ランニング:天神坂を登って石引通りを金沢城へ

息子を成人式の会場へ、娘を模試の会場へ車で送り届けてから、ランニングに出かけた。金沢の冬にはありえないピカピカの晴天。家にこもっている理由がない。

 

お酒を控えているからと、毎日アイスやチョコレートを食べたせいで体重が少し増えてしまい、年末年始とほとんど体を動かしていないので体が鈍っているので、ゆっくりと一歩一歩感触を確かめるように走り始める。小橋から浅野川の左岸を遡って橋場町へ。橋場町の北國銀行横の道に入り道なりに賢坂辻へ。賢坂辻から金沢マラソンのコースに入り古い街並みを眺めながら小立野台地の麓に沿って走る。椿原天満宮から天神坂を登って美大の脇に出る。石引の通りを下って兼六園へ、中には入らず石川門から金沢城を突っ切って、大手町、彦三から小橋に戻る。だいたい1時間。

 

石引は近くにスーパーがないので普段の買い物は不便で、今は寂れた感じだけれど、香林坊や片町まで歩いていけるし、台地の上に街がぎゅっと凝縮されていて雰囲気があって好きな場所だ。

 

Mac Book Pro (mid 2012) のバッテリー交換、ACアダプター代替品の購入

2012年に息子用に購入したMac Book Pro。 大学進学を機に息子は最新のMac Bookを買ったので、今は私が使っている。7年が経過したけれど、私が駄文を入力したり、ネットを徘徊するくらいなら今もなんの問題もなく使える。問題はバッテリーがかなりへたってきたことと、ACアダプターのコードの付け根の部分の被服が劣化して割れてしまったこと。中の電線が見えている。

 

今後3年くらいは使い続けたいので買うことにした。ただ、どちらも純正品は高い。アマゾンで代替品を探すと、バッテリーは7,200円、ACアダプターは2,000円で入手できた。バッテリーに同梱されていた専用のドライバーで筐体の底のネジ外すとカバーが簡単に外れた。あとはバッテリーを止めている2箇所のネジを外して、コネクター抜いて、代替品と交換するだけ。10分程度で作業は完了した。

 

バッテリーもACアダプターも今のところ問題なく働いている。

 

 

牛鍋風

娘と二人だけの日曜日の晩御飯。何を食べようかと考える。知り合いからもらった葱が大量にあるので早く食べないと干からびてしまう。娘は葱が好きなので、牛鍋風のものを作ってみることにした。素直にすき焼きにすればいいのだろうが、甘くこってりした脂っこい肉を食べたい気分でない。もうちょっと汁気が多くて、スッキリした味、そう、肉たっぷりの肉うどんのうどん抜きのようなイメージ。

 

葱3本を3センチほどの筒切りにして鍋に並べる。その周りに牛肉の薄切りを配置。火にかけて、肉と葱に火がとおていい香りがしてきたところに、だしつゆの本をかけうどんに使う濃度に薄めて鍋に注ぐ。酒をドボドボ、みりんを少し追加。食材入れに中途半端に残っていた葛切りと麩も投入。あくを取りながら煮込んで葱が柔らかくなったところで完成。

 

熱々をそれぞれが小皿に取って食べる。よく火が通った葱のぬるっとした食感がいい。肉もあっさりして食べやすい。娘にも好評だった。具を全部食べ終わったら、残った汁にご飯を入れて雑炊にした。仕上げに溶き卵を入れた。

 

材料は2種類だけ、調理時間も20分程度と手間もかからない。葱をたくさん食べ他ので体がほっかほかだ。

f:id:benton:20190113191818j:image

f:id:benton:20190113191829j:image

レモンカード

年末に広島のおばさんから母へ沢山のレモンが届いた。庭の木になったものだそうだ。

 

そのレモン5個を母からもらってきた。冷蔵庫に入れておいても干からびるばかりなので早く使ってしまいたい。ジャムにしようか、はちみつレモンにしようか、塩レモンも面白そうと思案していたらレモンカードを思い出した。

 

去年の3月まで、金沢市の武藏が辻にあった、「OH LIFE」というスープと自家製パンを出すお店でフレンチトーストを食べたら、レモンカードが添えられていたのだ。濃厚なフレンチトーストにレモンカードの酸味が合わさって美味しかった。

 

今回はこちらのサイトを参考に作ってみた。

 

材料は、レモン2個、バター100グラムにグラニュー糖200グラム、卵2個。レモンに対して、げっと思うくらいバターと砂糖の分量が多い。少し減らしたい誘惑に駆られるが初めてなのでレシピ通りに準備する。グラニュー糖がなかったので甜菜糖で代用。

 

材料を全て鍋に入れて20分ほど湯煎にかけて完成。煮詰まってくるとどろっとして木べらでかき混ぜた時に鍋の底が一瞬見えるようになる。さらに時間が経つと鍋肌にレモンカードがこびりつくようになる。こうなったら完成。熱々のレモンカードを熱湯消毒した瓶に詰める。

 

レモンが少ないかなと思ったけれど、鍋肌に残ったレモンカードを舐めてみると、酸味は十分。酸味とバターのコク、砂糖の甘みのバランスが絶妙だった。明日の朝、トーストにのせて食べるのが楽しみだ。

 

完成したレモンカード。思いの外たくさんできた。

f:id:benton:20190113133630j:image

 

材料を全て鍋に入れたところ。四角いのはバター。上はレモンの皮の黄色いところを擦りおろしたもの。レモンカードが出来上がったら火からおろして混ぜる。

f:id:benton:20190113133644j:image

成人式

地域の公民館主催の成人式に参加するために、東京から息子が帰ってきた。

 

私は20歳の頃、いじけて世間を斜めに見ていて、「成人式なんかアホくさ。」と思っていたので、親に散々言われてけれど参加しなかった。成人式には全くこだわりは無く、息子には成人式あるけど出たければ出ればと伝えていた。一方、妻は振袖をきて写真撮って、両親にもきちんと祝ってもらったらしく、息子には人生の一つの区切りだから成人式には何があっても出席しなさいと強く勧めていたようだ。

 

成人式は日曜日の午前中にホテルで式典があって、引き続き昼食会も行われる。式典には親も出席していいらしく、妻は出かけると張り切っている。その日の夜は息子と同じ小学校に通っていた母親たちの呑み会、月曜日には同じ幼稚園に通っていた母親たちのランチ会があって旧交を温めるそうだ。成人式の主役よりも母親達が盛り上がっているのを見て、なんだかなぁと思っていた。

 

ただ、よく考えると、子供が小さい頃は子育てのほとんど全てを、幼稚園の送り迎えから幼稚園の行事、小学校のPTA活動などを妻に任せっきりだった。私は仕事にかまけて遠巻きに眺めるばかりだった。そう思うと妻にとって成人式は、子育てが完了した大事な節目なんだろう、私にとっての重要さとは全然違うのかもしれないと思った。だから呑み会にもランチ会にも気持ちよく送り出そうと思った。

 

卵雑炊

土曜日の朝、5時に起きて白湯を飲みながら新聞読む。新聞を読み終わって6時になっても誰も起きてこない。お腹も空いてきたので朝飯を作る。冷蔵庫をチェックすると冷凍ご飯がたくさんあったので、雑炊を作ることにした。具は白菜と油揚げ。鍋にだしパックと昆布を入れ煮立ったら醤油と塩で味付けして、刻んだ油揚げと白菜を投入する。しばらくしたら冷凍ご飯を放り込んで煮る。

 

ご飯が十分にふやけたら出来上がり。味見したらあっさりしすぎて物足りなかったので、溶き卵を入れた。卵を入れたら、全部が卵の味になって白菜も油揚げも存在感なくなってしまい、どうしたいのかよくわからない少し残念な雑炊になってしまった。

 

平成が始まった頃 その2

 オートバイにキャンプ道具一式を積んで、大阪を出発したのは3月初旬。明石から、たこフェリーに乗って淡路島に渡り、島を縦断して鳴門海峡大橋から徳島へ。1日目はずっと雨が降っていて、吉野川のとある橋の下にテントを設営した。何しろ初めてのひとりテント泊だったので、ちょっとした物音が気になってほとんど眠れなかった。そのあとは四国の海岸沿いに沿って南下して室戸岬高知市足摺岬宿毛宇和島、大洲、佐田岬半島の先端まで行く。宿毛では小さな漁港の船溜りで海を眺めながら日向ぼっこをしていると、国会議員の秘書をやってるという人が声をかけてくれて、30分くらい話し込んだ。内容は覚えていないけれど、名刺を渡され、何か困ったことがあったら連絡するように言ってくれた。別れ際に、地元のみかんをレジ袋3つ分くらいもらい、カバンに入りきらず、袋をハンドルにぶら下げてバイクを走らせた。フェリーで九州へ。九州も時計回りでぐるっと一周。途中で屋久島にも渡った。フェリー乗り場では、仕事で島に渡る建設業の方に、「トラックの荷台に乗せようか、そうすればフェリー代が安く上がるよ。」と声をかけてもらい、お言葉に甘えて乗っけてもらった。3週間ぶりに下宿に帰ってきた時には、料金未払いで電気を止められて、自宅に帰ってきても一晩ヘッドライト点けてキャンプだったのは往生した。

 

野宿生活で毎日体を動かして、嫌が応にも人と会って話をしたおかげで、憑き物が取れたように気持ちが軽くなりなんとか大学に戻れた。

平成が始まった頃 その1

平成が始まったのは1989年。私は22歳。留年して2回目の大学2年生をやっていた。その前年の大学2年の前期までは真面目に授業に出席して順調に単位をとっていたのだが、9月ごろから、こんなことしていたらダメや、と突然全てがアホらしくなり。下宿に3ヶ月ほど引きこもっていた。昼頃に起きて近所の喫茶店に行って雑誌を読みながら昼飯食べて、図書館に行って閉館まで本を読んで、スーパーで晩飯のおかずと酒を買って下宿に戻り、夜中までひたすら本を読んでいた。そうやって暮らしているうちに、心がどんどん内向きになって誰とも会話ない日々を過ごしていた。1月になって、さすがにこれはまずいと思ったけれど、大学には行く気がしないので、とりあえずアルバイトを始めた。扇町公園の近くにある学生へアルバイトを斡旋する人足寄場のような所へ行った。壁一面の黒板にその日の求人が書き出してあり、係りの人がでは1番の仕事やりたい人と声をかけると、やりたい人が手をあげる。希望者が多いときはじゃんけんで決めるのだ。じゃんけんをしている間にも、次々と仕事が読み上げられる。時給が良くて楽そうな仕事は希望者が多いので競争率が高い。下手にそんな仕事にエントリーしてじゃんけんに負けると、その日は仕事にあぶれてしまう。何回か通ううちに、肉体労働で体力的にきつい仕事、でも時給はいい仕事が自分には合ってるし、競争率も低いことに気がついた。引越しや工事現場、夜中にデパートの催事場の模様替えをする仕事は時給が高いし、仕事終わりの達成感があって良かった。そんな時にたまたま出会ったのが、騒音測定の仕事。交差点や工事現場の近くに装置をセットし、12時間とか24時間、長いところでは48時間、騒音を測定するのだ。測定すると言っても、毎正時に装置のスイッチをオンにして測定開始。10分経ったらオフにすする。現場によってはその間に交通量調査をすることもある。ただそれだけ。残りの50分間は、ただ装置の番をしてそこにいるだけでいいのだ。暑さ寒さの対策さえしっかりしておけば、本を読む時間はたっぷりあるし、人と話す必要もない。しかも、24時間で2万円以上もらえるのだ。当時はバブル絶頂、関西では関西空港の埋め立て工事と、明石海峡大橋の建設工事が並行して勧められていた。関西空港の埋め立て用の土砂を採取していた和歌山県の加太にも、明石海峡大橋ケーソンの工事現場にも騒音測定に行った。それこそ仕事はいくらでもあった。一度は調子に乗って、24時間の現場の直後に48時間の現場を入れた。さすがに睡眠不足で最後はフラフラになった。でも72時間で7万円もらえるのはありがたかった。淡路島の高速道路の脇に1週間泊まり込みで騒音を測ったこともある。近所の人が哀れに思ったのか、毎日太巻きを2本持ってきてくれた。最初はありがたくいただいていたが、3日目以降は太巻きを見るだけで胸が酸っぱくなり往生した。確か1週間で10万円以上もらったと思う。

 

大学も行かずにバイトばかりしているので、どんどんお金がたまる。そのお金20万円くらいで中古のバイクを買った。5万円くらいでキャンプ道具一式を買った。そして3月に旅に出た。

早退して散髪へ

息子がインフルエンザとともに帰省して、次の日には妻も発熱して寝込んでしまうという、ドタバタの正月休みだったので、年末に散髪に行きそびれた。襟足が伸びて耳にかかるようになり、最近とみに毛量が少なくなっているからなのか、中途半端に伸びた髪がまだらに見えてみすぼらしい。煩わしさに我慢できなくなって2時間早退して散髪してきた。

 

平日なので空いているかと思いきや、15分後に予約のお客さんが来るという。1時間待ちかなと思っていたら、お客さんが来る前にチャチャッとやってくれるという。お言葉に甘えて、鏡の前に座る。もう15年通っている床屋さんなので、いつもの通りで、とお願いする。バリカンで後ろと側面を刈り上げ、頭頂部を挟みで刈り込んで鋤いてもらう。ほぼ丸刈りに近い。息子のことや正月休みのことなどをボソボソと話しながら刈ってもらう。その中で、例年だと年末の30日、31日はものすごく忙しいのだけど、今年はどういうわけか暇だったそうだ。その代わりに年が明けて1月5日、6日が忙しかったらしい。床屋のご主人が言うには、正月を髪を切って心新たに迎える習慣がなくなったのかもしれない。確かに正月を特別な気持ちで迎えようという雰囲気は、年々薄まっている。うちも年末の大掃除は年々簡素化して、今年は台所の換気扇とレンジ周りを少しやっただけで、窓拭きもしなかった。年賀状は親戚向けに10枚くらい書くだけ。今年はテレビCMでも正月向けの特別なものが少なかったような気がする。子供の頃は正月だから新しい下着で迎えなければと、母親に無理やり新しいパンツをはかされたことを思い出す。

 

大掃除だ年賀状だ、おせち料理の準備だと、年末を無理してあたふた過ごして疲れ果てる必要もないと思う気持ちが一方ではあるが、正月が年に何回かの長期休暇のうちの一つになってしまうのもさみしい。

 

髪を切り終わり、奥さんにシャンプーをしてもらう。椅子を後ろに倒して洗ってもらう。他人の手で、入念に洗ってらうのは気持ちがいい。洗髪後の頭皮マッサージがいつもより入念なのは、髪が薄くなっているからなのかと、いらん心配をする。

 

次に髭そり。私にとって髭剃りは床屋での最大の楽しみ。髭一本も残すまじ、という気合いで皮膚を右に引っ張り、左に引っ張りしながら丁寧に剃ってもらえるのが嬉しい。絶対に自分ではできない。

 

1月から髭剃りが100円値上がりしたとのことで、お会計は4,320円。安くはないので、ちょっといいバリカン買って自分で刈ろうかと、年に1回くらい考えるのだが、髭剃りの心地よさに惹かれて、月に1回、いや3週に1回のペースで通っている。 

自作弁当

ここ半年くらい、昼飯は職場近くのセブンイレブンのおにぎり、サンドイッチ、ほっともっとののり弁当のローテーションで過ごしてきたのだが、さすがに飽きた。正月休み明けから自作の弁当を食べている。自作というほどでもないくらい簡単な弁当だ。昨日は、ステンレス製の小さな細長い弁当箱に白飯を詰め込んで、削り節をたっぷりとのせて醤油をさっと回しかけて出来上がり。今朝は、白飯に紫蘇の粉とすりゴマをかけ、その上に朝飯のおかずのソーセージを1本のせた。コンビニのおにぎりを食べることを思えば、これだけで十分満足できる。

 

洗い物が増えるのが嫌なので箸箱は使わない。弁当箱と箸を小風呂敷で包むだけ。おむすびもいいのだが、おむすびは手でつかんで、口に放り込んで、パクパクパクと三口で食事が終わってしまう。小風呂敷を広げて弁当箱をセットして蓋を開けていただきますと心の中で唱えて箸を使って、少しずつ冷や飯を口に入れて、じっくりと噛みしめるほうが、よりご飯の味がわかるし、より食事らしい動作になる。

 

明日も弁当にしよう。明日は白飯に味噌をのせてみよう。

 

解脱寸前 究極の悟りへの道

著者は、あとがきで仏教の修行というのは突き詰めると、

1 刻一刻と内側の変化を心身両面で観察し、

2 集中の練習をし

3 無執着の平常心

を会得すること、以上。とまとめてしまう。ただし頭で理解するだけでは意味がなくて、日々の修行によって実践できるようにすることが大事。

 

私が意志の力でやっている。と思っているものは全て気のせいだという。体や脳が反応したものを事後に意識が報告を受けるだけ。反応の仕方には人それぞれの傾向があり、何も考えないでいるとその傾向に流されて、機械のように自動的に反応してしまう。

 

その自動的な反応を変えるためには、心と体の微細な変化に気づくことが必要。目から、耳から、皮膚から、様々な信号が次から次へともたらされると、その信号に対して、細胞レベルで、好き or 嫌いを評価し続けている。嫌いなものを見ると心の奥底で、かすかにイラっとしているはず。まずは、その変化に気づく。気づいたなら、そのイラっとした感覚に集中する。グッと集中すると、そのイラっとした感覚が治ってくる。そうなったら、次にそのイラっとした感覚を「どうでも良いや」と手放す。これで、穏やかな平常心を保てるそうだ。

 

今朝は3時に目が覚めてしまい、正月休み明けの憂鬱な気持ちに翻弄されそうだったので、早速、坐ってみた。呼吸に集中しようとするものの、仕事の段取りを考えてみたり、あの仕事面倒くさいとイライラしてみたり、無駄に過ごしてしまった正月休みを悔やんでみたりと、それこそコンマ1秒単位で次から次と色々な考えが湧いて出てくる。それでも、20分ほど経過すると数十秒くらいは呼吸と体の感覚に集中できるようになった。今日はここまで。鏡のように心が静まったというわけではないけれど、不安に苛まれた焦燥感は少し軽くなった。

 

不思議なもので、顔洗って髭剃っって、歯を磨いて、着替えて・・・・。といつものように朝の準備を淡々として、自転車に乗って仕事場に着くと、さあ、今日も一日頑張って仕事しようという気分になった。

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

 

 

娘とドライブ

今日が冬休み最終日となる娘。長年書道をやっている私の母に、書き初めの指導を仰ぎたいとのことだったので、実家へ連れて行った。今年のお題は「無限の可能性」午前10時から午後1時まで3時間、みっちりと指導を受け、なんとか作品を完成させる。

 

娘は冬休みの宿題をまだ終わらせていないので、3人で8番ラーメンに行ってお昼を食べ、早々に金沢へ引き返す。車の助手席に娘を乗せ、私のiPadに入っている音楽をシャッフル再生で聞きながら高速を走る。最初にかかったのが、エレファントカシマシの「今宵の月のように」。嫌がるかなと心配していると、意外なことに娘は「私、この曲好き。」という。聞いているとさみしいような、せつないような気持ちになるのが良いそうだ。次が中島みゆきの「ファイト!」これは、何年か前のカロリーメイトの受験生向けのCMで使われていたので知っていた。ビートルズの「From Me To You」が流れると、ビートルズが好きなので、まとめて聞いてみたいという。それならアレクサで聞けるよと教える。YMOの「Technopolice」も聞いたことがあるらしい。「1980年ごろ、中学生の頃の曲だわ。ツッパリ系の人たちが音楽室のエレクトーンで弾いてたわ。」

 

ツッパリと言えば、ドラマ「今日から俺は」の主題歌になった「男の勲章」は彼女のお気に入りで家でも口ずさんでいた。ドラマは楽しくみていたようだが、「ツッパリって何のためにやっとるん?」と根本的なところを質問されて困った。

 

父親に気を使って、話を合わせてくれただけかもしれないけれど、1時間足らずの楽しいドライブだった。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

国債残高がGDPの2倍以上にもなろうという中にあっても、経済学の世界では、早急に政府支出の削減と増税を実施して財政再建を進めるべきという考え方と、まず景気回復、経済成長が第一で財政再建は経済の拡大によって自ずから達成できるという考え方が対立している。この本は、財政再建を優先すべきという立場から、もし財政破綻が現実のものとなった場合、政府はどんな対応をすべきかを明らかにする。

 

リーマンショック直後は、財政赤字など気にしないで、財政政策と金融政策を総動員して、とにかく景気回復に全力を尽くすべきだと思っていた。しかし、ここ2年くらいは、景気が回復して、人手不足が深刻になる中でも、政府は、相変わらずバラマキ型の景気刺激策を続けるばかり。どうなっているのかと心配になってきたところに、この本が目にとまり読んでみた。

 

政府が発行した国債を、市中銀行が引き受け、その国債市中銀行から日銀が買い取れば政府はいくらでも国債を発行できるので、財政破綻することはない。国内の個人資産は約1700兆円と国債を引き受ける十分な余力があるという。ある程度までは、その通りなのだろうが、かといって無限に国債残高を増やし続けていけるわけでもないだろう。国債への信任が失われて金利が高騰すれば、あっという間に国のキャッシュフローは破綻する。国債残高をゼロにすべきとは思わないが、どこかに限度を設けて、これ以上増やさない水準があると思う。

 

財政が破綻した場合、まずは、緊急避難的な支出削減を行い、次に最低限の国家機能を維持するために財政支出への優先付けを明確にする。公務員の給与を3割カットして、消費税を38%にして、新規の公共工事をゼロにして、医療費の自己負担率を大幅にアップしても全然足りない。

 

特に医療は大変なことになるようだ。政府負担分のお金が入ってくなくなり病院の倒産が続出するそうだ。ソ連が崩壊した時に、人工透析を維持できなくなり多くの透析患者が死亡したことを例としてあげている。

 

起こるかどうかわからないけれど、一旦起こると致命的な打撃を受ける事象なので、政府や国全体のことも心配だけれども、自分の身をどうやって守るのかも心配。他にも関連する本を読んでみたい。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

財政破綻後 危機のシナリオ分析

 

 

インフルエンザで年末年始

12月28日に東京に住んでいる息子が帰省してきたなりに、朝から体調が悪いというので、熱をはかっててみると37.8度あった。翌日に一旦平熱に下がったのでただの風邪かと安心していたら30日になって再び38度に上昇した。念のため病院で検査してもらうと、A型のインフルエンザとのことで、タミフルを飲んで1月1日まで家で大人しくしているようにとお医者さんから指示される。大学受験を2年がかりでようやくクリアした息子を連れて、久しぶりに家族揃って実家に帰省する予定はキャンセル。

 

翌31日の昼過ぎに今度は妻が発熱して寝込む。1日になっても熱が下がらないので再び救急で病院に行ってみる。インフルエンザだろうと諦めていたら、予想に反してインフルエンザの反応は出ていないとのこと。解熱剤だけもらって帰ってきた。妻は熱が下がらず体がしんどいとのことで、1日は実家からもらってきたおせち料理を息子と娘と私の3人だけで囲み、アホなテレビを見ながら過ごす。夕方に近所の神社へ初詣に行く。息子は中吉、娘は小吉、私は大吉。

 

2日なってようやく二人の体調が回復して、家族全員揃ってお雑煮を食べておせち料理を食べ、箱根駅伝を眺めながら午前中を過ごす。2時過ぎに妻の初詣に付き合い、スーパーへ買い物。翌日のカレーライスの材料とペットボトルのお茶を購入。

 

その後、天気が良かったので香林坊方面に散歩へ出かける。尾山神社の初詣とバーゲン目当ての人たちで駐車場周辺は大渋滞。21世紀美術館と柿の木畠あたりをウロウロしてから武蔵が辻へ戻る。ドトールで休憩しようと思ったが、いつになく混雑していたので、12月にオープンしたばかりの隣のホテルの1階にある、Bankers Street Cafeに入ってみる。ホテルのロビーと兼用のスペースなので人の出入りが激しいけれど、そのワサワサした感じはそんなに嫌な感じはしない。1時間ほでボケッと過ごす。

 

夜は義兄からもらった山梨のワインを開けて妻と息子と一緒に飲む。妻は酔っ払って沈没。洗い物をして風呂に入る。さすがに、お笑いやバラエティ番組にも食傷気味となりNHK BSで「グレートレース頂上決戦!モンブラン大激走170Km」、「平成万葉集」、「名盤ドキュメント YMO ソリッドステートサバイバー」を続けて見る。ソリッドステートサバイバーは1979年リリース、私が中学1年の時。ちょっと悪めの人たちが休み時間に音楽室に集まってエレクトーンでRydeenを飽きもせず弾いていたのを思い出す。

 

インフルエンザのせいで(おかげで)、家族がこぢんまりと家に引きこもって仲良く過ごせたお正月でした。

 

 

新しいテレビを買った

年末に新しいテレビを買った。今までは10年以上前に買った20インチの液晶テレビを見ていた。居間の中心にテレビがどっしりと居座っている風景が嫌いだったので、小さすぎると子供には散々文句を言われながらも、壊れるまではこれで行こうと引き延ばしてきたが、ようやく43インチ、4K対応のソニーのテレビを買ったのだ。

 

この10年の技術の進歩は目覚ましい。大画面にも関わらず高精細で色も綺麗。何よりも無線LAN対応なので、ネット動画を見られるのが便利。Amazon prime video もYouTubeもリモコンひとつで見ることができる。画質も普通のテレビ放送と遜色ない。パソコンやiPadの画面で見るのとは全然違う。じっくり腰を落ち着けて映画を見ようという気持ちになる。今までもテレビで見れないことはなかったのだけど、リモコンにネット動画のボタンがついて使い勝手が少し良くなるだけで、ネットでテレビを見ようという気持ちがこんなに高まるとは思わなかった。早速、ケーブルテレビは地上波とBSだけの最小限の契約にして、NETFLIXかhuluに入会しようと考えている。わざわざお店に行ってビデオを借りるなんて考えられない便利さだ。こりゃアメリカでBlockbusterがなくなってしまうはずだわ。

 

大きなテレビを買うのに合わせて部屋の配置を変えた。壁際にテレビを置いて、二人掛けのソファ1脚と一人がけの椅子が2脚。腰までの高さの本棚が3本。これをどうやって配置すれば、スペース効率が良くかつテレビが見やすい配置になるのか。テレビが配達されるまでの1週間ずっと考えていた。考え始めると、いてもたってもいられなくなり、メジャーを取り出して家具と部屋の寸法を測って頭の中でシミュレーションを続けてしまう。家具がなんとなく収まればいいという気持ちも半分あるのだが、もっといい配置があるんじゃないか、便利で使いやすい組み合わせがあるに違いないと、自分でも制御が効かなくなるくらいのめり込んでしまう。居間という自分が過ごす空間を思い通りにしたいという執着は怖いくらいだ。

 

自分の執着の強さに少しおののきながら、考え続けた結果がこの配置。本棚で窓の一部が隠れてしまったけれど部屋が広く見えて満足している。

f:id:benton:20190103074620j:image