白山ろく民俗資料館

「白山奥山人の民俗誌」という本を読んでから、一度は行ってみたいと思っていた白山ろく民俗資料館に行ってきた。国道157号を挟んで白峰の集落の反対側にある。午前10時半頃に着いたところ先客は誰もいない。入場料大人一人260円を払って、まずは屋内展示施設に入り「出作り」を説明する6分ほどのビデオを見る。集落から離れた山中に小屋を作って、その周辺でほぼ自給自足の生活をしながら畑作や養蚕などを行うことを「出作り」という。集落周辺の土地が足りないことから始まったそうだ。冬の間は集落に戻って生活するのを「季節出作り」、冬も出作り小屋に留まって生活するのを「永住出作り」という。山中奥深くに家族だけで自給自足の生活をするというところに惹かれて、一度出作り小屋がどんなものなのか実物を見たかったのだ。
 
屋内には養蚕や山仕事に使われた民具、高札、報恩講などの仏事の時の料理の模型などが展示してあった。江戸時代まで白山の登山道脇に設置されていた仏像たちも何体か展示してあった。明治の廃仏毀釈までは、白山の山頂には阿弥陀様が安置してあり、登山道にもそこかしこにお地蔵さんがあり、それらに参拝しながら登っていたそうだ。
 
次に、敷地内に移築されている建物を一軒づつ見学する。まずは、長坂家へ。こちらは、永住出作りのための小屋。小屋と行っても永住用なのでしっかりした建物、床面積28坪の私の家よりも、明らかに大きくてしっかりしている。2階建で2階部分は蚕の飼育スペースとなっている。
 
尾田家も出作り小屋だが、こちらは長坂家に比べると簡素な作りで小さめ。茅葺き屋根の一部が地面まで伸びる「ナバイ小屋」という建て方になっている。こうすることで屋内の床面積を広くとれるのだ。
 
出作り小屋は思っていた以上にしっかりとした作りだったが、風呂は小さくトイレも離れになっているので、キャンプと思えばそんなもんだが、現代の基準からは生活しづらそう。昭和45年くらいまでは出作り小屋で暮らす人がいたそうだ。江戸時代から続く生活習慣って、その頃まではかろうじて残っていたような気がする。
 
 
最後に杉原家を見学する。こちらは桑島にあった酒造業や養蚕、日用品を扱う商売もやっていたという村の有力者の家。全体が小学校の体育館くらいはありそうな大きな建物で、屋根裏を含めると3階建。こちらも2階は養蚕の作業場となっている。中に入ると女性の方がお茶でも飲んで行きなさいと、囲炉裏の周りの席を進めてくれる。お茶と一緒に稗を炒って粉にしたものにお湯を注いでものをすすめられる。これはこの辺りでおやつ代わりに食べられていたもので、箸でかき混ぜているとお湯を吸収して団子のように固まった。口に入れると、かすかに、ほんのわずか甘みを感じる。お茶と思っていたものもある植物を煎じたものでお茶の代用品だそうだ。
 
帰りに白峰温泉の総湯に浸かって、蕎麦食べて、堅豆腐と栃餅を買う。何年ぶりだろう。久しぶりに子供抜きでちょっとした旅行に出かけた気分になった。