現代坐禅講義
道元の只管打坐とはどんなものなのか。その考え方と具体的な実践方法を丁寧に説明した本です。
坐禅するとは、居眠りせぬよう、考えごとにならぬように、そして生き生きと覚めて骨組みと筋肉で正しい坐相をねらい、その姿勢に全てをまかせきってゆくことである。
これは内山興正老師の坐禅の定義。著者は世間ではびこる坐禅に対する先入観を一つずつ打ち消しながらこの定義が意味するところを解説していく。
まず坐禅はいわゆる「悟り」のような何かを得るために一生懸命努力するものでない。そもそも仏教は、自分にとって何か好ましいものを獲得しようとする意識の働きがこの世の苦の根源だと言っているのだから、好ましいもの、嫌な物を区別する意識の動きから離れるべき。具体的にどうするかというと、骨盤をまっすぐ立ててその上に背骨、頭蓋骨をまっすぐに乗せ、骨格のバランスだけで座る。リラックスして必要最小限の筋肉の力で座る。何かを得ようと意識すると前のめりになるし、嫌なことを避けようとすると後ろに引く。ただただ、まっすぐ坐る。それが骨組みと筋肉で正しい坐相をねらうということです。
次に、まっすぐ坐るということは静止してしまうということではない。少しでも気を抜くと姿勢は崩れてしまうので、常にまっすぐ坐る状態を維持するためには骨盤の設置する位置や角度、背骨の状態に気を配らないといけない。ベストの坐相を狙って微妙に身体を動かし続けているのが坐禅だといいます。だからのんびり居眠りしている暇はないのだそうです。
本書には老師たちの坐禅の姿を撮った写真と、赤ちゃんが家の中で足を胡座のように前になげだして座ってている写真があります。どちらも、身体に余分な力が入っていなくて美しい姿です。本当にじっと座っているだけなのに引きつけられます。