開会式
晩御飯の時にテレビをつけるとオリンピックの入場行進をやってた。見るでもなく眺めていると、オリンピック旗を掲げた集団が入ってくる。ロシアの選手たちだ。国ぐるみでドーピングをしたということで、ロシアは今回国としては参加できないけれど、ドーピングに関係がない選手は個人として参加できる。それで国旗ではなくオリンピック旗のもと入場行進しているのだ。
ロシアだけと言わず、標準記録なり予選大会を勝ち抜いた選手全員が国と関係なく個人として参加することにすればいいんでないのと思った。
そうすれば、オリンピックに出場することを目的に、国籍を変えるという妙な動きも無くなるだろうし、オリンピックをだしに使った政治や経済を巡るあれこれも無くなるだろう。
歳をとってオリンピックに興味がなくなったのか、お祭り騒ぎにはどうもついていけない。
晴れ間に散歩
ようやく晴れて寒さが緩んだので、ぶらぶらと散歩に出かけた。
歩道はまだまだ除雪が進んでいない。踏み固めた雪の凸凹の一本道をバランスをとりながら歩く。駐車場から雪に埋もれた車を掘り出す人、家の前の雪かきをする人、踏み固められた路地の雪を重機を使ってひっぱがす人など、晴れ間をつかまえて除雪を進めようという人がたくさん作業している。今日はコートのフードを被らなくても、手袋なしでも歩けるくらい暖かくて気持ちいい。
まずは兼六園。木の枝に積もった雪が溶けた雫があちこちで落ちてくる。時々どさっと雪が落ちてくるので頭上を確認しながら歩く。
ことじ灯籠
唐崎松
石川門
宝泉寺から並木町を望む
四高記念館
大橋から見る浅野川
東山 くわな湯裏の通り 雪に埋もれている
東山、茶屋街から北に向かう路地
東山 茶屋街
卵焼き紛争
妻は朝食にはたいてい卵焼きを作る。卵3個を卵焼きにして息子の弁当用に2切れを使い、朝食には卵焼きを4切れ出してくれる。私と息子と娘が食卓について食べ始めると、まずは一人一切れ卵焼きをとる。妻はたいてい洗い物か、弁当のおかずを作っていることが多いので、3人がご飯を食べ終わる頃には、お皿の上に卵焼きが1つだけ残ることになる。ちゃっかりした娘は、タイミングを見計らって、「ママ、卵焼き食べる?」と聞いて、妻が「いらない、食べていいよ。」と言うか言わないかのうちに、「ありがとう。」と言ってパクッと食べてしまう。私と息子はもう一切れ食べたかったとなと納得いかない気持ちを抱えることになる。
毎日娘だけが卵焼きを2切れ食べるので、妻に「もし、あなたが卵焼きを食べないのなら、最初から3等分にして出してくれないでしょうか?」とお願いしてみた。しかし、妻は「なに、そんなみみっちいこと言ってるの。」とにべもない。今朝も、同じように4切れが食卓に出てきて、娘が2切れ目を食べようとした。今日はたまたま妻が一緒に食卓についていたので、「大したことではないのだけれど、日々薄紙を重ねるようにして、食べ物の恨みが積み重なるのはまずい、いつ大規模な紛争に繋がるかわからないので、世界平和のために今日はあなたがこの一切れを食べるように。」と言って妻に食べさせた。
今月末に息子は2回目の大学受験を迎える。結果はどうであれ4月からは家を出て行くことになる。そうすると卵焼きの数を巡ってこんな会話をすることもなくなるだろう。何気ない日々のやりとりが急にいとおしく感じた。
休戦
プリーモ・レーヴィはイタリア在住のユダヤ人。ナチスに逮捕されアウシュヴィッツに送られる。アウシュヴィッツでの約1年間の暮らしを扱ったのが「これが人間か」。
「休戦」はソ連軍によってアウシュビッツが解放されてからレーヴィがイタリアに帰郷するまでの紆余曲折を綴る。すぐにイタリアに戻れたわけでなくポーランドやウクライナ、ベラルーシの収容所を転々とさせられ約9ヶ月後にようやくイタリアに到着するのだ。
その間に、強制収用所で破壊された人間性を少しづつ取り戻して行く。 著者は、ドイツ人の時計のように精密な管理体制に比べて、ソ連軍の大陸的なというか、おおらかな、いい加減なやり方に好感を持つ。ベラルーシの平原のど真ん中の収容所で、ソ連軍の帰還兵たちがドイツから膨大な数の馬を引き連れて帰ってくるところに出会う。ソ連軍は誰も正確な馬の数など把握していないので、収容所の住人たちは、こっそりと馬を森に引き込んで殺して肉を分け合って食べてしまう。看守たちも半ば見て見ぬ振り。レーヴィは馬肉のおかげで精神も肉体も強制収用所のダメージから回復できたという。
「これが人間か」と同様に、形容詞や感情を表す言葉を省き、事実を淡々と紡いて行く表現は、一見明るい。しかし底知れぬ凄みを感じる。
心と体の不調を解消するアレクサンダー・テクニーク入門
知らず知らずのうちに筋肉に力が入ってしまう。例えば緊張て肩がガチガチになってしまう。こうなると姿勢が悪くなり疲れやすくなる。声も出づらくなる。こんな状況から筋肉の緊張を解いて、できるだけ楽に日常生活を過ごせるようにするのが、アレクサンダー・テクニークだ。
骨盤を立てて少しだけ前かがみになり、脛と腿の前側の筋肉が張るように立つ。こうすると後ろ側に引っ張る筋肉と前に引っ張る筋肉の強さが釣り合うって骨格のバランスが取れるそうだ。最小限の筋肉の緊張で立つことができる。体の前面に突っ張り棒があってそれで全身を支えていると意識するといいそうだ。
また、腕は胸骨(鎖骨の付け根)からぶら下がっていることを意識して、極力を腕を肩の筋肉で持ち上げないように心がける。荷物を持った腕を肩の筋肉で引き上げるような動きをすると肩が凝りやすくなる。腕は胸骨からぶら下がっている。その先に荷物がひっかかていると意識するのだ。
首回りも緊張しやすいところ、時々左右にゆっくりと首を回転させて、緊張をほぐしてやることが大事。
体に余計な力が入ると呼吸が浅くなる。時々ゆっくりと息を吐いて胸回りの筋肉をほぐすのだ。腹筋は柔らかく、首が常にフラフラ動くようにしておく。
そして、足の裏全面に体重を感じて、身体を地面にそっと置く、身体を地面に預けると意識する。動作はゆっくり。急激に動いて筋肉を無駄に緊張させない。
走るとき、歩くとき、座っているとき、立っているとき体の力を抜いて楽に過ごすことを意識すると、少しずつ緊張がほぐれていくそうだ。
南方熊楠 100年早かった智の人
南方熊楠生誕150周年記念企画展「南方熊楠-100年早かった智の人-」(2017年12月19日(木) ~2018年3月4日(日))- 国立科学博物館
南方熊楠の存在は中学生の時に知り、アメリカ、イギリスを股にかけて研究を進め、ネイチャー誌にも論文が多数掲載されていることや、昭和天皇の皇太子時代に粘菌について直接講義をしたことがあることに惹かれて、わからないながらも東洋文庫で「燕石考」や「十二支考」を読んだことがある。
熊楠は1867年に和歌山県で生まれ。隠花植物の研究者であり自然史の研究者であり、「十二支考」など人文系での著作もある。今回の展示では、熊楠が収集した地衣類などの標本や菌類の図譜が展示されている。また、「十二支考 虎」を書くための論文の設計図(熊楠は腹稿と言っていた)も展示されていた。
熊楠は隠花植物の研究にあたり、膨大な標本を収集したように、人文系の分野でも文献から抜書きを作成し、論文執筆にあたっては、それを元に項目同士の相関図のようなものを作成していたのだ。ロンドン時代には大英博物館の図書室にこもり、膨大な量の文献の抜書きを行なっていたそうで、紙に細かい字でびっしり書き込まれている抜書きのサンプルも展示されていた。標本にしろ抜書きにしろ、徹底して集めまくる。狂気を感じるくらいの熱意だ。
ネットからコピーアンドペーストで情報収集するのと、手書きで紙に抜書きしてスケッチを描くのでは、頭に入ってくる強度が違うだろう。すると、出来上がってくる論文にも何らかの影響があるのだろうか。
禅と骨
ヘンリ・ミトワは、1918年にドイツ系アメリカ人と新橋の芸者の間に生まれる。日中戦争が始まると敵性外国人として特高につきまとわれるなど日本で暮らしにくくなる。アメリカの戻った父を追って1940年にロサンゼルスに渡る。しかし1941年に太平洋戦争が始まるとアメリカでも日系人として差別され、強制収容所に収監される。戦後アメリカで日本人と結婚し3人の子供を育てるが、日本にのこしてきた母親の死を契機に日本に戻りたいという思いがつのり、1961年に単身日本に帰国し、妻と娘を日本に呼び寄せる。本人は禅寺に出入りするとともに茶道や陶芸を学ぶ。そして天龍寺の僧侶となる。
この映画はこんなヘンリ・ミトワの一代記。禅の話はあまり関係ない。日本とアメリカの間に翻弄されるミトワ。家族は日本に帰国して好き勝手やっているミトワに振り回される。うんざりしながらも断ち切れない家族の関係。次女の静さんがミトワは最低の父親とののしりながらも、ミトワを看病するときの目がやさしい。
家族間のドロドロの愛憎渦巻く様子は、カラマーゾフの兄弟を読後感と同じような疲労感。へとへとになる。いろいろなことがあって一言では語りきれないけれど、見るべき映画。
カラマーゾフの兄弟
正月休みに家に篭ってこたつで寝転んでじっくり読んだ。
父親フョードル・カラマーゾフと3人の息子たち、ドミートリイ、イワン、アレクセイ のお話。「いろいろあった。」としか要約しようがないくらい波乱万丈で、サイドストーリーも濃厚。最初はしつこいくらいの心理描写にげんなりしていたけれど、中盤以降は小説の世界に引き込まれた。
フョードルとイワンがグルーシェンカという女性を奪い合うところでは、いつグルーシェンカが来てくれるかと家で待つフョードル。それを妨害しようとフョードルの家の近くに夜も昼もなく張り込むイワン。この二人の気が狂わんばかりに恋い焦がれる様子、何もかも投げ打ってでもなんとかしたいと思うところが真に迫って描かれている。読んでいてつらくなるほどだ。
これが人間か 改定完全版 アウシュビッツは終わらない
著者はユダヤ人の化学者でイタリアに住んでいた。1944年10月にナチスに捕まりアウシュビッツに送られる。この本は1945年1月にソ連軍に解放されるまでの強制収用所での日常生活を綴る。
科学者だからなのか、著者は強制収用所の悲惨さや残酷さを強い言葉で嘆いたり非難したりしない。日々の生活を淡々を描写する。返ってそのために、非人間的な営みが何事もなくあたりまえのように続いていく様子が強調され空恐ろしい。
トイレもない家畜を運ぶ貨車で何日もかけて運ばれる。収容所に到着すると、男女関係なく頭髪を剃られ、衣服、靴も含めて個人の持ち物は全て取り上げられる。代わりに歩きにくい木靴と粗末なシャツとズボンを与えられる。腕に個人を特定する番号を入墨され、その番号で呼ばれる。2人でひとつのベッドを共有する。食事はパンとキャベツのスープが少し。配分される量だけでは衰弱していくばかり。スプーンは与えられず、食事のスープは犬のように器に口をつけて飲むこのになる。それが嫌ならなんとかしてスプーンを入手しなければいけない。日の出から日没まで化学プラントの工事現場で働かされる。病気や怪我で働けなくなると選別されガス室送り。
ドイツの普通の人たちが、このようなシステムを構築し淡々と運用していたことを知ると、状況次第で人間誰でもこんなことできるのかとそら恐ろしくなる。
本書の冒頭にある言葉。
暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。
これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は剃られ、名はなく
思い出す力も失せ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。
考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。
さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。
【改訂完全版】アウシュヴィッツは終わらない これが人間か (朝日選書)
- 作者: プリーモ・レーヴィ,竹山博英
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/10/10
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失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織
最初から完璧を目指して準備に時間をかけるよりも、そこそこのところで実行して、早めに失敗して改善した方が進歩は早いというお話。もちろん、失敗の原因を詳細に分析、フィードバックして改善に繋げる仕組みを持つことが前提で、そのような失敗から学習する仕組みがあるかないかでその後の成果が全く違ってくる。
失敗から学習する組織は、航空機業界、自転車のロードレースのチームスカイ、メルセデスのF1チームが挙げられている。一方、学習できない組織は、医療、心理療法の業界。
航空機事故が発生すると、ボイスレコーダやフライトレコーダの記録を詳細に分析し、パイロットの人為的なミスだとしてもそのミスを犯すに至った周囲の状況、本人の健康状態、機体の状態にまで遡って原因を調べる。その事故で判明した事故の原因は、航空業界全体に共有され、機体の改良やオペレーションの改善に繋げる。その結果、航空機事故は年々減少し、なんと2017年のジェット旅客機の墜落事故はゼロになったそうだ。
それと対照的なのは、医療の世界。医療事故が発生すると、まずは医師や看護師さんがミスを犯したのではと、個人の責任が厳しく問われ、仕組み全体としての原因究明がおざなりになる。その結果、まず事故を隠そうとする。原因が組織や業界全体で共有されることがないので、同じミスがなんども繰り返される。本書では医療ミスによる死亡者はアメリカだけで年間何万人にもなるのではないかと推測している。
特定の会社や個人をやり玉にあげて、必要以上にみんなで袋叩きにするのは、ミスを隠す方が得だといく気持ちにさせるので、社会全体としてもあまりいいことなさそうです。
マシュー・サイドが書いたものでは、この本も面白かった。