非才

人の能力は遺伝できまるのか、後天的な努力で決まるのか?著者のマシュー・サイドは100%、後天的な努力で決まると言います。生まれつきの才能なんて、ない。若くして世界トップレベルで活躍する、神童と呼ばれるような人たちも、若いころからすさまじい練習をしていることを、タイガーウッズやモーツアルト荒川静香、を引き合いに出して明らかにします。どんな分野でもトップレベルの人は、10,000時間練習していることそうです。1日3時間、年間1,000時間、10年で10,000時間、成長するという気構えをもって練習することが必要であるといいます。

人生に二つの道があると考えてほしい。一つは凡庸さに、一つは傑出性につながっている。凡庸さにつながる道についてなにがわかっているだろうか?平坦でまっすぐであることはわかっている。自動運転で心地よく、順調かつ着実に、ほとんお苦労せず進んで行くことが可能だ。なにより、つまずいたり転んだりせずに目的地にたどりつける。
 このような道を進んでいくなら、どんな気がまえをもっていようがほとんど関係ない。固定した気がまえグループも成長の気がまえグループも、問題なく幸せに目的地へ向かう。どちらかが前に出ることも、遅れをとることもない。どちらも余裕をもって凡庸さにたどりつく。
 だが傑出性へ続く道は大ちがいだ。険しくて厳しくて骨が折れる。ことさらに長く、たいへんな努力を最短でも一万時間続けなくては頂上に到達しない。そして何より重要なことには、旅のあいだずっとつまずいては転ぶことを強いられる。
 なせそれがわかるか?なぜならこれはまさに、目的性訓練の定義そのものとも言うべき特徴で、これなしに傑出性に達することはできないからだ。傑出性とはぎりぎり手の届かないものを得ようと努力して、完全には成功しないことだ。現在の限界をこえる課題に取り組み、およばないことのくり返しにある。傑出性の逆説とは、それが必要不可欠な失敗のうえに築かれる点にある。


一万時間の練習を積むことで、普通の人が意識してやっとできる動き、判断を無意識の次元でこなすことができるようになり、傍目には超人的な才能をもっているように見えるそうです。先天的な才能という幻想があると、はじめのうちに目立った進歩が見られない場合、すぐにあきらめてしまう傾向がありそのような思い込みは有害であるといいます。それに加えて経験のない個人を才能を見込んで権力の座につけてしまいます。

たとえば、イギリスでは大臣をあちこちの省にたらいまわしにして、そのどれについてもじゅうぶんな知識ベースを発達させる機会を与えない。これがイギリスの行政にどれほどの被害を与えているか考えてみよう。最近のイギリスでは、大臣の平均在任期間は1〜7年だとされる。ブレア政権で長く閣僚をつとめたジョン・リードは、7年で7回にもわたり、省庁をたらいまわしにされた。これはタイガー・ウッズをゴルフから野球、次にサッカー、その次はホッケーへとローテーションさせ、しかもどの分野でもトップ暮らすの成績を挙げろ言うに等しい。


オリンピックの陸上競技や、アメリカのバスケットボールやアメリカンフットボールで黒人選手が活躍する現象も、一見、黒人選手は遺伝的に運動能力が高いことが原因のかと思えますが、詳細に見ていくと社会的な要因が大きいそうです。陸上競技の場合、黒人選手が強いといっても、黒人選手が満遍なく強い訳でなく非常に限られた地域の選手だけが強い。長距離では、ケニア、エチオピアの標高の高い地域出身の選手。彼らは子供の頃、毎日20キロの道のりを走って通学しているそうです。しかも、毎日高地トレーニング。小学生のころから10年も高地トレーニングすれば強くならないわけがない。
短距離では西アフリカに先祖を持つ、ジャマイカ、アメリカの黒人だけが圧倒的に強いらしい。短距離やバスケットボールは、黒人差別でまともな職に就くことができず、スポーツぐらいしか身を立てる手段がなかった影響が大きいのではないかと推測してます。


著者自身が、イギリスの卓球選手でシドニーオリンピックにも出場した人だけに説得力あり。子供たちには、才能をほめるのではなく、彼らの努力を賞賛することが大事なのだそうです。そんな大変な努力が出来るってこと自体が才能なのでは?という気もします。

非才!―あなたの子どもを勝者にする成功の科学

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