意識とは何か 私を生成する脳

意識つながりでもう一冊。赤色の赤い感じ、「なす」という言葉で思い浮かべる、紫色のつやつやした感じをクオリアというそうです。人には伝えようにも伝えられないものです。そのクオリア:意識と同じようなものと、クオリアを持つ主体である「私」とはどっからきたのかを考察します。もちろん、これだという結論はないのですが、「ふり」についての話がおもしろかった。


コンピュータが人間と同じ思考能力を持っているかどうかを判定する方法に、チューリングテストとがあります。これは、相手を隠したまま、人間が対話をしてみて普通の人間と区別できなければ人間と同じと判断するというものです。コンピュータが完璧に人のふりをできたら、人と同じ意識をもっていることです。

さらに考えるべきことは、そもそも、「人間のような思考能力をもったコンピュータ」という問題を考えるときに、「ふり」をするという視点が不可欠なのではないかということである。

人自体も置かれた状況によって、その場にふさわしい「ふり」をしているだけ、「ふり」の連続が日々の生活ということです。子供は、ごっこ遊びを通して「ふり」を覚えます、その場にふさわしい「ふり」ができることが、正しい大人の条件です。


夕焼けの赤は誰にとっても赤なのかとか、存在するって何?とか考えてると、正しい大人の「ふり」ができなくなりそうなので適当にしときます。

意識とはなにか―「私」を生成する脳 (ちくま新書)

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