人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答

脳科学者の茂木健一郎さんと、恐山の院代を務める禅僧の南直哉さんの対談。数年を置いて行った3回の対談がまとめてあります。キーワードは、無記、無常、縁起


無記とは、よく生きるために、役に立たない、関係ないことについては、あえて何も語らないこと。例えば霊魂が存在するかどうかについて。

茂木:世の中には、たとえ思っていても、みんなが実はわかっていることでも、言葉にしないほうがいいことってありますよね。「無記」には非常におそろしい叡智がある。言葉にすることも大切だけれど、根本的な問題についてはあえて語らないという。
南 :仏教はそれを最も根源的な、原理的な部分で出して見せたわけです。例えば霊魂の問題。それが”ある”もしくは”ない”と決めると危険だと。断定したことが真理や存在として固定してしまうのは非常にまずいと。なぜなら、言語というのはただの記号ではなくて、具体的にものを存在させ、周囲に影響を与えるじゃないですか。そういった力として言語を考えるということは、仏教にとって非常に大きな考え方だろうと思うんです。


無常とは、何か実質的なものが最初からあるのではない、全てはお互いの関係性(縁起)があってそういうふうに見えているだけだということ。例えば、私とかあなたとかいう実体があって、お互いが出会うわけではない。出会うことで、私とあなたが存在しているように見えるだけ。最初から右とか左という実質があるわけでなく、まんなかに線を引くことで右と左が立ち上がるということ。この世は無常ということで、私という実体がない、あれもないこれもないと言うだけでは、不充分。じゃあ、無常を引き受けてどう生きるか考えるのが修行。

南 :人は星を見ていると思っているが、それが光り輝いているのは暗黒があるからでしょう。しかし、その暗黒に意味があるのかというとそれは違う。暗黒というのは、おそらく手に負えないもので、それをどうにかしようと思っちゃいけない。だから私は、断念すべきところは断念しなきゃダメだと思うんですよ。どこかであきらめる。明らかに見て断念する。それでもなお、生きるようにする工夫が必要だと思うんです。

人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書)

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