登場人物は東京本郷に住む「わたし」、「わたし」の下宿先のおしま婆さん、自転車屋の勘さん、大学生の古木君、実業家の川本さん。ひょんなことから始まるこの4人の1年にわたる交流が、1930年代、昭和10年代までの東京の落ち着いた雰囲気とともに、淡々と綴られる。


この小説が書かれたのは昭和40年代。著者は懐かしむように、戦前の昭和初期の東京は、時間がゆっくり流れる街だったことを描写する。冒頭の泥道と木の電信柱に立てかけられた自転車の風景が一番のお気に入り。

砂利が敷かれたばかりとただの泥道の中間位が砂利道の見どころである。その辺ならば道は一応平たくなっていて歩き易くてその上を懐手をして行けば天気の日にはまだ土から顔を出している砂利の灰色が土の茶色とこっちの眼には馴染みの配合をなし、それが雨の日か雨上がりならば砂利も泥も妙な具合に光って雨の道の観念を完成する。もしその辺の当時は勿論木の電信柱に自転車が立て掛けてあったりすればそれで文句なしに雨の日の東京というものが出来上って、筆太に書いた下駄屋の立て看板とともにここは東京だという思いに人を誘わずにいなかった。


昭和初期の空白のような静かな雰囲気について

それまでの時代が野蛮だったのでなくても川本さんが言った明治以来のごたごたに収拾の動きが生じて文明の落ちつきを取り戻し始めたのが昭和の初期だったことは認めてもいい。

勘さんが戦争は起こるだろうかと言ったのは戦争が起こっても自転車が売れなくなっても今はこれで充分だということだった。又いつの時代にもこれ以上の覚悟、或は同じことながら生きていることの楽しみ方というものは考えられない。それだからその頃は今よりも時間が遅くたって行ったような気がする。今の時間が空白であることからそれを埋めるのにやたらに他所に考えを走らせる必要がなかった為である。それで路次を銭湯帰りの人間が歩いているのに出会っても自分の家に風呂があればそれだけ時間が省けると思う代わりに銭湯の壁に書いてある富士山の絵が頭に浮かんだ。


吉田健一は、何度も金沢を訪れ「金沢」という不思議な小説も書いている。戦災をまぬがれた金沢には、昭和40年代ごろまでは、戦前の東京のように時間が遅くたって行くような雰囲気があったのかもしれない。

東京の昔 (ちくま学芸文庫)

東京の昔 (ちくま学芸文庫)


それにしても、吉田健一をしらふで読むのはつらい。昼間から酒飲みながら、だらだらと読みたくなります。他にはこんなのも、


 酒肴酒:http://d.hatena.ne.jp/benton/20070716/p1
 金沢・酒宴:http://d.hatena.ne.jp/benton/20070624/p1
 酒に呑まれた頭:http://d.hatena.ne.jp/benton/20070603/p4