波止場日記

 エリック・ホッファーは1902年にニューヨークでドイツ移民の子として生まれる。7歳の時に母と死別し同じ年に視力をほとんど失ってしまう。15歳の時に再び突然視力を回復し、取り憑かれたように読書にのめり込む。一日10時間とか12時間も本を読んでいたそうだ。18歳の時には父親も亡くして一人っきりになってしまう。その後は、カリフォルニアに移住し、渡りの農場労働者や港湾労働者として働きながら読書と思索の日々を過ごす。

 

この「波止場日記」は1958年6月から1959年5月までの日記をまとめたもの。当時はサンフランシスコに住み、港湾労働者(沖中士)として働きながら著作活動をしていた。

 

印象に残った言葉を抜き書き。

世間は私に対して何ら尽くす義務はない、という確信からかすかな喜びを得ている。私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが私にとっては生活のすべてである。

 

人々にまじって生活しながら、しかも孤独でいる。これが、創造にとって最適な状況である。このような状況は都会にはあるけれども村とか小さな町にはない。創造的状況の他の構成要素は、きまりきったこと、刺激のなさ、さらに少々の退屈と嫌悪などである。

 

ほとんどすべてのユートピアは、実現の機会をうると多かれ少なかれ統制された社会秩序になってしまうのはどうしてなのか。理想的な社会は、家族、教会、学校、軍隊のどれを手本にしたものであろうと、結局、牢獄をモデルにしたものになってしまう。

 

自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。

 

自らを「ミスフィット(不適応者)」と位置づけ、安定した職に就くことを拒否して日雇い労働者として暮らしながら著作活動を続けたという。他の本も読んでみようと思った。

 

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ

素粒子の位置と速度との両方を正確に観測することはできない。電子のスピンは計測されるまでは不定である。スピンを計測することで始めて上向き、もしくは下向きのスピンが現れる。光は光子という粒子の性質と波の性質とを併せ持つ。どちらで立ち現れるかは観測する人が何をかんそくしようとするかしだいだ。二重スリットの干渉縞を見ようとすれば波として現れる。どちらのスリットを通るか観測しようとすれば粒子として現れる。

 

というような、常人には理解し難い量子力学の奇妙なところを、理解できるようにと一冊を費やして解説した本です。結局、古典物理の世界のように生活実感として理解はできないのだけれど、どう付き合えばいいかが少しわかったような気がする。

 

量子力学コペンハーゲン解釈とは、観測されてわかったことが全てである。その裏に因果関係やらモデルを勝手に想像して組み立て、観測される前はどうだったとか、この先どうなるかと推測する意味はない。なんらかの実在があって、それを観測することで何かが明らかになるのではなく、観測されるまえは不定だ、確率としてしか記述できない。という、ある意味禁欲的な態度を取り続けるということのようだ。

 

うまく利用できて、現実にも合っているのだから、生活実感として解釈がしっくりこないからといって気にする必要ないというのだが、やっぱりよくわかりません。

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ 新装版

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ 新装版

 

 

 

ふがいない9年間

高校の3年間、予備校1年、大学は1年留年して5年間で合計9年間。ふがいない9年間だった。

 

高校の時は全く授業についていけず、そのうちにやる気もなくなって、勉強もせず、夜に犀川の河川敷を寺町から片町まで徘徊して帰ってくる毎日。浪人中は寮を9時に追い出されるけれど、予備校には行かずに名古屋駅周辺や栄の地下の迷宮を夕方まで往ったり来たり。マンガ喫茶や映画館で夕方まで過ごす。時には名鉄電車の終点まで行って帰ってくる。大学は2年間はなんとか通ったが、そのまま順調に卒業して会社勤めするのかと思うと、あほらしくもあり、不安でもあり大学に行くの止めた。何かやればまだしも全く何もしない。朝起きて喫茶店でマンガ読みながら朝飯食べて、中之島の図書館にいって、浮浪者のおじさんと並んで夕方まで本を読んで時間をつぶす。その時に読んだ、宮本常一の「日本残酷物語」は今も覚えている。でも他は何を読んだのか忘れた。

 

半年くらいしてこれではダメだと思いバイトを始める。人と話さなくてもいい仕事、工事現場や引っ越しが多かった。あとデパートの模様替えなど夜中の仕事。工事現場は楽しかった。一日体を動かした達成感とともに飲むビールはうまい。交通量調査は短期間で現金をたくさんもらえるので続けて行った。仕事を詰め込み過ぎて、72時間連続調査となり最後は寝不足で幻覚が見えた。

 

2か月ほどバイトしてためたお金でオートバイとキャンプ道具を買って、四国と九州をまわる。世界遺産になる前の屋久島にも行った。四国の宇和島市近くの小さな港にバイクを止めて、海を見ながら休憩していたら、地元の国会議員の秘書と名乗る人が声をかけてくれてしばらく話しこんだ。何かあったら訪ねてきなさいと言って、名刺とバイクに乗せきれないくらいのたくさんのミカンをもらった。

 

旅が何かを変えたのか、帰ってきたら憑き物がとれたように、「やっぱり大学行こ。」という気になり、1年遅れの3年生から始めてなんとか卒業した。走り去るバブルの後ろ髪にしがみついてなんとか就職した。

 

キラキラと輝いてるはずの高校大学時代に、何かを成し遂げようという気もなく、あてもなく只ぶらぶらと徘徊してばかりいた。今もその癖が治らないのか、ちょっと面倒なことがあると、仕事を早退して一人で街をぶらぶらしている。今もふがいない。

丸の内

土曜の朝、出光美術館で宗磁展を見物。砧青磁もいいけれど耀州窯のオリーブグリーンもいいなとつぶやきながら、皇居に面した休憩スペースでお茶をすするなどして1時間ほど滞在。

 

美術館を出て、日比谷から東京駅まで丸の内中通りを歩く。丸の内といえばオフィス街のイメージしかなかったけれど、ファッション関係のお店やらレストランがたくさん並んでいて、並木も綺麗で誰でも座れるテーブルと椅子もある。気持ちのいい街になっていました。

 

エシレバターのお店の前は開店前から長蛇の列。東京の人はそんなにバターが好きなのか。

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旧友

東京で旧友に会って来た。新卒で就職した会社の最初に配属された職場で一緒に4年働いた仲だ。ふたりともその会社は辞めたけれど、たまに思い出したように会っている。前回は、12年前に新宿発の深夜バスに乗り込む前に、新宿の水餃子のお店で会った。

 

今回も彼がアレンジしてくれて、東京駅の近くにあるアメリカ料理のお店で待ち合わせ。11時45分くらいにお店に行くと2階の入口に続く階段に行列ができていて、その中に彼が待っていてくれた。周りは若い女性、カップル、家族連ればかり。

 

15分ほど待ってお店に通される。アメリカ料理といいつつ、ほとんどのお客さんのお目当は、パンケーキやフレンチトースト、エッグベネディクトのようだ。パンケーキではお酒飲めないので、オムレツとハンバーガーをお願いする。お酒はスパークリングワインで。

 

彼と一緒に仕事していたのは、平成3年から6年頃。バブルの余韻、昭和の香りが濃厚なころで、毎日11時過ぎまで働いて、それからみんなで晩飯食べに行って2時、3時までアホな話をして酒飲んでいた。まずはお互いの近況報告。でも、あっという間に30年前にタイムスリップ。とにかくくだらないことばかり話してあっという間に時間が過ぎる。お腹の皮がよじれるくらい笑ったのは本当に久しぶり。

 

付け合わせのフライドポテトをつまみながら、インドの白ワインと、ニュージーランドの赤ワインとボトル2本あけた。ハンバーガーはパテが肉汁たっぷりでパンの味もしっかりしていてバランスがいい。オムレツは卵白だけで作って会って真っ白、生地にほうれん草が入っていてシェーブルチーズを包んである。名物のエッグベネディクトもおいしかった。

 

場違いなおじさんが騒いで周りの人に申し訳ない。

台所太平記

 とある作家の家庭に奉公するお手伝いさんたちの生態を観察して時系列に語る、女中さん列伝。谷崎潤一郎が自分の体験も交えて書いたと思われる小説。

 

昭和11年ごろから30年ごろまで、時期によって多少の増減はあるが常に京都の家と熱海の家の両方で、それぞれ2、3人づつのお手伝いさんを雇っている。お初という鹿児島出身の女性を手始めに、主に彼女の伝手で次々の鹿児島から娘さんがやってくる。彼女たちが引き起こす騒動をユーモラスに語るお気楽な小説と思って読んでいると、同性愛のお手伝いさんが出て来たり、何かあるとすぐに嘔吐する癖がある人が出て来たりと、ドタバタを面白おかしく綴る体でありながら人間のわからなさを垣間見せる一面も。そもそも、いくらおかな持ちとはいえ、こんなにたくさん若い女性を雇い、お気に入りの人を連れて銀座に頻繁に出かけるこの家の主人や、奥さんもよくわからないところがある。

 

このわからなさ、不気味さは、女中という職業が身近でなくなり、女中を取り巻く一般的な常識が理解できなくなっているからなのか、谷崎があえてそういう風ことを感じさせるように書いているのだろうか。

台所太平記 (中公文庫)

台所太平記 (中公文庫)

 

 

状況確認

4月から大学生となり一人暮らしを始めた息子の部屋に泊めてもらう。夕方に焼肉屋さんで待ち合わせして晩御飯を食べながら学生生活のあれやこれやを聞く。何を思ったのか自転車部に入ったとの事。彼は持久系のスポーツのはやったことないので少し心配。平日は大学でローラーに乗り、週末に八王子あたりまで走りに行くそうだ。明日の朝も7時に家を出るらしい。焼肉屋を出て向かいのスーパーで朝メシ用のパンを買ってからアパートに向かう。

 

台所に昨日使った食器が放置してあったけれど、他はまあまあ綺麗にしている。順番にシャワーを浴びて11時に就寝。写真は彼が今使っている自転車。1年生の間は貸してもらえるとのこと。

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熊楠と猫

動物とも植物ともつかない不思議な生物、粘菌の研究者であり、和漢三才図会や本草綱目を中学生の時に筆写し暗記していた博物学者でもある南方熊楠。彼は大変の猫好きだったそうだ。

 

熊楠が猫について書いた文章や俳句、スケッチを集めた本です。熊楠について何らかの本を読んだことがある人なら、どこかで聞いたようなお話しが多いですが、熊楠が書いた絵を眺めるだけでも、この本を手に入れる価値あり。筆で描いた、柔らかい線で愛嬌がある、だけどどこか生臭い生命力を感じさせる猫です。

 

熊楠は1867年生まれで1941年、74歳で永眠。ということは、私の100年前に生まれている。19歳の時にアメリカにわたり、キューバ、イギリスを経て、1900年、33歳の時に日本に帰国、和歌山県に住み始める。昭和天皇に粘菌について御進講したのは1929年、63歳の時。巻末の年表で、熊楠がやっていたことを、自分の年齢と照らし合わせてみる。熊楠と同じ74歳まで生きるとしたら、残りはあと22年。

熊楠と猫

熊楠と猫

 

 

 

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則

職場では作成しなければならない書類が年を追うごとに増えていく。業績評価を客観的にやろうとすればするほど細かい書類を作らされる。また、何か問題が発生するとその対策として何らかの規則が追加され、その規則に従っていることを説明するための書類が増える。

 

著者は規制緩和、自由化、市場原理の導入を進めたところでペーパーワークに象徴される官僚制による支配が弱まることはないと言う。そもそも資本主義、市場経済と官僚制は対立するものではなく、もともとは大きな組織を動かすこと適した官僚制というしくみを企業にも用することで企業は規模を大きくしてきたのだ。

 

また、官僚制は非効率だ批判されるが、人々は内心では官僚制を気に入っているのではないかと言う。それは官僚制が建前の上では、ルールに則って運用される公平な制度ということになっているからだ。属人的で恣意的な運用がなされる制度のもとでの、次の展開が読めないという不安に比べれば、書類を山ほど作らされるが、明示された規則に則ったお役所仕事の方がましなのだi。

 

著者は人類学者でウォール街占拠運動にも関わる活動家。現代の社会をうまく動かしていくためには、いろいろ問題あるけれども資本主義や官僚制しかない。という考えに反対する。長い人類の歴史の中では何百、何千といった政治・経済システムが採用されている。現代のテクノロジーとそれらを組み合わせれば、資本主義。官僚制の代替となる制度があるはずだ。という考え。

 

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則

 

 

 

マリシュケ

尾張町の小さな中華料理屋さんのマリシュケへ行く。何度かお店の前を通って気になっていたが入ったのは今回が初めて。二人がけのテーブルが3つに、4人がけテーブルがひとつの小さなお店。女性の方が1人で切り盛りしている。

 

ハートランドビールでおつまみセットを注文する。おつまみセットは蒸し鶏と青ザーサイとポテトサラダと飲み物がついて1000円。蒸し鶏がしっとりしてて柔らかい。上にのっている辛味噌もうまい。ポテトサラダは生クリームが入っているような濃厚な味。青ザーサイはシャキッとした歯ざわり、ピリッとした辛味がいい。2杯目は紹興酒に砂肝の辛味いためのお願いする。砂肝はあっさりめでそんなに辛くない。

 

ちょっと立ち寄っててサクッと飲むのもいいし、何人かでじっくり飲むのもいいと思う。居心地のいいお店。

龍苑 尾山酒楼店

知り合いにここの餃子はおいしいと聞いたので、餃子とビールでサクッと飲もうと行ってきた。

 

金曜日の夕方6時すぎにお店にはいると、職場の同僚らしい4人連れが小上がりに。私は一人なのでカウンターのテレビの前に陣取る。キリンラガーの中瓶と餃子とピータン、レバニラ炒めをお願いする。

 

ビールを飲みながらじっくりとメニューを確認したり、店内を眺める。

 

お店の娘さんなのかセーラー服を着た女の子がカウンターの反対側の端で何か食べている。厨房の奥で料理をしていたお父さんが調理方法かなにかを一生懸命に女性従業員に教えている。一生懸命すぎて少し声が大きくなり、こちらにも聞こえてくる。セーラー服の娘さんが「声が大きいよ。うるさい。」と厨房に向かって注意する。のどかな感じがしていい。

 

まず、ピータンがでてくるかと思いきや、レバニラ炒めが最初に到着。しばらくして餃子が来た。レバニラはひとりででつまむには丁度いい量。値段も600円とひとり飲みにはありがたい。餃子は皮がむっちりして、あっさりめ。5個で300円。最後にピータンが出たときにはビールを飲み終わっていたので、紹興酒を追加する。

 

7時すぎにいい気持ちでお店を出る。

最後の「天朝」下 毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮

中国と北朝鮮の関係の深層に迫る長大な本。下巻はソ連フルシチョフスターリン批判をはじめた1956年から毛沢東金日成が最後に会談した1975年までを扱う。

 

スターリン批判後のソ連とも袂を分かち、資本主義の親玉のアメリカとも対立した中国にとって唯一とも言える友好国が北朝鮮だったので、建国以降一貫して中国は北朝鮮の経済的支援、軍事的支援の要望はほぼ丸のみして叶えている。中国が自国で小麦を確保できないときは他国から輸入してでも北朝鮮へ融通している。

 

また領土に関しても毛沢東は大幅に譲歩する。1964年には中国の領土であった白頭山と天池周辺の土地を北朝鮮へ譲っている。さらに毛沢東金日成に対して、中国の東北地域は朝鮮の後背地であり、戦時には自由に使って良いと何度も言っていたそうだ。

 

著者によれば、毛沢東は中国の皇帝の伝統的な世界観を持っていたという。この世界全体の支配者は中国の皇帝であり、周辺国は中国への帰依を表明しさえすれば、国境がどうこうなど細かいことは気にしないのだ。とにかく中国は北朝鮮を自分の側につなぎとめるのに必死だったのだ。しかし、金日成ソ連と中国との間で等距離外交を続け、両国から最大限の援助を引き出す。

 

1975年に中国とアメリカの関係が改善してからは、アメリカの後ろ盾を持つ韓国と中国との間の緩衝地帯としての北朝鮮の役割は薄れるが、ここでも中国は北朝鮮の顔を潰さないように最大限の配慮を続け、アメリカに対して韓国からの撤退と日本を朝鮮半島に入れないことを主張し続ける。

 

1975年の毛沢東金日成の最後の会談は、本書では会話として再現されている。なんとか政治の話に持ち込んで自国の立場を主張して毛沢東の同意を得ようとする金日成と、もう私も年老いて目も足も悪くなったなどといって話題を逸らそうとする毛沢東。なまなましい。

 

現在の中国にとって北朝鮮はどんな国なのだろうか。冷戦時代のようにアメリカやロシアと一触即発というわけではないが、世界の覇権を巡ってアメリカとは対立しているのは変わらないし、ロシアとはあまりいい関係ではないようだ。米朝首脳会談でアメリカの北朝鮮への影響力が高まるのは決して面白くないはず。北朝鮮はアメリカと中国との間で最大限の経済援助を引き出すような状況に持ち込みたいのだろうか。

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(下)

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(下)

 

 

 

珉来

昼飯に中華が食べたくなり若宮の珉来に行く。前は何度も通ったことがあるけれど、お店に入るのは今回が初めて。10台以上はありそうな駐車場がいっぱいだった。お店に入ると、テーブル席を待つお客さんが列をついている。私は一人だったのですぐにカウンター席に通してもらえた。周りのお客さんはチャーハンを食べている人が多い。メニューを見ると、麺類と飯もののセットが目立つ場所に書いてある。普通サイズの麺と小さい飯ものがAセット、小さい麺類と普通サイズの飯ものがBセットとある。チャーハンがうまそうだったので、ラーメンとチャーハンのBセットにした。

 

店員さんは女性が多い。女性4、5人に男の人がひとり。店員さんのお客さんへの目配りが行き届いていて、席への案内や注文取りなど応対が気持ちいい。ジャーからホカホカのご飯を取り出してチャーハンを作っている。

 

5分ほどでチャーハンとラーメンをほぼ同時に持って来てくれる。チャーハンは普通サイズといいながら結構なボリューム。ラーメンは鶏ガラズープのあっさり味。こんなに食べたら午後は眠くて使い物にならないと思いつつも、ラードが効いたチャーハンをかきこみラーメンのスープで流し込むと、もう止まらない。炭水化物バンザイ。

 

普通の街中華です。居心地がいいお店でした。

昼ビール

風は肌寒いけれど、真っ青な空にキラキラした陽射し。居ても立っても居られない気持ちで、あてもなく家を出た。とりあえずどこかでお昼ご飯を食べようと武蔵ヶ辻から香林坊に歩く。ただ青空を眺めているだけで気持ち良い。日陰に入ると半袖のポロシャツでは寒いが日なたにいると心地いい。

 

四高記念館の裏で、  ワインのイベントをやっているので様子を見にいったら物凄い人。食べ物にありつくまでに時間がかかりそうだし、ゆっくり食べる場所もなさそうだった。ここはパスして池田町バルバールで昼呑みすることに。

 

バルバールでは先客は男女の二人連れが一組。出入り口近くの明るいテーブル席に座り、「大人の昼酌セット」を注文する。これは小皿のおつまみが4品と生ビールもしくは赤、白のワインがついて1,000円。喉が乾いていたので今回は生ビールにした。入口のドアとその脇の大きな窓が開け放たれているので、風と陽射しが入ってきてここちよい。ビールを飲みながら持ってきた本を読む。ビールをおかわりしたら気持ちよくなって、何か食べたくなったのでミートソースのパスタを食べる。ラザニアをテープ状に切ったような太い麺がミートソースの旨味を受け止めて旨い。

 

店を出て新竪町に向かう。もう15年以上経っただろうか。家を建てたときに椅子を買った「Phono」さんをのぞいてみる。娘の誕生日に北欧ものの雑貨でも買おうかと思ったのだが、彼女のイメージにしっくり合うものがなかった。自分が欲しいものはたくさんあったけれど。

 

そのまま新竪町を抜けて、犀川の河川敷に出る。山のてっぺんにかろうじて雪が残っている。もう2、3日で消えるだろう。雪解け水のおかげだろうか。滔々と豊かに流れる川をながめる。W坂をのぼって、寺町台から本多町方面を眺める。

 

川沿いを片町まで戻って、香林坊、武蔵ヶ辻を通って帰宅。

 

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