蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件

 1945年1月30日の夜、東プロイセンのゴーテンハーフェン(現在のポーランド、グディニャの港から、ヴィルヘルム・グストロフ号が出航する。船にはソ連軍に追われるドイツの避難民がすし詰め状態で乗船していた。乗船者数の確かな記録はないが1万人を超えていたと言われる。港を出てしばらくしたところで、グストロフ号はソ連の潜水艦から発射された魚雷を3発受けて沈没。死者は9,000人以上、史上最大の海難事故となった。

 

あのタイタニック号沈没での死者は2,000人。それよりはるかに多くの人が亡くなったにも関わらず、グストロフ号沈没については戦後、西ドイツ、東ドイツどちらにおいても詳しく語られることはなかった。まずは、ナチス戦争犯罪を総括し謝罪することが優先され、ドイツ人自身が受けた戦争被害を詳細に語りにくい雰囲気があったことや、東ドイツでは、盟主であるソ連を慮らなければならなかったのだ。

 

この本は、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスによる、ヴィルヘルム・グストロフ号事件を題材とした小説。グストロフ号に乗船していた母親、その母親が沈没した夜にグストロフ号で産んだ息子、戦後生まれの孫。この親子3代を軸に話が進む。

 

ドイツ人としてナチス戦争犯罪の責めを負うべき立場である、と同時に戦争により生活基盤を根こそぎ失った被害者であることに対する微妙な時代の雰囲気が、戦争を直接経験した世代、とにかくナチス戦争犯罪への反省が第一だとされた世代、ドイツ人の被害にも目を向けるべきという雰囲気も出てくると同時に、極右も台頭し始める90年代以降の世代の絡み合いの中で表現されている。

 

ドイツとロシアという二つの大国に挟まれ、領土を巡ってまさに血で血を洗う凄惨な戦いの場所となった、ポーランドバルト三国の歴史を知るため入り口として読んでおくべき本。

 

大聖寺

車のタイヤを冬用に履き替えるために実家へ。実家の物置小屋にスタッドレスタイヤを保管してあるのだ。タイヤを車に積んで大聖寺のガソリンスタンドへ。この時期は金沢だと予約しないとタイヤの履き替え作業をやってもらえないが、実家のある加賀市あたりだと、みなさん自分で作業するのか予約なしでもやってもらえる。

 

今日は順番待ちの車が2台あった。30分くらい待てば作業してもらえるとのことだったので、1時間後に引き取りに来ると店員さんに告げ、大聖寺の街をぶらぶら散歩することにした。

 

東町から弓町の通りに出る。私が小学生くらいまではこのあたりは商店が連なりそれなりに賑やかだったものだけど、今は見る影もない。仕舞屋ばかりで、所々古い家屋を壊して空き地になっている。本屋さんを外から覗くと本は並んでいるのだが開店しているのかどうかも定かでない。

 

荒町の一方通行の通りを歩く、子供の頃親に連れて来てもらった映画館は跡形もなく、何度か来たことがある医院の建物はまちづくり関係の団体が使っているようだ。喫茶店と和菓子屋さんが細々と営業している。立派なお寺の敷地に大きなイチョウの木があった。鍛冶町、山田町あたりは古い街並みや昭和の香り満載の飲み屋が残っていて趣深い。南町、鉄砲町を歩いてガソリンスタンドに戻る。この文を書いていて改めて気づいたが、大聖寺は昔の区割りと由緒正しい町名が残っていて歩いていて楽しい。

 

ガソリンスタンドの向かいは、中学生の時に毎週のように本を買いに行ったショッピングセンターだったところ。その建物は加賀市で初めてエスカレーター付きの6階建てのビルで、エスカレーターが珍しくて意味もなく何度も上り下りしたものだ。今はその敷地は大きな老人ホームになっている。

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線量計と奥の細道

 ドリアン助川さんと言うと、新聞に連載されていた人生相談の印象が強くて、今でも気になる人。著書を見つけると手にとって確認する。

 

この本は、芭蕉奥の細道で旅した道を折りたたみ自転車で辿る旅行記だ。時は2012年、東日本大震災の1年半後、放射線線量計で各地の放射能レベルを測りながら旅する。奥の細道のゆかりの場所を探して、何気ない田舎の町の何気ない街角を徘徊する。夜はそれぞれの土地の何でもない居酒屋で酒をのみ、ビジネスホテルに泊まる。全行程を自転車で走破することにこだわるでもなく、天気が悪ければ電車を使ったり、知り合いの車に乗せてもらう。そんなゆるい感じが今の私にちょうどいい。

 

この前行った愛知県の半田市、今週仕事で訪ねた福井県鯖江市など。特に有名な観光地でなくても、昔の街並みが残り生活の息遣いが感じられる土地はいい。あまり事前に知識を詰め込まずにぶらぶらすると、街の素の姿に直接向き合えるような気がして楽しい。この本で登場する街の中では糸魚川に行って見たいと思った。公共交通機関と折り畳み自転車の旅も面白そうだ。

線量計と奥の細道

線量計と奥の細道

 

消えた国 追われた人々 東プロシアの旅

 東プロシアは、かつてのドイツ帝国の東の端、現在のポーランド、ロシア、リトアニアにまたがる地域のこと。多くのドイツ人が住んでいたが、第2次大戦後ソ連側の支配となったことから、ほぼ全てのドイツ人は追放された。哲学者のカントは東プロシアケーニヒスベルク、ロシア名ではカリーニングラードの出身。

 

池内紀が、ギュンター・グラスの「蟹の横歩き」を翻訳する際に、現地を知るためにとダンツィヒと東プロシア一帯を訪問した旅行記。第2次大戦の末期、ソ連軍に追われる避難民を満載した客船が魚雷攻撃により沈没し9,000名以上が死亡した「グストロフ号事件」や、戦後1千万人を超えるドイツ人が故郷である東プロシアから追放されたことなど、この本で初めて知ったこと多数。

 

著者が地元民から聞いた戦争中の思い出話が間抜けで面白い。ナチスドイツの東部戦線の指令所「狼の巣」が東プロシアのラステンブルク郊外の森の中に設置された。ヒトラーも長期に滞在した場所であり、その存在自体が極秘とされたプロジェクトだ。地元民には化学工場であると告げれていた。森で植物採集をしていた住民が、狼の巣の正門に行き当たる。以前から何度も来たことがある場所なので、何の悪気もなく、守衛の兵士に片手を挙げて挨拶すると、なぜか止められることもなく敷地に入っていけてしまう。本人は植物採集のため、化学工場だ信じ込んでいる敷地内をウロウロしていると、とある窓からコーヒーの香りが漂ってくる。工場の偉い人の部屋かと思い何気なく窓に近づくと、ちょび髭を生やしヒトラーにものすごく似た人がパジャマ姿でこちらを見ている。一瞬ギョッとした顔をしたが、彼は何事もなかったかのように部屋の奥に引き返していく。帰りに門を通るときには、守衛の兵士は誰もいなかった。国家最高レベルの情報統制が徹底されすぎて、思わぬ間抜けな状況になってしまったのだ。

 

頭の中のにある世界地図の空白地帯、東プロシアがどんな土地なのか、イメージする手がかりができた。一度読んであまり面白くないなと途中で投げ出してしまった、「ブリキの太鼓」にも興味が湧いた。

消えた国 追われた人々――東プロシアの旅
 
ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

 

 

自転車レース

大学2年生の息子は体育会の自転車部に所属している。中学、高校と陸上競技をやっていたものの走り幅跳び三段跳びが専門だったので、持久系のスポーツの自転車競技についていけるのだろうか、と1年生の夏頃までは心配していた。ところが予想外に頑張っている。

 

息子が5歳の頃に私がロードバイクに乗り始めて、毎朝出勤前に1時間練習したり、土曜日ごとに、息子を連れてバンクに出かけてトラック競技をかじったりしていたので、そんな私の姿を見て自転車に乗るようになったのかもしれない。そうだとしたらかなり嬉しい。

 

今年の夏休みは福島で1週間、長野で2週間合宿があってお盆に3日だけ帰ってきただけだった。この正月もじっくり練習したいので帰省しないかもしれないと言っている。何事であれ一生懸命になれるのはいいことなので好きにしていいと伝えてあるが、正月に家族が揃わないのはやはりさみしい。なんならこちらから東京のアパートに押し掛けようかとも考えている。

 

トラック競技もロードも両方出場しているようで、10月、11月はほぼ毎週のようにレースがあった。今週も埼玉県の行田市クリテリウムの大会。主催者である日本学生自転車競技連盟(学連)では、Youtubeライブ配信をしてくれるので、ほぼ毎回見ている。今回も七尾市に向かう道すがら、車の運転は妻に任せて私は助手席でライブ配信を見ていた。

 

クラス2に昇格してからは、途中でメイン集団からちぎれてゴールさせてもらえないことが多かったのだけれど、今回はなんと3位。車の中で思わずやったーと大きな声を出して妻に白い目で見られた。

 

勉強については3年に進級できるのかどうかも怪しいが、とりあえずはめでたい。

 

全日本学生RCS第8戦・浮城のまち行田クリテリウムラウンド クラス1・2

https://www.youtube.com/watch?v=DZCyxpOfHZM

 

 

日曜日

午前4時起床。40分坐禅する。25分くらい坐っているとふっと体全体の力が抜けて心が静まる瞬間が訪れる。そこからの時間が心地よい。

 

新聞に目を通してから午前7時にランニングに出発。東山の交差点まで歩いて大通りを山の上、鳴和の方向へ走る。途中から旧北國街道の細い道にはいる。御所の交差点から東金沢駅に向かい、わおんの湯の前を通って帰宅。走った時間は30分。今の自分にはちょうど良い負荷だ。

 

コストコの全粒粉パンとソーセージ、ロメインレタスで朝飯。

 

午前中は年末に備えてキッチンの掃除を少し。換気扇のアルミのフィルターを洗う。ベーキングパウダーをシンクに溜めたぬるま湯に溶いて、そこにフィルターをつける。半年以上使ってこびりついた油を溶かすのだ。30分後に取り出してタワシでこするとほぼ9割がたキレイになる。仕上げにマジックリンで洗う。

 

玄関の物置にずっと放置してある、以前、ボルボに履かせていたスタッドレスタイヤを廃棄する。オートバックスかタイヤ館に持っていこうとネットを検索すると、湊の廃棄物処理業者が一般家庭から出る廃タイヤを引き取ってくれることがわかった。アルミホイール付きなら3000円もらえるとある。引き取りにお金がかかると思っていたので、これはお得ではと思い、いそいそと車にタイヤを積み込んで湊へ。

 

処理業者に到着して近くにいた社員の方ににタイヤを見せると、タイヤを降ろしておくから事務所で精算するようにと言われる。自分の住所と名前を帳簿に記入して3000円を受け取り完了。こんなことならもっと早く捨てに来ればよかった。

 

午後は妻と七尾美術館に出かける。絵本の原画展が目当てだ。2時間ほどじっくり見物して帰りに、中能登町の道の駅、「織姫の里」に立ち寄りカブ、イカの塩辛、パクチー、大根などを購入して帰宅。

 

晩御飯は昨日コストコで買ったお肉でローストビーフロメインレタスとカブのサラダ、かぼちゃのスープ。時間がなかったので仕方ないが、ローストビーフは焼きたては切ったときに肉汁が流れ出してあまりよろしくない。冷えて肉汁が落ち着いてから食べるべきかも。

 

今日も酒なしで風呂に入ってねる。午後10時就寝。

土曜日

午前3時30分起床。白湯を2杯飲みながら新聞を読む。その後40分坐禅。座っていると肩のあたりがこわばっていることに気づく。この1ヶ月はランニングもストレッチもしていないので、血行が悪くなっているのだろう。仕事の緊張をうまく解放できていないのかもしれない。

 

「原始仏典Ⅱ 相応部経典第1巻」を20ページ読む。原始仏典は毎日目を通したいので、少しずつでも本を買い揃えていくつもり。全部読むのに何年かかるやら。「数学読本」も「失われた時を求めて」も手をつけたはいいけど中途半端になっている。諦めずになんとか全巻読みたい。

 

午前6時30分、ランニングに出かける。久しぶりなので15分の早歩きで体を温めてから、ランニングに切り替える。彦三→金沢城公園→橋場町を30分くらいかけてゆっくりと巡る。

 

シャワーを浴びてから洗濯機をまわしながら、リビングのこたつで読書。冬は太陽の高度が低いので9時過ぎてもリビングの奥まで朝日が差し込んで眩しい。夏場だとオーニングやブラインドでなんとか日光を遮るところだが、今は眩しい日差しがありがたい。貴重な晴れの日、できる限りたくさん太陽にあたっていたいのだ。湯のみから立ち上る湯気が日差しにキラキラと揺らめく。

 

妻、娘とゆっくり会話しながら、ソーセージ、ブロッコリー、マフィンの朝食。娘は先週から一日の休みもなく合唱部の部活があった事を愚痴る。ブラック部活だと。洗濯物を干したり、朝の身支度をしているうちに10時30分になる。

 

妻の友人が午後マンドリンの演奏会に出演するというので、お昼ご飯も兼ねて香林坊方面へ出かける。ついでに妻が大和で口紅を買う。昼ごはんはせせらぎ通りのアシルワードでカレー。妻はダルカレー&ナン。私はマトンカレー+ムール貝のカレーにターメリックライス。ここはご飯やナンの量は少なめなので我々年寄りにはちょうどいい。

 

再び大和に戻って地下1階の金沢ちとせ珈琲へ。ここのサイフォンでコーヒーを入れてくれるコーヒーが最近のお気に入り。カウンターの適度な狭さ、囲まれ感が心地よい。

 

午後2時からマンドリンの演奏会。ハナミズキ涙そうそうなど聞いたことある曲も演奏されリラックスして聞けた。

 

歩いて家に戻り、私は髪を切りに床屋へ、妻と娘はコストコへ買い出しに出かけた。チーズにパイナップル、ローマンレタスの株、玉ねぎ、人参、ティラミス、卵、牛乳、ローストビーフ用の肉、寿司などを購入してきた。晩御飯はコストコの握り寿司。機械で握ってから時間が経っているので仕方がないのかもしれないが、ご飯が団子のようにこわばっているのが残念。食後にティラミスを食べる。

 

寿司をたくさん食べて塩分を採り過ぎたようで、やたら喉が乾く。風呂に入って午後11時就寝したものの、なかなか寝付けない。ウトウトしているうちに眠れたのだが、午前2時に目がさめる。この2日間、酒を飲んでいないので頭が冴えてきたようだ。

 

初期仏教

仏教は2500年前、紀元前5世紀ごろにインドで釈尊によって説かれた。その教えは釈尊の死後は声に出して語られることで伝承されてきたが、紀元前後に各地に広まった諸派が集まり、文字に書き残すようになる。

 

初期仏教とは紀元前の口頭伝承で伝えられていた仏教のこと。この本は現在残されている資料を元に口頭伝承時代の仏教の姿を探り出していく。

 

冒頭部分で仏教が誕生した頃のインド社会や仏典に登場する土地の位置関係が解説してあり参考になった。

初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書)

初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書)

 

 

原子力時代における哲学

第2次大戦が終わって間もない1950年代に「原子力の平和利用」という考え方が生まれ、広く世界に浸透する。時を同じくしてイギリスで世界初の原発が稼働を開始する。当時は核兵器は反対だけど、原子力の平和利用は賛成だという人が知識人も含めて大多数だったそうだ。

 

その中で、哲学者として唯一原子力の平和利用(原発)の危険性を指摘、反対したのが、 マルティン・ハイデッガー

 

この本は、なぜハイデッガー原子力の危険性にいち早く気づくことにできたのか、彼の「放下」という著書を読み進めながら解明していく。4回の講義録が元になっているので読みやすい。

 

中動態の話が出てくるので、自然を操作可能な対処物として扱うことが危険だということなのだろうか。さらっと読めるけれどさらっと読んだだけではもう一つ理解できていない。

 

もう一回じっくり読んでみる。

 

原子力が夢の技術として1950年代にもてはやされた雰囲気は、私の世代にもわかる。小学生の時に購読していた学研の「科学」に原子力の平和利用で夢の生活というような記事が時々掲載されたいた。

原子力時代における哲学 (犀の教室)

原子力時代における哲学 (犀の教室)

 

 

どぶろく

能登街の道の駅「織姫の里」に立ち寄った時に地元で作っているどぶろくを見つけた。もともと中能登町には、どぶろく醸造が認められていた神社が3社あったそうで、内閣府から「どぶろく特区」にも指定されていて、町内の農家民宿やレストランでどぶろく醸造されているそうだ。

www.town.nakanoto.ishikawa.jp

 

見た目はマッコリと同じなので、マッコリのような甘酸っぱい味を想像していたが、飲んでみると全く甘くない。普通に味の良い日本酒。口当たりがまことによかったので、調子に乗って一晩で全部飲んでしまいました。

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落花生の塩茹で

先週、愛知県半田市の赤レンガ建物に行ったら地元の農産物を売っている人がいて、その中に生の落花生 があった。地元では生の落花生にお目にかかる機会があまりないので、塩茹でにしようと買ってきた。

 

新鮮なうちにゆでた方が美味しいと聞いたので金沢に帰ってきてすぐにゆでた。殻付きなのでしっかり火を通すためにゆで時間は30分くらい。塩は少し濃い目にしたら味がしみてちょうどよかった。

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暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病

 農業や牧畜が始まり、生きて行く上で必要最低限必要な物資を上回る生産が可能となって以来、定常状態では人々の間の経済的な不平等は拡大し続けている。例外的に不平等の格差が縮まったのは、次の4つのケースだと著者は言う。

  1. 国家あげての総動員体制での戦争が発生した時
  2. それまでの政治経済体制をひっくり返す革命がおこった時
  3. 天災や外敵の攻撃など何らかの理由によって既存の国家が崩壊した時
  4. 14世紀にヨーロッパや中東で人口の3割近くが死んだペストなどの疫病が発生した時

どれも、暴力などによって多くの人が死に、社会インフラが破壊され、人々が塗炭の苦しむを味わうようなことがないと、不平等は解消されないという、身も蓋もない結論。この結論を古代から20世紀に到るまでのの世界各地の数々の事例のデータをあげて検証する。

 

著者が「大圧縮」と読んでいる20世紀における大幅な不平等の解消は、自分の生活実感と照らし合わせ大変面白かった。国家総動員体制で戦われた二つの世界大戦と、ソ連をはじめとする共産革命によって、1945年から1980年頃までは世界中で貧富の格差が縮小した。

 

所得税の限界税率を90%にまで引き上げたり、懲罰的な水準にまで相続税の税率を引き上げたのは富裕層から戦費を調達するため。また医療保険、年金制度が整備されたのも徴兵制により戦争に駆り出される国民を納得させるためでもある。

 

共産主義革命が実現した国で、当然不平等はドラスチックに解消された。それに加えて、資本主義諸国においても、国民の不満をなだめ共産国への対抗するために、農地改革による土地の再配分や、社会保障制度の整備などが進んだのだ。

 

世界中で1980年前後にもっとも不平等が小さくなっていて、日本では1983年に最も豊かな上位1%の人々の所得が国全体の所得に占める割合が最小になっている。私は高校2年生で、2度のオイルショックを経て経済は上り調子で、日本は経済格差なんてあんまりないよねと、明るい未来を信じていた頃。

 

私にとっては、その頃があるべき社会の姿でありここ20年は少し調子が悪いだけ。調子が戻ればいつか元に戻るのではないか、と無意識に考えてしまう。しかし、人類の長い歴史を振り返ってみると、20世紀の中頃の状態が非常に稀な、例外的な状況だったのだ。

 

社会が安定すると、確実に不平等は拡大していく。戦争・革命・国家の崩壊・疫病。この4つの暴力的な事象が発生し、世の中がひっくり返らない限りは、数百年単位で不平等は拡大していくというのが、これまでの歴史から見えてくるのだ。

 

だから、そう簡単には格差は是正できないと覚悟して臨まないといけない。

暴力と不平等の人類史: 戦争・革命・崩壊・疫病

暴力と不平等の人類史: 戦争・革命・崩壊・疫病

 

 

愛知県半田市をぶらぶら

絵本好きの妻の要望に応えて愛知県半田市新美南吉記念館に行ってきた。

 

金沢駅午前5時発のしらさぎに乗り、米原で新幹線に乗り換え7時30分に名古屋駅に到着。武豊線区間快速に乗り換えて、9時前には半田駅に着いた。

 

まずは、お酢ミツカンが運営している「MIZKAN MUSEUM」を見学する。あらかじめネットで予約が必要とのことで妻が9時30分からで予約しておいてくれたのだ。

 

昔ながらの木桶を使ったお酢醸造工程を再現した展示だ。様々な種類のお酢の香りを嗅ぐことができるコーナーもある。粕酢、普通の穀物酢、玄米酢、リンゴ酢、ぶどう酢。粕酢は熟成させた酒粕から作るお酢のことで、別名赤酢と呼ばれて江戸前のお寿司に使われるそうだ。ミツカンはこの粕酢を生産し、船に乗せて半田運河から海に出て、江戸に大量に運んで財を成したのだ。

www.mizkan.co.jp

 

MIZKAN MUSEUMを出て、半田運河沿いに北に向かって歩いて行くと、中埜半六邸庭園、「国盛」の中埜酒造など、ミツカン関連の施設が連なる。

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この赤レンガの建物は、明治31年から昭和18年まで生産していた「カブトビール」の跡。ミツカン敷島製パンが出資して立ち上げた会社だ。今は地元の特産品を扱うお店とレストランになっている。カブトビールを再現したクラフトビールが飲める。私はソーセージの盛り合わせでビール、妻はお酢が入ったカシス味の酢ムージーで昼食。

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ビールですっかり気持ちよくなったところで、本日の目的地である新美南吉記念館へ向かう。記念館に続く道の途中にも、子供の頃に遊んだ神社や、生家、物語にも登場する常夜灯など、新美南吉にゆかりのある場所を連なる。

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これは、新美南吉の生家。父親は左半分で下駄屋さん、右半分で畳屋さんを営んでいた。

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川沿いに出て記念館まで歩く。こんもりとした緑は、ごんぎつねが住んでいた権現山。9月には一面に彼岸花が咲き堤防が真っ赤に染まるそうだ。

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新美南吉記念館では、南吉の生涯を振り返る展示を見学し、ごんぎつねのお話をアニメで復習した。

www.nankichi.gr.jp

 

帰りに名古屋駅エスカにある風来坊で手羽先の唐揚げを食べて、17時48分発のしらさぎに乗る。金沢到着は20時50分。これまで遠出する時は、交通費を節約するために車ばかりだったが、今回のように電車旅もいい。行き帰りの時間に、のんびり本を読んだり酒飲んだり、と楽しめるのがいい。

 

じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路

経済成長って本当に必要なの? 我々はどこまで豊かになれば満足するの?という疑問の答えになるかもと思い読んでみた。

 

ケインズは1930年に発表した論文「孫の世代の経済的可能性」で、技術が進歩するにつれて、単位労働時間あたりの生産量は増えるので、必要な生活物資を生産するために働かなければならない時間は減っていき、そのうちほんとんど働かなくてもよくなると言っているそうだ。

人類の誕生以来初めて、人間は真の永遠の問題に直面することになる。それは、差し迫った金銭的必要性に煩わされない自由をどう使うか、科学と複利が勝ち取ってくれた余暇ををどのように活用して賢く快適に暮らすのか、という問題である。

2030年ごろには、こんな世界が実現するとケインズは考えていたのだ。

 

1930年に比べれば、現在の農業生産、工業生産のレベルは何倍にも増えている。その頃の基準からすれば、「もう十分、働く時間を減らして、余暇をのんびり楽しもう。」となっていてもおかしくはないのだが、先進国においても労働時間は全然減っていない。逆に増えている。どれだけ豊かになっても、もっと豊かになりたい、そのためにはもっと経済成長を。という流れは変わらない。

 

著者は、地球の環境破壊、資源枯渇という面から考えてもいつまでも経済成長を追いかけ続けることはできない、よく生きるためにじゅうぶん豊かだ。というレベルを考えるべきではないかという。経済学がこれまで避けてきた価値判断に踏み込んで、何が良い生活なのかを考えるべきだという。

 

著者は良い生活を成り立たせる要素として次の7つを挙げる。

  1. 健康
  2. 安定
  3. 尊敬
  4. 人格
  5. 自然との調和
  6. 友情
  7. 余暇

全ての人がこれらの要件を満たす生活ができるようにするのが政府の役割。具体的には政府による強制的な労働時間の削減、ワークシェアリングベーシックインカムの導入、人々の消費意欲を駆り立てる広告の規制などを挙げている。 

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本)

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本)