疲れすぎて眠れぬ夜のために

戦後は何もかもが新しくなって全てが一旦リセットされた印象があるけれど、そうでもないと思う。

ぼくは、1950年代は子供でしたから、その世代の人たちのエートスをまだかすかに覚えています。小学校の先生や、父親たちの世代、つまりあの頃の3,40台の人はほとんどみな従軍経験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たちです。だから、「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな体験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎだしたもう一つの「夢」なのだと思います。
「夢」というと、なんだか何の現実的根拠もない妄想のように思われるかもしれませんが、「戦後民主主義」とはそういうものではないと思います。
 それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実的な経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっとよく分かっているのです。
 人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
 戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

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