哲学JAM

先月から始まった石引パブリックの「哲学JAM」の2回目に参加してきた。哲学者の仲正昌樹さんが10回シリーズで現代社会について語る会だ。今回のテーマは、「独裁」は悪か 〜なぜ今、世界に独裁者が誕生しているのか
 
厳密に考えてみると、何が独裁なのか、定義が意外に難しいという問題提起があった。独裁者が一人で全てを決めることと独裁を定義する。そうすると、独裁者といえども、権力基盤や支持者がいるはずで、彼らの意向を無視して自分の一存でなんでも決められるわけではない、支持者の意向に合うように意思決定するはず。それを独裁と言えるのか。トランプ大統領金正恩も支持者なり軍の意を忖度して政策を決めている。それが独裁なのか?
 
次に、そもそも独裁は悪いことなのか。民主制が必ずしも良い政治になるとは限らない。民主制の下でアホな意思決定が行われることは古今東西を問わず明らか。プラトンも政治的な資質に優れた哲人が統治すべきと言っている。
 
民主制は意思決定に手間がかかる。なかなか決められない。近年は世界的に民主制を否定するような動きが続いているのも、その決められない政治に人々がうんざりしているから。誰かきちっとした立派な人に決めてもらいたい、哲人による統治を求める機運が高まっている。独裁につながる可能性が高まっているのだ。
 
では、どうすべきなのか。熟議だ。議論の参加者がそれぞれの政策の根拠を明らかにして、根っこの部分から合意を取りながら議論していくのだ。根っこの部分の合意といっても、価値観を共有できなければ熟議も成立しないのではと思いながら聞いていたら、質疑応答で同じような質問をしている人がいた。仲正さんの回答は、熟議を唱えたハーバーマスロールズも理想形としては述べているので簡単に実現するとは思っていなかったのではないかとのこと。熟議によって全員の合意を得るのは非常にコスト(時間)がかかるし実質的には不可能。価値観を共有できるある程度の範囲に対象を絞り込まなければならないだろう、とも。
 
仲正さんに質問しておけば良かったと思うのは、なぜ今、世界中いたるところで民主制がうまくいかなくなり独裁に傾きつつあるのかということ。東西冷戦の終結により、西側民主制国家の共通の敵が無くなってしまい、宗教や民族の対立が露わになったためじゃないかと思うのだが。
 
議論のポイントがたくさんあって、よく整理できないでいるのだが、たくさんの人が同じテーマで考える場に参加できて面白かった。一人で本を読んでいるだけでは得られない刺激だった。