原始仏典 第三巻 長部経典3

第25経にこんな話がある。苦行者のリーダーである二グローダがブッダ非難してこう言います。「ブッダは人里離れた山の中で一人で瞑想していて、人と交際しない。片目の牛が群れを遠く離れて住んでいるようなものだ。知恵が駄目になったのだ。」と。
 それに対して、ブッダは、苦行者達は人と大声を張り上げて無駄話をしているだけだと言います。無駄話の例として次のようなものを挙げています。

王の話、泥棒の話、大臣の話、軍隊の話、恐怖の話、戦の話、食べ物の話、飲み物の話、衣服の話、寝床の話、花輪の話、香料の話、親族の話、乗り物の話、村の話、町の話、都市の話、地方の話、女の話、男の話、英雄の話、立ち話、井戸端の話、怪談話、とりとめのないはなし、世界の起源に関する話、大洋の起源に関する話、これこれの境遇に再生する話


これを見ると、お釈迦様の時代から無駄話のネタは変わっていないようだ。


第27経では、人間世界の起源を語っている。その中で、人間の食べ物の歴史を説明している。最初は食べても食べても次々に生えて来る、苔のようなもの(地衣類)を食べていたらしい。何万年も経つうちに身体が固くなって、醜い人と見栄えが良い人の違いが生まれて揉め事が起きるようになると、地衣類がなくなってしまう。次は蔓草の類いを食べていたが、これも人間の間で違いが生まれて揉め事が増えるようになるとなくなってしまう。


そして、次に米を食べ始める。糠も籾殻もついていない米で、収穫しても翌日には再生する米だ。最初はみんな毎日必要な分だけ収穫していたのだけれど、賢いやつがいて毎日収穫に行くのは面倒だから二日分をまとめて収穫して保存することを始める。そうすると確かに楽なので、別の人は8日分を収穫して保存しておこうと考える。みんなが同じように沢山取って保存し始めたら、米が糠と籾殻に覆われはじめて、収穫したら次の日に再生しなくなった。


生きるのに必要な分を賄うくらいならどうにでもなる。だから物惜しみするな、貪るな、執着するなということなのだろう。たくさん収穫して保存、投資して次の収穫につなげる。こんな欲深さで経済が回っていて、これこそが苦の根源なのだとお釈迦様はお見通しだったのだろうか。


原始仏典〈第3巻〉長部経典3

原始仏典〈第3巻〉長部経典3