中国の歴史8 疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元

講談社学術文庫の「中国の歴史」は、各巻の著者が各自の専門領域への思い入れたっぷり注ぎ込んで、担当の時代を語ってくれるので、各巻ごとに個性があって読み物としても面白い。
 
第8巻は、中国の王朝の名前でいうと元の時代。著者はそこに至るまでの北方の遊牧民族の歴史から説き起こす。はじまりは、唐の時代の安史の乱から。
 
著者は、遊牧民が中国の歴史に与えた影響の大きさを強調する。中原の王朝交代の歴史ばかりを追っかけていると、突厥、キタン、女真、沙陀など、華北平原の北側に暮らす遊牧民族の影響を過小評価してしまうという。公的な歴史書では時の政権が、事後に自分の正当性を主張するのに都合よく書くことを取捨選択するので、遊牧民の話を無視、あるいは意識的に貶めて記録される。そのことを前提に資料を読まないと見落としてしまうことがあるのだ。
 
唐の時代から、北や中央アジアの人々は安禄山のように政権中枢にかかわっていたし、中原の政府は遊牧民といかにうまく付き合うかが大きな命題となっていた。キタンは、漢族の官僚をもうまく取り込みながら、遼の国を200年近く維持する。その経験がモンゴルの世界帝国につながるのだ。
 
元がはじめて、中原、江南、南海、今の四川省雲南省あたり、北方、チベットを一体として支配したことにより、現在の中華人民共和国につながる、中国の支配領域のイメージが形成された。
 
また、クビライがつくったユーラシア大陸全体を股にかけた交易の仕組みは、元王朝に莫大な利益をもたらした。中央アジアシルクロードと、南部の海岸沿いの都市を窓口とする海の通商路を国家としてバックアップし、イスラム商人に交易を任せる。そして、イスラム商人から徴税する。
 
モンゴル帝国の傘のもとで、交易にともなう人の往来はたいそう盛んだったようで、マルコポーロがやってきたのもこの時代、イスラム諸国とヨーロッパとの交易が盛んになったのもこの時代だ。そして、ペストが大流行したのもこの時代。ペストの流行と人の往来が激しくなることに関係があったのだろうか。