江戸散歩 上下
三遊亭圓生が、東京に江戸の面影がまだ残っていた頃の様子や、その頃にたくさんあった寄席や芸人さんの思い出話を語る。圓生が編集者に語った内容を文字に起こしたものなので、読んでいるうちに圓生の落語の語り口が頭の中に自然に再生され心地よい。
三遊亭圓生は1900年に生まれ1979年に亡くなっている。子供の頃というのは1910年頃のこと。明治維新から40年ほどしか経っていない。関東大震災の前なので江戸の雰囲気がまだ色濃く残っていたんだろう。魚河岸は築地に移転する前、日本橋にあった。丸の内から日比谷あたりは三菱ヶ原と呼ばれるほどに何にもない原っぱだった。その頃の東京の中心は、日本橋、人形町あたり。一番の繁華街は、広瀬中佐の銅像が立つ万世橋駅、神田須田町あたりで、四谷の寄席に行くといえば交通の便の悪い郊外で嫌がられ、新宿は片田舎、中野あたりは別荘地だったという。
YouTubeで圓生の落語を見ると、口調や所作に鷹揚な独特の雰囲気がある。茶碗を手元に引き寄せてお茶をすすったり、懐から懐紙を取り出して口を拭う仕草など、江戸の余韻の中で育った人は違う。日本橋に魚河岸があった頃を知っている人にとっては、築地市場が豊洲に移転して、魚河岸の伝統が云々などと言っているのがちゃんちゃらおかしいだろう。築地だってたった80年前に当時最新の施設として新設されたものだ。