旅の効用 人はなぜ移動するのか

この本の著者、ペール・アンディションはスウェーデンの人。若い頃からバックパッカーとして旅を重ねて、旅をテーマにした小説やエッセイを書いたり、旅行雑誌を発行したりしている。インドのムンバイが好きで何度も通っている。ムンバイに滞在して市場や路地の雑踏を徘徊するのが好きらしい。この本は、列車旅、ヒッチハイク、徘徊癖、旅行記、旅行中の妙な高揚感、など、長期間ひとり旅をしたことがある人なら、ピンとくるあれこれを綴ったエッセイ集。

 

 私は、海外放浪旅はしたことがない。学生時代にタイに行ってみたいと思い立ち、タイと日本の友好協会のような団体が開催しているタイ語教室に通ったことはある。週1回の教室を半年間欠かさず出席し、タイの国王の誕生日をお祝いするパーティーにも参加した。そこで食べたさつま揚げ風の食べ物が美味しかった記憶だけは残っている。その教室で旅行会社の人とも仲良くなり、今度一緒にタイに行きましょうなどと盛り上がり、地球の歩き方を買ってプランを練ったりもしたが、私がやれ、大学の授業が、とか、お金がないとか言っているうちに立ち消えになり、結局、今に至るまで一度もタイには行ったことがない。思い立った時に行っておけば良かった。

 

ただ、国内をオートバイで周っていたことがある。一番長かったのは、春休みに四国、九州、屋久島を1ヶ月くらい野宿しながら徘徊した。この本の中で著者が書いている、旅行中のどうしようもない孤独感、それとは反対に、人に優しくしてもらった時の、人っていいなぁという全面的な信頼感。その両端を行ったり来たりする心の振れ幅の大きさ。などを思い出しながら読んだ。

 

「世界の旅行記を旅する」では、ブルース・チャトウィンが登場する。チャトウィンと言えば「パタゴニア」。パタゴニアに住む奇妙な人々を訪ねる、半分フィクション、半分事実のような不思議な旅行記。1990年だったか、学生時代にたまたま本屋で手にとり、夢中になって読んだ。今もその本は、本棚の一番目立つところに大事に置いている。強烈が風が吹くばかりの世界の最果ての原野、そこへ様々な事情で逃れてきた人々の物語。旅に出たいという気持ちをくすぐりまくる。

 

旅行記といえば、もう一つ私が好きなのは、関川夏央の「ソウルの練習問題」。こちらは高校生の時に読んだ。軍事体制下の韓国を日本人がひとりで徘徊するという当時珍しい旅行記。著者が、全く理解できないハングルの海に酔いそうになるという感覚は、30年後に初めてソウルに行って、夜中に明洞を徘徊していたら道に迷って帰るホテルがわからなくなった時に体験した。

 

ここ20年ばかり、ふらっと旅に出たいという気持ちになることはなかったのだが、長男が家を出て、娘が高校生になって手が離れたからなのか、ひとり旅がしたいという気持ちになってきた。学生ではないので海外を1年かけて放浪することもできない。今やりたいと思っているのは、観光地でもなんでもない、特に特徴もない街に3日くらい滞在して、暮らすようにぶらぶらするような旅だ。散歩して地元の図書館にで暇つぶしして、銭湯にでも入って、夜はなんでもない居酒屋に入って、なんなら散髪して帰ってくるだけの旅。

 

そういえば、吉田健一に「或る田舎町の魅力」という埼玉県児玉町という地方のなんでもない田舎町の旅館に泊まって、酒飲んで帰ってくるだけの旅の随筆があった。観光地のように、どうぞ見て行ってくださいと売り込んでくる五月蝿いところがないのがいいとか書いてあったような気がする。そんな、なんでもない街で暮らすような旅がしてみたいと思っている。

 

3ヶ月前なら、そんな風に思い立ったらすぐに実行できたのに、コロナウイルスの感染が拡大した今となっては、そんな旅もままならない。

旅の効用: 人はなぜ移動するのか

旅の効用: 人はなぜ移動するのか