生物から見た世界

他の生物にとって、この世界はどんな風に見えているのか。カタツムリ、ダニ、ゾウリムシなどの観察と実験をもとに解き明かしていきます。

 

例えば、カタツムリの目の前に1秒間に3回以上の頻度で棒を差し出すと、その棒の先に乗り移ろうとするそうです。カタツムリにとって1秒間に3回以上の出入りは識別できず、ずっとそこにあるものとして認識されるということです。人間にとって識別可能な頻度は1秒間に18回。光がそれ以上の頻度で点滅すると、ずっと点灯していると感じるそうです。視覚だけでなく聴覚や触覚など他の感覚でもその頻度は同じだそうです。また、ハエは1秒間に50回まで識別できるそうです。

 

つまり、カタツムリ、人間、ハエ、それぞれにとって時間の流れ方が違うのです。ハエの1秒は、きめ細かく認識できる分、長く感じれれているはずだし、カタツムリにとっての1秒は、人間よりも短いのです。

 

著者のユクスキュルは、生物それぞれにとって見えている世界が違うことを説明するため「環世界」という考え方を持ち出します。これは、生物は反射の積み重ねで動いている機械ではなく、環境を知覚して環境に作用を及ぼす主体(機械操作係)であり、主体が認識し作用する世界が、その主体にとっての世界の全てだという考えです。

なぜなら、主体が知覚するものはすべてその知覚世界となり、作用するものはすべてその作用世界となるからである。知覚世界と作用世界が連れだって環世界という一つの完結した全体を作り上げているのだ。

 

150ページほどの気楽な科学読み物で、記載されている具体例をたどるだけでも面白いですし、環世界という、現象学はじめその後の哲学者にも影響を与えた概念を示した本なので、オススメです。

生物から見た世界 (岩波文庫)

戦中派不戦日記

渡辺京二さんは「幻影の明治 名もなき人々の肖像」の中で、山田風太郎の一連の明治もの小説を題材にして、明治の時代の肌触りを再現している。この本を読んで山田風太郎に大変興味を持ち、彼の著作を読んでみたくなり、とっかかりとして昭和20年1月1日から12月31日までの日記をまとめたこの本を手に取った。

 

日本の劣勢が色濃くなっていく中、同年代の学生は次々に徴兵され戦地に向かうが 、東京大学の医学部の学生だった山田は、勉強を続けることができた。戦場に出かけることもなく、空襲下の東京を逃げ回り、長野県飯田へ大学と一緒に疎開しながら勉強を続けたという意味で、不戦日記なのだ。

 

1月から8月の敗戦まで、ほぼ毎日のようにB29が日本にやってきていることが意外だった。大規模な空襲が毎日あるわけではないけれど、小規模な編隊が来ても空襲警報が発令され、その度に人々は夜中に叩き起こされ防空壕に逃げ込む。これがほぼ毎日続く。

 

また、今日は新宿、明日は品川と次々に空襲で焼け野原になっていても、人々は自分が焼け出されるまでは、それまでと同じような日常生活を淡々と営んでいる。鈍感なのか諦めなのか恐怖に逃げ惑うということがない。いつもと同じように配給の列に並び、ご飯を作り仕事に行く。

 

8月15日の玉音放送の後、このまま敗戦を受け入れるべきか、それとも本土決戦に向けて立ち上がるべきかを、友人と徹夜で激論を交わす。天皇陛下の決断を受け入れるべきとの判断でクーデターまがいの計画は立ち消えになる。

 

また、進駐軍が来ると、これまで鬼畜米英と叫んでいた人たちがコロリと手のひらを返して、東条英機首相など軍関係者を悪者としてこき下ろす姿に、戸惑い憤っている。

 

もともと公開するつもりもなく書いた日記を、ほとんどそのままの状態で昭和48年に出版したものなので、天気のことや授業のこと、読んだ本のことなど単調な内容が続く部分もある。また、若者の妄想が暴走している日もある。でも、だからこそ大学生が当時何を思っていたかストレートに伝わってくる。間違いなく当時の社会の一面をそのまま切り取った記録となっている。

 

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)



 

 

いなさでウリボウのスペアリブロースト

年度末のアレヤコレヤを片付けて、職場を後にしたのが夜の9時。7年間お世話になった職場を離れて来週からは新しい部署で働くことになる。まあ、小さいながらもひとつの区切りということで、いなさに行って呑むことにした。

 

ひとつの区切りということで、これまで気になっていたけれど一度も食べたことがない、ウリボウのスポペアリブローストを注文する。「骨も含めて250グラムになります。ちょっと量が多いですよ。30分くらいかかります。」と言われたけれど、何にも食べずに腹は空いている。うまいもののためなら30分くらい待つ。断固とした態度で「お願いします。待ちます。」と伝える。

 

自然薯とカブ、にんじん、大根の古漬けをつまみに白ワインを呑みつつ、手際よくスペアリブが料理されていくのを眺めながら待つ。

 

フライパンに、肋骨5本分くらいの肉の塊をのせて塩胡椒をすり込み、油をかけてオーブンに入れる。15分くらい経ったら一旦フライパンを取り出して、コンロにかけてローズマリーを投入。フライパンににたまった油を肉にかけながら表面に焦げ目をつける。ローズマリーの爽快な香りが店内に拡がる。もう一度オーブンに入れて更に10分くらい待つ。

 

肉をオーブンから取り出して、肋骨の間に切れ目をいれて再び火をつけたコンロの上で油をかけながら火を通す。落ち着かせるためになのか、一旦コンロの上の棚に置いて、その間に付け合わせの葉っぱをドレッシングと和える。これでもかというくらい手でかきまぜて、ドレッシングを葉っぱ一の表面に均等に拡げる。

 

箸で食べやすいように包丁で肉を骨から削ぎ取って、薄く切ってお皿に葉っぱといっしょに盛り付けて完成。

 

待った甲斐あり。肉に臭みもなく絶妙な火の通し加減。脂身の外側の皮のゼラチン質の旨味と歯ごたえが良かった。1,500円と居酒屋の一品としては高い印象を受けるけれど、これだけで他に何もいらないくらいの満足感。赤ワインを2種類飲みながら、夢中に食べた。肋骨についた肉までしゃぶった。

 

ご主人がテキパキと料理する姿を眺めているのも楽しい。   ごちそうさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも「時間がない」あなたに  欠乏の行動経済学

明日に仕事の締め切りが迫っているのに全然できていない。時間が足りない。借金の返済期限が迫っているのに急な出費でお金が足りない。好きなだけ食べたいけれど、ダイエット中で十分食べられない。あたたかい人間関係が足りない、恋人や友達がほしくてたまらない。

 

こんなふうに何かが足りない、欠乏していると主観的に思ってしまうと、そのことが頭を離れななり、心の中の優先順位の1番を占めてしまう。そうなると、

  1. 集中力が高まり、問題解決のための土壇場の馬鹿力が発揮できる。
  2. 欠乏していると思っていることに集中するため、それ以外のことが頭に入ってこなくなり、いろんなことに対処する能力=処理能力が落ちる。

欠乏に追い込まれると一時的に1.の良い効果もありますが、長期的には2.の悪い影響が強くなるそうです。処理能力とは、認知したり論理的に推論する能力、自分の気持ちを制御して、優先順位をつけて段取りよく処理する能力のことです。能力の低下は、自分の心がけでどうにかなるものでなく、無意識のレベルのミリ秒単位の反応速度においても著しく低下するそうです。著者は、学生にゲームをやらせて実験したり、現実に貧困に困っている人を調査して、この仮説を検証していきます。

 

貧困に苦しんでいる人は、怠惰で能力がないから貧しいのではなく、貧しいから、仕事が手につかず、無能だと思われるし、貧しいから自分の感情を制御できず無断欠勤して、怠惰だと思われるようになるのだ。

 

貧困対策を立案する上では、貧しい人たちの心がけや処理能力に頼るような施策を避けなければうまくいかない。また、自分の仕事をうまくやっていくためには、自分の処理能力の総量は限られているのだから、睡眠や食事の時間を削って無理すると、しっぺ返しがくる、処理能力を無駄遣いしないようにというのが結論。

 

何かが欠乏している。もっともっと欲しいと思うのは、執着すること。執着が苦の始まりという仏教の考え方と同じじゃないかと思った。

 

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

くらつき

来週は、年度末でいろいろと忙しくなりそうなので、今日は年休をとった。

 

今年大学受験したものの惜しくも浪人が決定して家でゴロゴロしている息子と一緒に図書館に行った。息子は自習室で勉強、私は面白そうな本がないかと物色する。寮に入って東京の予備校に通ったらと提案したが、彼は生活環境を変えたくないし仲のいい友達もこちらに残るからと、金沢で予備校に通うことに決めたのだ。いろいろ心配事は尽きないけれど、本人が決めたことだから私はできる限りサポートするだけ。

 

昼ご飯はせせらぎ通りにある「くらつき」という洋食屋さんに行く。ここは揚げ物やハンバーグなどの日替わり定食、カレー、オムライスを出すお店。メインの料理はもちろん、付け合わせのマカロニサラダや味噌汁、漬物も丁寧に作ってくれていておいしい。何よりご飯がおいしいのがうれしい。息子は日替わり定食、今日は鶏肉のカレー煮込み。私はカキフライ定食を食べた。カレー煮込みは骨付きのもも肉を、カレーで煮込んだもの、一緒に大根やさつま揚げも煮込んで会って、見た目はカレーおでん。カキフライは大粒の牡蠣を薄めの衣でカラッと揚げてあってうまい。お店の方に、是非醤油で食べてと言われて、レモンを絞ってチョロッと醤油をたらして食べてみる。うまい。

 

お店の見た目は地味ですが、地元に根付いたいいお店です。近所のサラリーマンがひっきりなしに入っていました。

岩波講座 日本歴史 第4巻

奈良時代から平安前期ごろまでの歴史。唐の威光にかげりがでてきて、政治制度や文化、宗教において唐を丸写しする時代から、少しづつ日本の独自性が出てくるころだ。

 

人や田の状況を把握するために戸籍や田籍を整備し、それに基づいて人々に口分田を与え、租庸調の税を徴収する。国によるこのような全国一律の土地支配制度は、最初はある程度維持されたものの、皇族、有力貴族や寺社が、屯倉や荘園などの私有地を拡大しようとする動きに骨抜きにされていく。国が地方に派遣する国司みずからが荘園拡大のお先棒を担ぐようになる。そして、10世紀ごろには口分田の供給も全く行われなくなる。

 

日本の王権は、大陸や朝鮮半島からの渡来人、国内の地方勢力など、各方面との妥協の上で維持されている印象がある。一方、中国大陸は、徹底的な闘争の果てに権力を掌握した皇帝が、国全体を強力に支配するイメージが。そんな唐の均田法をまるごと取り入れても、なかなかうまくいかないのかもしれない。

 

北陸にも東大寺領がたくさんあったようなので、荘園にテーマを絞って何か本を読んでみたい。

古代4 (岩波講座 日本歴史 第4巻)

さらば政治よ 旅の仲間へ

渡辺京二さんといえは、幕末から明治に日本を訪れた西洋人が書き残した旅行記などから、当時の日本の姿を再現した「逝きし世の面影」が印象に残る。そこには、封建制の抑圧に苦しみ貧しい悲惨な庶民の生活があるかと思いきや、掃除が行き届いた清潔な家、こぎれいな街並み、 いい体格をした、よく笑い人懐っこい農民や町人、元気で幸せそうな子供たち。まさに目から鱗の本です。

 

この本は、渡辺京二さんの新聞や雑誌への寄稿と読書日記、マイケル・ポランニーについての講義が収められている。

 

全体をざっくりとまとめると、政治向きのことに関してみんな素人なのにギャーギャー騒ぎすぎ。国家が大事なのはわかっているけれど、政治のことは専門家にお任せして、国とのかかわりは、税金を払ってその分のサービスを受ける程度の最小限にしたい。人口が減っても、経済大国でなくなっても、オリンピックでメダルがとれなくても、そんなことは、それぞれの生活の質にはたいした影響ないんじゃない? それよりも、普通の人はそれぞれの本分にそっていいものを作り、仲間と交流して質の高い生活を目指すべきじゃないか。 という内容。

 

ポランニーについての講義録は、ヨーロッパで極右勢力が台頭していることやアメリカ大統領選挙でトランプが当選したこととからめて読むと興味ぶかい。

 

ポランニーは市場経済というのは太古の昔からあったが、それは、対外貿易や臨時の市場など限られた場で、しかも社会から慎重に制御されたものだった。人々にとっては互酬、再分配、家政による経済活動が重要だったと言います。そして、18世紀以降これまでつづいてきた、市場経済自由主義経済の発展の過程は、互酬、再分配、家政を支えてきた、血縁・隣人・同業者組合・信仰といった非契約的な組織を解体しつづける過程だった、と。

 

また、ポランニーは、自由主義経済を社会進化の必然の到達点ではなく、何かのきっかけで市場が暴走してしまった突然変異のような社会であるとと位置付けます。当然そこでは、旧来の社会を支えてきた、血縁・隣人・同業者組合・信仰を守ろうとする反発、「社会防衛運動」が起こると言います。その「社会防衛運動」が、ラッダイト運動であったり、地主階層の反発だと。

 

最近のイスラム原理主義や極端な民族主義、トランプ大統領もそんな流れの一環なのかと思った。頭では市場経済が効率的でいいとはわかっていても、そんなものに全面的に身を任すわけにいかないという肌感覚というか予感が世の中にあるんだろう。だから、それらの動きは一時的なものでも、簡単に制御できるものでもない、人間の本性に基づいた根本的な動きだと覚悟しておいたほうがいいんだろう。

 

ところで、渡辺京二さんは、河合塾の福岡校で1981年から2006年まで25年間にわたって現代文を教えている。私は1984年に河合塾名駅校に通っていた。人気がある講師には、200人の教室が満員になって立ち見がでるくらい生徒が集まるけれど、つまらない講義はどんどん出席者が減っていく、あの厳しい予備校の世界で25年も講師やってるんだから、さぞかし面白い講義だったんだろう。

 

さらば、政治よ: 旅の仲間へ

 

benton.hatenablog.com

エルパソの焼菓子

 日曜の午後4時、東山まで歩く。春の観光シーズンなのか、茶屋街の通りは人があふれんばかりの賑わい。人が多すぎて列をついて歩いているような状態。

 

のんびり本でも読もうと、賑やかな通りから5分ほど歩いたところにあるエルパソという洋菓子屋さんに行く。ここは2階でお茶とお菓子を食べられるようになっている。1階のショーケースで、洋梨のタルトとコーヒーを注文して2階に上がる。渡辺京二の「さらば、政治よ 旅の仲間へ」を読む。この前来た時は、地元のグランドゴルフの仲間、10人くらいのおじいさん、おばあさんがいて大変賑やかだったが、今日は私以外にはお客さんはなく静かに過ごす。時々、1階にケーキを買いにお客さんが来る。

 

1時間くらい本を読んで帰ってきた。写真は、持ち帰って家で食べたお菓子。外側はサクサクのクッキー生地、中は柔らかいケーキ、上に乗っている赤い粒々は、ベリー系の何か、甘酸っぱい味がしました。

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心という難問 空間・身体・意味

 

私には赤色に見えている海に沈む夕日は、隣に座っている人にも同じように見えているのかしら。太陽の光が目には入って網膜に捉えられ、その信号が脳に送られて赤いと感じられるのであれば、各自の脳の処理の仕方によって、それぞれが全く違う景色を見ているのではないか。そもそも、光の実体などなくて全ての意識経験は脳が作り出しているんじゃないか。ビーカーに浮かんだ脳が私の意識経験の全てを作り出しているのでは。

 

というような、疑問を抱いたことがある人にオススメの本。私は小学生の頃そんな考えにとりつかれたことがあります。

 

この本で、著者はそんなことない、

私は世界そのものを知覚している。目の前の一本の気は確かに実在し、私はその実在する木そのものを見、その梢で囀っている鳥の声そのものを聞いている。また、私の周りにいる他者たちも私と同様にさまざまなものごとを知覚し、感じている。

 

素朴実在論でもなく、実体と意識を想定する二元論でもなく、意識だけしかないと考える一元論でもない、著者の考え方を、段階を踏んで丁寧に説明していきます。読んでいて、「もうええわ。」と言いたくなるくらい、丁寧に細かく一歩一歩論証を進めていきます。読者をなんとか結論まで連れて行こうとする執念がすごいです。

心という難問 空間・身体・意味

 

 

その他の野矢茂樹さんの著書はこちら。「論理トレーニング」は、鉛筆片手に問題を解きながら読むと面白いです。是非。

野矢茂樹 の検索結果 - benton雑記帳

kindle風呂

風呂場にkindleを持ち込んで、湯船に浸かりながら読書すると大変心地よいことに、最近気がついた。

 

防水のため、kindleジップロックに入れる。中くらいの大きさのジップロックの間口がkindleの縦の長さとぴったり同じなので、手に持った時にぶかぶかしなくていい。

 

湯船に浸かり本を読む。風呂の蓋を半分閉めて、蓋をテーブル代わりにして肘を支えながら読むと姿勢が楽だ。そうすると半身浴の姿勢になるので長時間使っていてものぼせない。

 

何もなしで湯船に浸かると、5分もじっとしているとイライラしてくるのだが、本を読んでいると30分でも1時間でも気にならない。1時間もすると全身から汗が噴き出して、体の芯から温まる。

 

これまでも時々、いらなくなった雑誌や文庫本などを風呂に持ち込んで読むことがあったが、どうしても湿気を吸い込むので紙がシワシワ、ゴワゴワになって後で悲しい気分になる。kindleならそんな心配もいらない。

 

昨晩も1時間以上kindleで読書しながら風呂に浸かっていたので、今朝目覚めた時、心地よい疲労感とともに、体の奥の緊張がほぐれた感じがした。

 

卒業式

 3月3日の金曜日に息子の高校の卒業式があった。残念ながら私は仕事だったので、妻に行ってもらった。立派な卒業式だったそうだ。

 

卒業式が終わって大きな区切りがついたねと妻と話している。生まれた時、高校卒業までの18年間ははるか彼方のように思ったけれど、今振り返ってみるとあっという間だった。

 

アメリカから日本に帰ってきた翌日に妊娠していることがわかって、茨城で生まれた。妻の両親からも私の両親からも離れた土地で育児をした妻は大変だったと思う。1歳の時に東京、3歳で金沢と引越しが続いた。次々と生活の場が変わってそれに合わせるのは大変だっただろう。そのせいなのか、彼はアウェイの環境に放り込まれてもしぶといようだ。

 

これから我々が彼に対してしてやれることなど知れている。学費を出して、たまに家に帰ってきたらご飯を腹いっぱい食べさせてやるくらいだ。

 

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12年前の懐かしい写真。

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OH LIFE で昼ごはん

風邪をひいて咳が止まらないので、午後の仕事を早めに切り上げた。帰りのバスに乗って武蔵ヶ辻のバス停まで来た時に、ふと思い立ってOH LIFE で昼ごはんを食べることにした。

 

OH LIFE は、いわゆるブックカフェ。食べ物関係の本が並ぶ店内でお茶できる。ご主人が店内で焼いているパンと、スープがおいしい。サツマイモのポタージュとフライドエッグトーストを頼む。

 

ポタージュはサツマイモのほのかな甘みが感じられて美味。真ん中にちょこっと落としてくれた黒ごまが香ばしい。フライドエッグトーストは、厚めのトーストにチリビーンズを乗せて、さらにその上に半熟の目玉焼きが乗っている。とろとろの黄身とスパイシーなチリビーンズが混ざり合ったところがうまい。

 

街中で、おいしいもの食べてのんびりできるお店です。

https://www.facebook.com/ohlife/

人工知能のための哲学塾

著者の三宅燿一郎さんはコンピュータゲームの中のキャラクターを人間らしく動かすための道具として人工知能を研究している人。

 

キャラクターの人間らしい動きって何なの? また、人間らしい動きを成り立たせる、人間らしい心とは何かを考える。考えるためのとっかかりとして、フッサール現象学や、ユクスキュルの環世界という考え方、メルロ・ポンティの身体感覚などを持ち出してきます。

 

テーマ毎に簡単に哲学の考え方を説明して、ゲームに応用すると、こういう風に人間らしくなるんじゃないかと考察を進めていきます。著者がこれまで考えてきたことを吐露していく内容なので、こうすればこうなると明確な答えが書いてあるわけではありません。

 

しかし、人工知能現象学への入り口として、今後自分で調べたり、本を読んでいrくきっかけとして大変興味をかき立てられる本でした。

人工知能のための哲学塾

 

著者には、人工知能の現在をきっちり整理したこんな本もあります。

絵でわかる人工知能 明日使いたくなるキーワード68 (サイエンス・アイ新書)

フッサールの入り口として読んでみたいと思った本

デカルト的省察 (岩波文庫)

 

生物は自分の都合に合わせて世界を見ているという、「環世界」について

生物から見た世界 (岩波文庫)

 

 

ミネストローネ風スープ

娘が食欲ないというので、食べやすいスープをと思いミネストレーネを作った。

 

玉ねぎと人参を大きめのみじん切りにして、ニンニク、オリーブオイルと一緒に鍋に入れて蒸し炒めにします。蒸し炒めというのは、油が全体にまわるくらいに炒めた後は鍋に蓋をして、野菜の水分で蒸らしながら炒める調理法です。そこに、ベーコン、かぼちゃ、ピーマン、きのこ、この前味噌を仕込んだ時に余ったゆで大豆と、トマトの水煮缶を入れて煮込む。トマトの酸味が取れて甘く感じるようになったら出来上がり。

 

仕上げにパルメジャーノレジャーノをふりかけて出来上がり。

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岩波講座 日本歴史 第3巻 古代3

天智朝、天武朝から奈良時代の終わりまでを扱う。

 

律令制のところで「公廨」という言葉が出てくる。「くがい」と読む。もともとは、官衙の建物を指していたが、そこから官衙の収蔵物、収入を指すようになり、官人の給与に当てる収入を指すようになる。公廨稲といえば主に国司の収入を補填するために国司に無利子で貸し出す種籾を指す。

 

「廨」という言葉は現代のお役所でも使われている。役所の出先機関のうち出納業務を取り扱う機関を指す。つまり歳入のある出先機関だ。初めてこの言葉を見かけたときは何て難しい言葉を使うのかと思ったけれど、律令制から綿々と使われ続けられてきた言葉かと思うとなんだか大変ありがたい。

 

唐と日本の律令制の比較で面白かったのは、唐の官人への給与は、身分に対して支払われるのに対して、日本の場合は勤務日数に応じて支払われる性格が強いという点だ。この頃から、長時間働く人の評価が高かったのかい、と突っ込みたくなるプレミアムフライデーでした。

古代3 (岩波講座 日本歴史 第3巻)