馬車が買いたい!

バルザックスタンダールの小説に登場する主人公たちの描かれ方をとおして、19世紀のパリでの生活がどんなものだったかを克明に再現していきます。田舎からパリに出てきた青年はどんなところに住み、何を食べ、どんな洋服をきていたのか。移動手段にはどんなものがあったのか。貴族は、新興の企業家たちはどんな生活をしていたのか。


タイトルのとおり、著者は特に馬車の種類と、それぞれの使われ方について詳しく描き出します。2輪と4輪の違い、固定の屋根つきと幌の違いなど、馬車にもいろいろな種類があって、状況によって使い分けられていて、昼間に公園に出かけるときには、4輪の2人乗りで、屋根無し(幌付き)のカレーシュという馬車、夜に劇場に出かけるなら、ベルリーヌという4輪の4人乗りの屋根つき馬車か、クーペという屋根つき2人のりを使う。独身の貴族が1人で出かける時は、軽快な2輪の屋根無し(幌つき)のキャブリオレか、幌もついていないチルビュリー。4輪の4人乗りで屋根無し進行方向と平行にシートが配置されている馬車はブレークといって、天気のいい日に郊外にピクニックに行く時などに使ったそうだ。新興のブルジョアがなんとかお金を稼いで買った、自分で運転する馬車は、アメリケーヌという御者台のない馬車を買ったそうだ。


クーペ、キャブリオレ、ベルリーヌ、ブレークという言葉は、自動車のタイプを表す用語として今も使われています。ひと昔前はクルマがステータスシンボルであり、所有者の社会的地位や経済力、センスを表す指標であったように、馬車を見ればその人がどんな地位の人がわかったそうだ。19世紀の小説家は、登場人物がどんな馬車にのっているかで、その辺りを細かく表現しているのだが、21世紀の日本人が読むと、全部「馬車」でくくって、違いはわからない。


この本は1990年に出版したものを2007年に復刻されたもの。著者は時々、19世紀の馬車の様々なタイプの違いを、自動車のタイプに例えているのだけれど、今見ると、その例え自体が古臭く感じる、20世紀は遠く過ぎ去ったのか。

「門の前にとまった白塗りのメルセデス560SELからひとりの女が降りてきた。」
多少とも車についての知識のある者なら、このいかにも田中康夫の小説に出てきそうな文(実は著者の作った文)の中に、いくつかの社会的な弁別情報を読み取ることができるだろう。たとえば、まずこの文の発話者が「ベンツ」と言わずに「メルセデス」と言っているところから、発話者はヨーロッパ的な車の呼びかたに慣れている者であり、しかも自分と同じような体験の読者を対象と考えていること、要するにヨーロッパかぶれがヨーロッパかぶれに呼びかけている文であることが理解できるはずだ。また、内容的には、ベンツの560SELがベンツの最高級車であり、その白塗りは同じブルジョアでも進取性に富む新興ブルジョアの好む車であることから、この「女」はおそらくは成り上がりの有閑マダムであろうと想像がつく。

1960年代生まれの車好きのおじさんは、恥ずかしくなるくらいよくわかるんだけど、この例え自体をスッと理解できる人も減ってきているかもしれない。


ところで、この本を読んだ後、先日のウイリアム王子の結婚式のパレードで使われた馬車は、カレーシュに違いないと思い、調べてみたら、


http://jp.luxist.com/photos/royal-wedding-carriages-0/4015886/
ランドーというタイプの4輪、4人乗り(向かい合って座る)、幌つきの馬車でした。

馬車が買いたい!

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