錯覚する脳 「おいしい」も「痛い」も幻想だった
著者の前野隆司さんは、ロボットや触覚について研究している方。著者の「受動意識仮説」(意識は、無意識の脳の働きが作り上げたイリュージョン、意識は行動の原因ではなく、無意識が行った処理の結果)を説明するために、前半では、触覚、聴覚、視覚などの感覚が脳が情報処理して作り上げた幻想であることを詳細に議論する。
はっと、思ったのは聴覚についてのお話。音は、空気の振動を鼓膜から蝸牛体のなかのリンパ液の振動につたえてそこで、振動数やら振幅幅を細胞が感じ取って脳に伝えている。音を感じているのは耳の奥であるはずなのに、人と会話しているときは、その人の声はその人の口から発せられているようにしか聞こえない。そのようにしか自分には感じられない。これは、脳が両耳の奥からの信号を処理して音源から音が出ているように意識させているからだ。人が生存していくのに都合がいいように無意識のうちに処理された情報の結果を意識が受け取っている。それは聴覚も視覚も触覚もみんな同じ。
そんな風に考えると、自分が確かに感じているこの世界の感覚が足下からぐらついてくる。無意識が処理する前の世界はどんな感じなのか? そもそもそんなものがあるのか? すべての感覚を統合して感じている、自分が自分であるという意識は、脳がつくりあげた幻想に過ぎないのか?
本書の後半では、意識がその程度のものであるから自分の感覚やそこから生じる欲望にとらわれるなという、仏教の「空」や「無常」の考え方に話がつながっていきます。
そういえば、「日常生活のなかの禅」(南直哉著、講談社選書メチエ)に、悟りを開いた直後の釈尊の思想として次のような経典の引用があった。
これがあるときにこれがある。これが生ずるときにこれが生する。すなわち、無明(無知)によって行(迷いの生活行為)があり、行によって識(こころ)があり、識によって名色(個体を成す心身)があり、名色によって六処(心がそれを通じて外界を近くする六つの領域)があり、六処によって触(内なる心と外界の接触)があり、触によって受(心による外界の感受)があり、受によって愛(渇きのごとき強い欲望)があり、愛によって取(執着)があり、取によって有(迷いの生存)があり、有によって生(出生)があり、生によって老い・死・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悶えが生ずる。この苦の集まりである人間存在はそのようにして起こるのである。
意識受動仮説と仏教がつながってきた。
錯覚する脳: 「おいしい」も「痛い」も幻想だった (ちくま文庫)
- 作者: 前野隆司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/09/07
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