中国の歴史6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代

中国の中高生は、歴史の勉強で覚えることたくさんあって大変だということを実感する。隋の時代といえば、日本では推古天皇とか聖徳太子の時代。ようやく文字による記録がある程度まとまって作成され、日本の中高生はこのあたりから年代や人物名を覚えなければいけなくなる。一方、中国は、周の時代(紀元前1000年ごろ)には文字があるので、隋までで既に1000年以上の記録がある。
 
あたりまえのことだが、この本で認識を新たにしたのは、遣隋使や遣唐使など国の公式の使節を送っているのは、当時の政府の気まぐれで派遣しているのでなく、東アジア全体の政治情勢を勘案して、一番効果的な時期をねらって送り込んでいること。大陸とは交易など非公式の行き来が盛んだったようで、ちゃんと情報収集した上で遣唐使の派遣を決断している。そして、何も日本だけが特殊なわけでない。ベトナム朝鮮半島、西域の国々など、中国の周辺諸国と同じように、朝貢関係を結んでいる。日本史として日本からの視点からだけ考えていると、荒波を超えて遣隋使派遣してすごい。というような感覚になるが、隋唐からみれば数ある周辺国のひとつ。時代の流れのままにやるべきことをやったのだと、少し肩の力が抜けた状態で受け止められる。
 
唐から見れば、朝鮮半島高句麗を牽制するためには、高句麗と対立関係にある日本とは仲良くしておこうというという考えがあったようだ。これは、北方の異民族を懐柔したり仲間割れさせるために、外交政策を駆使して各民族と関係を結んだのと同じようなことだ。