実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方

見通しの良い交差点で何百メートル先まで1台も自動車が走っていないことが明らかな場合に、歩行者用信号が赤だったら信号を守って青になるまで待つのか、信号は無視して歩くのか。著者はこれを「アナキスト柔軟体操」と呼んで、当事者が国が定めた法律はさておいて、その場の状況に応じて臨機応変に行動を変えることができる力の試金石だとしている。
 
私の場合は、30代の頃までは、他人がいてもいなくても、じゃんじゃん信号無視して歩いていたけれど、自分の子供ができてからは、子供が真似するとまずいかと周囲を見回して小さな子供がいると大人しく信号に従うようになった。最近は、高校生もきちんと信号を守るようになり、世の中がきっちりしてきたように思う。そうなると、他人の目が気になって信号を無視すべきかどうか、その都度考えるのも面倒なので、何も考えずに信号に従うようになった。
 
歩行者用信号のことなんて、どうでもいいような小さい話だし、出るところに出れば無視する奴が悪いと叩かれるに決まっているので、そんなことにこだわるのも何かと面倒なのだが、明らかにおかしいので無視しちゃえと思えるか、否、決まりは決まりだからどんなにアホらしくても守らなければと思うか、どちらの行動を取る人が多いかは、意外と大事かもしれないと思った。
 
状況にあっていない法律は無視。と、小さな不服従に踏み出せるか、法律は法律ですからと律儀に守るのか。
 
著者は、現状に不満を抱く人々の小さな不服従合わさって大きなうねりになった時にしか世の中は変わらないという。選挙なんて国家に飼いならされた組織同士の争いでガス抜きにしかならない。支配層がこりゃまずいと真剣になるのは、デモとか暴動とかストライキとか彼らが制御できない事態になった時だけじゃないの、と言う。正当な手続きに則って法律を改正してとか、選挙を通じて主張すべきなどというのは、支配する側に都合の良い寝言。そんなこと普通の人が思い立っても、時間も金もないのでできるわけもない。
 
手間はかかるけれど、その場その場でちゃんと考えないと、と思う。 
実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方

実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方