キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる

非常に面白かった。

インターネット上で個人が情報発信できるようになり、facebooktwitterでいろんな人と繋がることで何が変わるのか。ネット上の情報が爆発的に増えていく中で、個人はどうやって必要な情報をノイズの海からすくいあげていけるのか。著者の見通しが、ここ20年の音楽CDの販売状況や映画業界、アウトサイダーアートが美術界で認識されるようになるまでの流れなどの豊富な事例を駆使して丁寧に説明されていきます。


「あー、そうそう。」と共感する部分がいくつかあった。ひとつは消費についての考え方。

 そして消費がつねに、自分と社会との関係性の確認のためのツールであるとすれば、消費そのものも承認と接続への表象への変わっていかざるをえません。
 それは消費するという行為の向こう側に、他者の存在を認知し、その他者とつながり、承認してもらうというあり方。
 そういう承認と接続のツールとしての、消費。
 そしてその承認と接続は、お互いが共鳴できるという土台があってこそ成り立っていく。この「共鳴できる」「共感できる」という土台こそが、実はコンテキストにほかならない。

自分がどんなところで買い物しているのか考えてみると、生活必需品は値段重視で量販店で選ぶとしても、ちょっとしたものを買いに行くお店は、そこのオーナーや店員さんに会いたい、ちょっとお話を聞きたいと思うお店ばかりだ。酒屋さんに行けば、お酒の味についてだけでなく蔵元がどんな人とか料理についても熱くかたってくれる。スーツは、最近の流行はもちろん生地のことから仕立てかたのことまでお話を聞けるところで買った。花屋さんは、お任せで買っても花束に入っているお花について一言二言の説明を聞き、時間があれば季節の花についても教えてもらう。お店の人とつながりたくて、共感するお店や応援したいと思うお店にいっているように思う。


もうひとつは、ネットの世界でのキュレーターという考え方。


キュレーターというのは学芸員のことで、ネットの膨大な情報のなかから面白いものを見つけ出し編集して世間に提示できる人のことを指します。著者は、新聞やテレビなどのマスコミがないネットの世界では一次情報の提供者や作者に比較して、キュレーターの役割が重要になっていくといいます。確かに私も分野ごとに面白いことを書く人のブログをRSSリーダーに登録して継続して読んでいる。経済関係ならこの人、飲食店情報ならこの人、ネット関連ならこの人と大体決めています。

マスコミが果たしていたキュレーターの役割をそれぞれの専門分野の個人が担うということなんだろう。それにしても、今までのようにマスコミからの情報を口をあけてそのまま受け取っていたようなお気軽な環境ではない。自分でキュレーターを選んで、その情報を取捨選択して自分なりに編集する必要があるんだと思う。

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

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