原始仏典 第六巻 中部経典Ⅲ

 梵摩経に不思議な場面がでてくる。

 

ゴータマ尊者が悟った人であるなら、バラモン聖典で昔から伝えられている、偉大な人が持つ32の身体的特徴の全てを備えているはずなので、実際にゴータマ尊者に会って確かめに行く話だ。32のうち30は外から見てわかる特徴なので確認できたのだが、2つは外見からはわからない。それを察したゴータマ尊者は、それとなく、その2つを確認させてやったという。

 

その2つの特徴とは、広く長い舌を持っていることと、男性のしるしが体の中に隠れていること。ゴータマ尊者は舌を出して両方の耳の孔に交互にふれ、両方の鼻の孔に交互にふれて、さらに額を舌で完全に覆ってしまったそうだ。男性のしるしについては、神通力で示したとしか書かれていない。

 

長い舌を出して耳の穴を舐める釈尊の姿、不気味だ。長広舌をふるうという言い回しの語源だそうだ。ベラベラとしゃべり続ける事なのであまり良い意味ではないけれど。

 

キンティ経では、教団内での論争や仲間割れが発生した場合の対処方法が述べられている。ある人が教団の決め事を犯して、他の人に迷惑をかけるようなことがあった場合、この人を悪から立ち直らせ、善に向かわせることができるのであれば、叱責することは適切である。しかし、立ち直らせることができないのであれば、このような人に対して無関心となり、関わりを持つべきでないと説く。

 

面倒な人には近寄らないのが一番てこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真整理

 初めてデジカメを購入したのが1998年、息子が生まれた年だ。その時から今までにデジカメで撮った写真やら、2009年にiphone3Gsを導入して以来のスマホタブレットで撮った写真は、一応最新のパソコンにまとめて保存しているつもり。しかし、最近は管理がおろそかになって、スマホと同期されていなかったり、思いつきで外付けのハードディスクに保存したりとはなはだ心もとない状況だ。

 

パソコンを新しく購入するたびに引越し作業をするのもうんざりなので、Googleフォトにお任せすることにした。二日がかりで約3,000枚の写真をアップした。

 

撮影日ごとに整理されて、時系列で一覧できるので大変便利で見やすい。20年分の写真を過去から現在まで一気に見る。厳選した記念写真だけでなく、スマホで思いつきで撮ったなんでもない家の風景や、普段の子供の表情を見ていくと、その頃のことを次から次への思い出す。

 

ヨチヨチ歩きで東京の小金井公園蒸気機関車の前を歩いている息子の写真が一番古い。誕生日にケーキのろうそくを吹き消す写真。七五三で尾山神社にお参りに行った写真。幼稚園の卒園式。桜の木の前の入学式。直前に自転車で転んで骨折して三角巾で片腕をつったままの運動会。静岡の義兄家族と行った能登島での海水浴。

 

子供が小さい頃はイベントごとの記念写真が多い。息子が中学生になる頃からは、スマホで撮った黒猫の写真が増える。黒猫か食べ物の写真、散歩中に見た風景が多い。

 

赤ちゃんだった息子が大学生に成長していく過程を写真で振り返っていると、なんだか一仕事終えたような、もう、そんなにガツガツしなくてもいいかな、というような気持ちになった。

 

網戸の張り替え

1ヶ月ぶりに母親の生存確認のため実家を訪問。母は、先月から膝が痛くなって正座できなくなったとのこと。接骨院に通って痛みはほとんどなくなったが、しばらくは正座したり、ウォーキングは控えるように医者から言われているそうだ。趣味の書道は正座ができないと形にならないので書いていない。書道教室やら地域の集まりやらお寺の世話役やらと、いつも忙しすぎるくらいに動いていたので、少しのんびりしたらと話しておいた。

 

先月、網戸を取り付けた時に、掃き出し窓の網戸が1面破れていたのを見つけたので、ホームセンターで張り替え用の網と取り付け用のゴムのコードを買ってきて張り替える。アルミ製の窓枠にある3ミリほどの溝にゴムのコードとともに網を専用のローラーで押し込むだけの作業なので簡単。コツはクリップで網を窓枠にしっかりと仮止めすること。そうすれば緩むことなくピシッと張ることができる。

 

行商の魚屋さんから買ったバイ貝を煮たものと、身欠きニシンでじゃがいもとインゲンを炊いたものをおかずに昼ごはんを食べる。昼寝して夕方金沢に帰る。

 

 

トレーニング開始

今年の金沢マラソン。私は残念ながら落選でした。しかし妻が密かに申し込んでいたらしくめでたく当選。結婚して24年間、今まで彼女がジョギングや自転車など持久系のスポーツをやっているのを見たことがないし、どう大目に見てもランナー体型ではないので、本当に走る気があるのか何度も確認したところ、やれるところまで、やってみるとのこと。昨日確認したら、既に参加費の払い込み手続きも終わらせていた。

 

もうイメージトレーニングをしていて、補給食で出されるカレーをおなかいっぱい食べて、口の周りにカレーをつけた状態で、県立陸上競技場のゴールに帰ってきたいそうだ。カレーがあるのは30キロ地点なので、そこまで辿り着くのが大変だし、多分カレーを食べる余裕なぞ無いと言っても、聞かない。どうしてもそうしたいらしい。

 

今朝からトレーニングを始めた。朝6時に一緒に家を出て、私のいつも走っているコースに向かう。東山の交差点から浅野川に出て、川沿いを鈴見橋まで気持ち早歩き。帰りは調子を見ながら走ったり、歩いたりを繰り返す。1時間くらいで帰ってきた。

 

まずは15分続けて走れるようになることを目標にして、次に30分、1時間と伸ばしていくように、1時間走れるようになれば、完走も夢じゃ無いとアドバイスしときました。どこまで走れるようになるのか、心配でもあり楽しみでもあり。

魂の錬金術 全アフォリズム集

 アフォリズムとは、短い言葉で、人生・社会・文化などに関する見解を現したもの。警句、箴言、格言。

 

エリック・ホッファーは、ナチススターリン全体主義、人々が自ら進んで独裁者に熱狂する状況について何度も語っている。

プライドを与えてやれ。そうすれば、人びとはパンと水だけで生き、自分たちの搾取者をたたえ、彼らのために死をも厭わないだろう。自己放棄とは一種の物々交換である。われわれは、人間の尊厳の感覚、判断力、道徳的・審美的感覚を、プライドと引き換えに放棄する。自由であることにプライドを感じれば、われわれは自由のために命を投げ出すだろう。指導者との一体化にプライドを見出せば、ナポレオンやヒトラースターリンのような指導者に平身低頭し、彼のために死ぬ覚悟を決めるだろう。もし苦しみに栄誉があるならば、われわれは、隠された財宝を探すように殉教への道を探求するだろう。

 

ある国民の愛国的熱狂は、彼らが享受する自国の福祉や政府の公正さに、必ずしも直接呼応するものではない。ナショナリストが持つプライドは、他のさまざまなプライドと同様、自尊心の代用品になりうる。それゆえ、政府の政策や歴史的事件が、国民一人ひとりの自尊心の形成と維持を困難にするとき、国民全体のナショナリズムが一層熱烈かつ過激になるという逆説が生じる。ファシズム共産主義の体制下にある民衆が盲目的愛国心を示すのは、彼らが個々の人間として自尊心を得ることができないからである。

 

同じことを昔誰かに言われた気がする。テレビや新聞の報道や噂話で、「こいつアホか。」と思う人がいても、当事者は自分と同じ程度のことは既に考えていると思った方がいい。だから、図に乗ってバカにするなと。

人は見た目以上に頭脳明晰で、見た目ほど神経質でないと思えば、ほぼ間違うことはない。

 

これ自分のことやなと思った一言。

「何者かでありつづけている」ことへの不安から、何者にもなれない人たちがいる。

 

歳をとることは、普通になることである。老齢は人間を平等にする。われわれは、自分に起こったことが、歴史上、数え切れないほど起こってきたことに気づくからである。若いとき、われわれは世界最初の若者のように振る舞う。

 

若い若いと思っていたけれど、下手すると老人の方かも。

激烈な変化によって技術や体験が時代遅れなものになるとき、大人と青年の境界は曖昧になる。にもかかわらず、世代間対立が最も激しくなるのはおそらくこのときである。何も知らない若者たちは、絶望的な苦境に陥る。他方、老人たちは真理を保持しているという確信を失い、分別だけを説く無意味な存在となる。

 

表紙の、ちびた鉛筆を持って本の抜き書きをしている著者の写真がいい。手元に置いて、時々読み返したくなる本です。

 

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

 

 

全日本選手権個人タイムトライアルロードレース大会

息子が所属している自転車部の先輩が出場するとのことなので、観戦してきた。

 

1周13キロのコースをクラスによって1〜3週してタイムを競う。一人づつが淡々と走るだけなので退屈かと思いきや、選手の体つきやフォーム、自転車を見ているだけで結構楽しい。全日本チャンピオンが決まる大会だという緊張感もある。

 

うちの息子もいつかこんな大会で走れるようになればと思う。 

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名古屋駅の西側

久しぶりの泊りがけでの名古屋出張。名古屋駅の西側(太閤口)近くのビジネスホテルに泊まる。晩御飯を食べる場所を探して散歩がてらブラブラ歩く。この辺りは私が浪人して河合塾に通っていた頃の生活圏。それは1985年、駅から西へ10分くらい歩いたところにある寮に住んで駅前の予備校に通っていた。

 

その頃は新幹線のホームから見える場所に、河合塾代々木ゼミナール早稲田予備校の立派な校舎がそびえ立っていたものだが、今残っているのは河合塾だけ、代々木ゼミナールの校舎はホテルに、早稲田予備校の校舎もオフィスビルに改装されていた。その頃から、代ゼミの建物は生徒が減ったらいつでもホテルに改装できるようになっているという噂があったことを覚えている。子供の人数の推移を見れば、確実に予想できる未来だったので予備校の経営者にとっては織り込み済みだったのだろう。

 

その頃から、予備校生とパチンコ屋、ピンク映画に飲み屋ばかりのちょっとうらぶれた街だった。今も変わっていない。駅の近くは若い人向けの名古屋メシを売りにした店か、やきとん、串カツの店ばかり。少し落ち着いたお店はないかと探索範囲を広げて歩いてみる。

 

則武のあたりの古い商店街の一角に、インドネパール料理のお店があった。中を覗くと、お店の人はインドかネパールの人、お客も、インドの方達が8人ほどでテーブルを囲んで宴会をしている。店先の看板にあった料理の写真もおいしそうだし、値段も手頃なので入ろうかと考えたが、宴会の場に私が一人で入っていくのも気が引けてパス。

 

一旦、ホテル前まで戻って反対の方角をウロウロ。お店の入り口横にどて煮の大きな鍋がグツグツ沸いているお店を見つけた。かなり年季の入った店構え、中も雑然としていたが、女性ひとりと男二人が一組、男性の二人連れ、丸刈りだけどどう見ても妙齢の女性がひとり。狭いお店にしては賑わっていたので思い切って入ってみた。

 

どて、串カツ、酢締めのアジ、瓶ビールを注文する。どては少し臭みがあったけれど、まあまあ。串カツはバットのウスターソースに浸して食べる。酢締めのアジは2尾とボリュームたっぷり。

 

びっくりするぐらい美味しいってわけでないけれど、味のある店の佇まい、味のあるお店の女性たち、味のあるお客さんも込み込みでいい感じ。

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エリック・ホッファー自伝 構想された真実

 沖中士として働きながら著作活動を続けたことから、「沖中士の哲学者」とよばれたエリック・ホッファー。生まれてからサンフランシスコで沖中士として働くようになるまでを自ら語る。

 

18歳で父親を亡くした後は、天涯孤独となりカリフォルニに流れ着き、サクラメントで砂金堀やリンゴの収穫、ベーカーズフィールドで綿花摘み、サンノゼでオレンジの収穫などしながら生活する。時は大恐慌後の1930年代。多くの人が食い詰めてカリフォルニアに流れ着き、貨物列車にしがみついて移動しながら半分浮浪者、半分農業労働者として働いていたようだ。

 

工場や事務所で定職について安定した生活を送ることもできたはずなのに、何者にも従属したくないと生涯日雇いの労働者として働きながら、思索し執筆を続ける。そんな生き方に惹かれる。

エリック・ホッファー自伝―構想された真実

エリック・ホッファー自伝―構想された真実

 

 

湖北のおはなし

名古屋からの帰り、時間ギリギリに新幹線に飛び乗ったので、お昼ご飯を食べ損ねる。米原駅で特急しらさぎに乗り換える時にホームの売店で駅弁を買った。しらさぎには車内販売がないのだ。買ったのは「湖北のおはなし」という弁当。唐草模様の風呂敷柄の包みが目に止まった。

 

最近はデパ地下のお惣菜やコンビニのおにぎりで済ますので、いわゆる駅弁を買うのは久しぶり。どんなお弁当なのか期待に胸を膨らませながら発車時刻を待つ。駅弁はやはり電車が走り始めてから食べ始めたい。

 

風呂敷風の包み紙をあけると、弁当箱が葦簀で巻かれている。葦簀を巻き取るとこんな感じ。

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説明書きによると、鴨ローストがメインのおかず。他にも鶏肉の煮物、里芋、こんにゃくの煮物、卵焼き、赤かぶ、ぬた、煮豆など。ご飯は枝豆のおこわ。

 

特に豪華であったり、珍しいおかずが入っているわけでないけれど、丁寧に作ってある。感心したのは、ぬたのプラスチックのカップ以外は、プラスチックが使われていないこと。おこわの下には塩漬けにした桜の葉が敷いてある。鴨ローストと里芋の間にはよもぎ、卵焼きと赤カブの間は笹の葉が使われている。それぞれの葉っぱの香りが楽しい。弁当箱も木と葦簀だけでできている。

 

思いがけず、おいしい駅弁に巡り合ったちょっと得した気分で帰ってきた。

プロトコル

起床の時間は決まっていない。3時に起きて本読んだり、走りに行くこともあれば6時まで寝ていることもある。でも朝の準備は6時に始める。

 

まずは、洗面台で髭剃り。お湯で髭をふやかして、シェービングフォームをつけてカミソリで剃る。20代の頃は電動シェーバーを使ったこともあったが、剃った後のすっきり感には変えられない。

 

次に歯磨き、右下顎の奥歯から順番に下顎の左奥まで、次に上顎の左奥から順番に上顎右奥まで。次に上顎の裏側と下顎の裏側を磨く。一か所でブラシを20往復させる。その後で歯間ブラシと糸ようじとを隔日で使う。

 

ガラガラうがいを3回して鼻をかむ。これは10年前に蓄膿症で頭が痛くなってからの習慣。

 

洗口液でクチュクチュうがいを2回。今は「Concool」という水で薄めて使うタイプを使っている。

 

髪を濡らしてブラシで整える。少し薄くなって放置するともしゃもしゃの無残な姿になるので。

 

次に壁に向かってスクワット15回。プランク90秒。

 

仕事着に着替えて、カバンに財布と携帯電話、iPadを入れてから、朝食に臨む。ここまででほぼ30分。

 

どんなに二日酔いがひどくて気分が落ち込んでいても、不思議とここまでくると今日もなんとか頑張ろう、とりあえず会社に行かなくては、という気になるのが不思議だ。

勉強

うちの娘(中3)は、数学と理科が苦手だ。中1の時には定期テストで30点台の成績だったこともある。3年生になってからは、さすがにまずいと思っているのか、テレビを見る時間を少し減らして、自分の部屋で机に向かう時間が増えた。

 

勉強してわからないことがあると、時々私に質問するようにもなった。中学生とは言えど、問題集をいきなり突きつけられてもわからない問題もある。そんな時は教科書を読んで、一緒に基本となる知識を確認してから、問題を解くようにしている。わからない者どうしで、そもそものところまで立ち返りながら考えるのが、わかりやすいのか、今月に入ってから夜の理科と数学の勉強会が定着してきた。

 

先週はフレミングの電磁誘導の法則をやった。電流と磁場と力の方向は左手の形で覚えるしかない。あとは問題に当てはめてどうやって解くかという話で、娘も割り切って淡々とこなしていた。

 

昨日は、人体の血液循環について、意味がよくわからないと行ってきた。血液の流れには、心臓から全身に行って戻ってくる「体循環」と、全身から戻ってきた血液が心臓から肺に入って再び心臓に戻る、「肺循環」とがあるというのは、多分昔勉強したはずなのだろうけれど、すっかり忘れていて。私も新しい知識に出会ったかのような新鮮な感覚だった。血液で全身に酸素や栄養を送りつつ、二酸化炭素や老廃物を回収する。肝臓や腎臓で血液の処理をしつつ、心臓に戻ってきた血液は、一旦肺へ送り込んで酸素を取り込んでから、再び全身に送る。血液の肺への流路が別回路となっているところが効率よく酸素を取り込むという意味で優れもの。という仕組みを説明したら、娘はようやく納得したような顔をしていた。

 

数学の一次関数もよくわかっていないようだった。2点の座標を与えられて、その2点を通る一次関数を求める問題では、いきなり連立方程式に落とし込んで解いていたので、大きな紙にグラフを描いて直線の傾きと切片の大体のイメージを掴んでから、式を解くようにアドバイスした。うまくすればグラフを見ただけで答えが見えるよ。と。

 

一緒に勉強していて、「はぁー。そういうことやったんか。」と理解して表情がパッと明るくなる瞬間の娘の表情を見るのが楽しみで、晩酌を控えめにして、いつでも質問に受けて立てるようにしている。

 

 

波止場日記

 エリック・ホッファーは1902年にニューヨークでドイツ移民の子として生まれる。7歳の時に母と死別し同じ年に視力をほとんど失ってしまう。15歳の時に再び突然視力を回復し、取り憑かれたように読書にのめり込む。一日10時間とか12時間も本を読んでいたそうだ。18歳の時には父親も亡くして一人っきりになってしまう。その後は、カリフォルニアに移住し、渡りの農場労働者や港湾労働者として働きながら読書と思索の日々を過ごす。

 

この「波止場日記」は1958年6月から1959年5月までの日記をまとめたもの。当時はサンフランシスコに住み、港湾労働者(沖中士)として働きながら著作活動をしていた。

 

印象に残った言葉を抜き書き。

世間は私に対して何ら尽くす義務はない、という確信からかすかな喜びを得ている。私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが私にとっては生活のすべてである。

 

人々にまじって生活しながら、しかも孤独でいる。これが、創造にとって最適な状況である。このような状況は都会にはあるけれども村とか小さな町にはない。創造的状況の他の構成要素は、きまりきったこと、刺激のなさ、さらに少々の退屈と嫌悪などである。

 

ほとんどすべてのユートピアは、実現の機会をうると多かれ少なかれ統制された社会秩序になってしまうのはどうしてなのか。理想的な社会は、家族、教会、学校、軍隊のどれを手本にしたものであろうと、結局、牢獄をモデルにしたものになってしまう。

 

自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。

 

自らを「ミスフィット(不適応者)」と位置づけ、安定した職に就くことを拒否して日雇い労働者として暮らしながら著作活動を続けたという。他の本も読んでみようと思った。

 

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ

素粒子の位置と速度との両方を正確に観測することはできない。電子のスピンは計測されるまでは不定である。スピンを計測することで始めて上向き、もしくは下向きのスピンが現れる。光は光子という粒子の性質と波の性質とを併せ持つ。どちらで立ち現れるかは観測する人が何をかんそくしようとするかしだいだ。二重スリットの干渉縞を見ようとすれば波として現れる。どちらのスリットを通るか観測しようとすれば粒子として現れる。

 

というような、常人には理解し難い量子力学の奇妙なところを、理解できるようにと一冊を費やして解説した本です。結局、古典物理の世界のように生活実感として理解はできないのだけれど、どう付き合えばいいかが少しわかったような気がする。

 

量子力学コペンハーゲン解釈とは、観測されてわかったことが全てである。その裏に因果関係やらモデルを勝手に想像して組み立て、観測される前はどうだったとか、この先どうなるかと推測する意味はない。なんらかの実在があって、それを観測することで何かが明らかになるのではなく、観測されるまえは不定だ、確率としてしか記述できない。という、ある意味禁欲的な態度を取り続けるということのようだ。

 

うまく利用できて、現実にも合っているのだから、生活実感として解釈がしっくりこないからといって気にする必要ないというのだが、やっぱりよくわかりません。

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ 新装版

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ 新装版

 

 

 

ふがいない9年間

高校の3年間、予備校1年、大学は1年留年して5年間で合計9年間。ふがいない9年間だった。

 

高校の時は全く授業についていけず、そのうちにやる気もなくなって、勉強もせず、夜に犀川の河川敷を寺町から片町まで徘徊して帰ってくる毎日。浪人中は寮を9時に追い出されるけれど、予備校には行かずに名古屋駅周辺や栄の地下の迷宮を夕方まで往ったり来たり。マンガ喫茶や映画館で夕方まで過ごす。時には名鉄電車の終点まで行って帰ってくる。大学は2年間はなんとか通ったが、そのまま順調に卒業して会社勤めするのかと思うと、あほらしくもあり、不安でもあり大学に行くの止めた。何かやればまだしも全く何もしない。朝起きて喫茶店でマンガ読みながら朝飯食べて、中之島の図書館にいって、浮浪者のおじさんと並んで夕方まで本を読んで時間をつぶす。その時に読んだ、宮本常一の「日本残酷物語」は今も覚えている。でも他は何を読んだのか忘れた。

 

半年くらいしてこれではダメだと思いバイトを始める。人と話さなくてもいい仕事、工事現場や引っ越しが多かった。あとデパートの模様替えなど夜中の仕事。工事現場は楽しかった。一日体を動かした達成感とともに飲むビールはうまい。交通量調査は短期間で現金をたくさんもらえるので続けて行った。仕事を詰め込み過ぎて、72時間連続調査となり最後は寝不足で幻覚が見えた。

 

2か月ほどバイトしてためたお金でオートバイとキャンプ道具を買って、四国と九州をまわる。世界遺産になる前の屋久島にも行った。四国の宇和島市近くの小さな港にバイクを止めて、海を見ながら休憩していたら、地元の国会議員の秘書と名乗る人が声をかけてくれてしばらく話しこんだ。何かあったら訪ねてきなさいと言って、名刺とバイクに乗せきれないくらいのたくさんのミカンをもらった。

 

旅が何かを変えたのか、帰ってきたら憑き物がとれたように、「やっぱり大学行こ。」という気になり、1年遅れの3年生から始めてなんとか卒業した。走り去るバブルの後ろ髪にしがみついてなんとか就職した。

 

キラキラと輝いてるはずの高校大学時代に、何かを成し遂げようという気もなく、あてもなく只ぶらぶらと徘徊してばかりいた。今もその癖が治らないのか、ちょっと面倒なことがあると、仕事を早退して一人で街をぶらぶらしている。今もふがいない。

丸の内

土曜の朝、出光美術館で宗磁展を見物。砧青磁もいいけれど耀州窯のオリーブグリーンもいいなとつぶやきながら、皇居に面した休憩スペースでお茶をすするなどして1時間ほど滞在。

 

美術館を出て、日比谷から東京駅まで丸の内中通りを歩く。丸の内といえばオフィス街のイメージしかなかったけれど、ファッション関係のお店やらレストランがたくさん並んでいて、並木も綺麗で誰でも座れるテーブルと椅子もある。気持ちのいい街になっていました。

 

エシレバターのお店の前は開店前から長蛇の列。東京の人はそんなにバターが好きなのか。

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