ランニング:鶴間坂で登って亀坂を下る

この季節にはありがたい晴天。10時に家を出て橋場町から北國銀行裏の通りに入って賢坂辻へ向かう。金沢マラソンのコースを逆走して南下して、鶴間坂を登る。登りきったところは金沢商業高校の隣。向こうから来た中年の男の人に、「この先は鶴間坂ですか?」と聞かれる。

 

石引1丁目の交差点から亀坂に向かう。亀坂を下から登ってくる車とすれ違う。こんな細い道をよく登ってくるもんだ。亀坂をくだり道なりに進む。何度か大通りに出るが、大通りの向こう側に辿ってきた道の続きが見えるので、その道を進む。そうしていたら菊川の裏通りを通って、いつの間にやら本多町のMROに到着。

 

あとは広坂から石川門、金沢城公園、尾張町を経由して帰宅。旧道は地形に合わせて緩やかにうねっているので景色に変化があるし、人の生活の匂いもする。それに、交通量も少ないので走っていて楽しい。

井の頭公園

 息子の部屋に泊めてもらい一夜明けて、朝飯でも食べに行こうかということになり、下北沢のパン屋さんへ。イートインで私はBLTサンド、息子は卵のクロワッサンサンドを食べる。

 

彼は翌日に伊豆ベロドロームで試合があり、お昼には部室に集合の予定と聞いていたので、そろそろ帰ると告げると、まだ時間があるからどこかに行こうと言う。電車で15分くらいだし、息子もアパートから西の方にはまだ行ったことがないというので井の頭公園に行ってみることにした。

 

18年くらい前、息子が2歳頃は小金井市に住んでいた。休日に彼を遊ばせに何度も井の頭公園に来ていたことを思い出す。公園の中に動物園があって住宅街のすぐ隣が象の飼育舎になっていたはず。覚えているかと聞くと、さすがに2歳の時のことは覚えていない。

 

懐かしいので、入場料400円払って二人で動物園に入ってみた。象は2年前に死んだらしく象の飼育舎だけが残されていた。はな子という名前で日本で飼育されたアジア象で一番の長寿の象だった。記憶の通り飼育舎の背後には住宅が見えた。

 

「リスの小径」という建物には、放し飼いのリスが走り回っている。しゃがんで写真を撮ろうとすると、リスがカバンに乗っかってくるやら、肩、頭に駆け上ってくる。

 

ライオンもトラもキリンもいないけれど、芝生の広場があって人もそれほど多くなく子供を遊ばせるにはいいところ。小さな子供の手を引いた、お父さんやお母さんたちが次々とやってくる。

 

動物園を出て池の周りを一周してから井の頭線で引き返し、下北沢で別れた。

 

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うどんすき

東京に行ったついでに、4月から大学生になった息子の様子を見てきた。9月に一度だけ、3日ほど金沢に帰ってきただけで、その後は話もしていない。

 

金曜日の夜にステーキでも食べないか、とLINEで連絡を入れると、「最近、味の濃いものばかり食べているので、あっさりしたものがいい。」とつれない返事。あっさりしたもの、あっさりしたものということで、うどんにした。

 

渋谷のマークシティにある美々卯で7時半に落ち合うことにした。直前になって授業が伸びて少し遅れるとの連絡が入る。先に店に入って鰊の甘露煮をつまみに燗酒をチビチビやりながら待っていると、20分遅れで到着。少し痩せたようで顔が小さくなったように感じた。本人がいうには体重は9月と変わっていないとのこと。

 

早速、うどんすき二人前を注文する。店員さんがうどんすきの食材一式を持ってきて、鍋に入れくれる。出汁を入れてから最初にうどんを投入、その後でうどんの上に鶏肉やらがんもどき、白菜、里芋などの具材を綺麗に並べる。店員さんが海老は活け海老にしますか、茹で海老にしますかと聞く。よくわからずに活けでお願いしますというと、一旦奥に戻って、小さい重箱に入った海老を持ってきた。トングで掴んで鍋に入れて動かなくなるまで押さえておいてくださいとのこと。海老を鍋に入れるとピクピクと動いているのがトングを通じて手に伝わってくる。息子と二人で海老がかわいそうだと話す。

 

鍋をつつきながら近況を聞く。自転車部の練習が相当にきついらしく7月ごろはもうやめようかとも思っていたらしい。夏休みの合宿を終える頃から体が慣れて、上級生にもついていけるようになったそうだ。最近は練習が楽しくて毎日自転車に乗っていて11月は述べ60時間練習したとのこと。勉強については、「まぁ、毎日授業には出ている。」と言っていた。

 

最初に入れたうどんは最後までしっかりした。具たくさんでお腹もいっぱいになって満足。

 

息子は毎日楽しく暮らしているようだったので、とりあえず安心した。

白鯨

 題名だけならみんな聞き覚えがあるメルヴィルの「白鯨」。52歳にして初めて読んでみた。

 

海洋冒険小説として、あるいは19世紀の捕鯨がどのように行われていたかを知るよすがとして興味深い。

 

母船から銛うちを乗せた小さな手漕ぎのボートを出してクジラを追う。クジラに銛が打ち込まれると、銛に繋がれたロープにボートが引かれる。ロープを長くしたり短くしたり調整しながら、隙を見て槍でクジラを突き刺し、弱るのを待つのだ。当時の捕鯨は、照明ランプ用の油、鯨油を採取することが目的なのでクジラを仕留めると、母船に横付けして、皮をはいで皮やその下の脂肪を、釜に入れて煮詰めて油を集める。肉はほとんど食べなかったらしい。小説の中に、夜に密かにクジラの尾の身をステーキにして食べる船員の話があるが、これも、社会の常識に反すること、気味悪いこととして語られている。死んでしばらく経過して腐臭を放つクジラの胃袋に潜り込んで、クジラの結石で龍涎香と呼ばれる香料の元を手に入れる場面もある。

 

メルヴィルは実際に捕鯨船に乗っていただけあって、当時の捕鯨の実態がよくわかって読み物として大変面白い。しかし、モームが「世界十大小説」に挙げるほどかと言うと、味わうために必要なバックグラウンドを私が持っていないからなのだろう、小説としての面白さが今ひとつピンとこなかった。

 

小説に登場する冷静沈着な航海士の名前がスターバック。あのスターバックスの名前の由来だそうだ。

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)

 

 

白鯨 中 (岩波文庫)

白鯨 中 (岩波文庫)

 

 

白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)

白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)

 

 

ぼくの伯父さん

伊丹十三の単行本未収録エッセイ集。2017年につるとはな、から出版されている。

 

1961年に伊丹十三が俳優としてヨーロッパに長期滞在した時の出来事をネタに書いたエッセイ、「ヨーロッパ退屈日記」は、食べ物のことやクルマのことなど「あの時代に、もうこんなこと言うとったんか。」という驚きが いっぱいだったが、この本も恐れ入りました。

 

60年代に書いたエッセイの中で、北京ダックを自作して、しかも鴨を包んで食べる小麦粉の皮の調理方法も説明している。ごま油を塗って2枚重ねたままフライパンで焼いてから蒸して、出来上がってから1枚ずつ剥がすとか具体的。自分の親たちの暮らしと比べるとその差に驚く。そういえば、伊丹が監督した映画「タンポポ」でも中村伸郎が北京ダック食べるシーンがあった。

 

「かぶと虫の歌」は、イギリスに住んでいた頃、デビューしたばかりの頃のビートルズをテレビで見たことから始まる。彼らのマッシュルームカットは、中世のイギリスの農民の髪型にそっくりだと気づいた話に展開して、最後は伊丹が小学校の時に書いた、ミヤマクワガタの観察日記で終わる。縦横無尽だ。

 

昔のエッセイ、特に外国のことや、女性、結婚を語ったものは、古臭く感じてしまううことが多いけれど、伊丹十三のエッセイは今読んでも新鮮で、面白い。

ぼくの伯父さん 単行本未収録エッセイ集

ぼくの伯父さん 単行本未収録エッセイ集

 

 

練習日誌

大学で自転車部に入った息子。平日は、ローラーに乗ったりパワーマックスでトレーニング。土日は高尾山の麓や飯能あたりで乗り込んでいるようだ。

 

なぜ私が知っているかというと、各自の練習日誌を部のブログに書くことになっているからだ。夏頃までは、2、3行のそっけない内容だったが、最近は、思ったほど出力が出なかったとか、筋肉の使い方がうまくなったとか、結構細かいことまで書いてある。

 

毎日かなりハードなトレーニングをしているので、勉強大丈夫かいな、と心配になるが何かに一生懸命やってるのはいいことなので気にしないことにする。

 

もちろん、私が練習日誌を密かにチェックしていることは息子には内緒だ。毎朝、彼の練習日誌を確認するのが、最近の私の楽しみだ。

アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ

これが岩波新書か。と思う黒い表紙。ぶっ飛んだ文体でアナキズムを語る。

 

アナキズムというと、何するかわからないヤバい奴、あまり近づかないほうが良さそう。という印象しかなかったけれど、乱暴にまとめると、既成のどんな概念にも支配されないこと。効率、経済性、正義、エコなどの価値観を押し付けてきて、その価値観で支配しようとするものには徹底して抵抗しろ、ぶち壊せということ。

 

農薬や化学肥料をたくさん使って栽培した大量生産された農産物は体に悪いし地球環境にも悪い。よって、無農薬、有機栽培のものを食べる。それはそれでいい。有機栽培の玄米食を食べる。大いに結構。しかし、その原理にとらわれて、他人がビッグマック食べているのを、側からやいのやいの言うな。ビッグマックは体に悪いかもしれないけれど、時々食べると最高にうまいやろ。それを否定するな。ほっといてくれ。と言うこと。

 

ツイッター上などでの議論に感じる息苦しさは、右にしろ左にしろ、金儲け万歳にしろエコにしろ、あるいは、喫煙にしろ禁煙にしろ、どちらも自分が支持する原理を世の中隅々にまで徹底的に行き渡らせようとする、押し付けがましさへの拒否反応かもしれない。そんなこと当事者同士で話して決めたらええやん。なんやったら殴り合いして決めたらええやん。ということまで、法律で一律に決めなければ、社会に徹底しなければ、ければと言うのなら、そんな押し付けがましいもの、ぶち壊してしまえ。

 

最近、娘が自然食品系の食べ物を扱っているお店をみると、「あ、五穀米系ね。私マジダメやわ。」と突き放すように言う。何でそんなこと言うのかと不思議だったが、五穀米系のお店特有の押し付けがましさへの拒絶と見た。

 

文体はぶっ飛んでるけれど、濃い内容の本です。

アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ (岩波新書)

アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ (岩波新書)

 

 

ランニング:賢坂辻ー馬坂ー東兼六町あたりー八坂ー金沢城公園ー大手町

朝起きて本を読んでいると、金沢マラソンのダメージからようやく回復したのか、妻が走りに行こうと誘ってきた。

 

7時30分に出発。彦三大橋から浅野川の左岸を主計町に向かう。こんな時間でも観光の人がちらほら歩いている。橋場町の大通りを渡って北國銀行横の道に入る。この道沿いには、豆腐屋さんやパン屋さん、中華料理屋さんが残っている。また、かつて商店だったと思しき建物もたくさんあるので、この辺の主要道路だったのだろう。道なりにしばらく進むと賢坂辻の交差点にでる。

 

道路を渡ってまっすぐ進むと金沢マラソンのコースを逆に進むことになる。古い町家がそこここに残っている。小さなスーパーや魚屋さん、肉屋さんがポツポツとある。この道は車が少ないので走りやすい。また、道が地形に合わせて適度にうねっていたり、クランクがあったりして走っていて楽しい。しばらく進むと、右側に「宝円寺」の案内板が見える。右折するとすぐに小立野台地に登る急坂が始まる。馬坂だ。歩行者専用でところどころ階段になっている。

 

坂を登り切ると金沢大学附属病院の敷地の北東の角あたり。宝円寺の前を通り過ぎて200メートルあたりで右折すると下り坂になっている。石引の大通りと宝円寺の間が谷になっていて川も流れている。その谷筋の道だ。地名でいうと東兼六町になる。距離は短いけれど両側の斜面が迫ってくるので山奥に来たような雰囲気だ。しばらく降りると宝円寺側に登っていく道がある。尾根を越えると下りの階段になる。竹林や落葉樹が両側に続きここも奥山深く探索しているような気分になる。追い剥ぎが出てきそう。

 

降りたところで左折してしばらく行くと立派な山門を発見。山門で切り取られた紅葉の景色が素晴らしかったので、近づいて案内板をみると雲竜寺という禅宗のお寺だった

 

兼六園から目と鼻の先なのに、山奥のお寺を訪れたような気分だ。八坂を登って兼六園横から石川門を通って金沢城公園、大手町、尾張町、暗がり坂から主計町に戻りゴール。

 

たった1時間のランニングだけど、ちょっとした旅行に出かけたような気分になるコースだった。

 

こちらのサイトによると、小立野台地の宝円寺と北陸学院との間の坂は木曽坂というらしい。ここは木曽か。と思うくらい奥山の雰囲気があるからとのこと。今日のコースは小立野台から木曽坂を降って、みどり坂、宝円寺裏門坂を通ったようだ。

木曽坂付近

 

 

 

数学をやり直す。

去年の年末に、今年こそは数学をもう一回勉強してみようと買ったのが、この「数学読本」

数学読本〈1〉数・式の計算/方程式/不等式

数学読本〈1〉数・式の計算/方程式/不等式

 

全部で6巻まであって、高校数学くらいの範囲を扱っているらしい。「らしい。」というのは、正月明けに10ページくらいやってみただけで、ずっとほったらかしにしていたからだ。

 

日も短くなり、寒くなって家にこもって数学でもやってみようかなという気になり、先週から1日30分だけやるということに決めて少しずつ読み始めた。読本なので、説明が主で、問題は理解を確認するために挟まっている程度なので、私にはとっつきやすい。

 

昨日読んだ中に、「ユークリッドの互除法」というのがあった。二つの整数の最大公約数を求める方法だ。二つの数をa,b a>b とすると、aがbで割り切れる。つまり、a=mbとなれば、bがaとbの最大公約数。もし割り切れなくて、a=mb+n となったら、bをnで割ってみる。b=pn となればnがaとbの最大公約数。割り切れずにb=pn+qとならば、nをqで割ってみる。以下同じように割り切れるまで続けて、割り切れた時の商の値が最大公約数だ。

 

このなの学校で習っ記憶ないな、と思いながら証明を読み問題を解いてみる。そうすると、わかったような気になってくる。楽しい。今度こそ最後まで続けられそうな予感がする。

 

高校で理系科目がからっきしダメで早々に諦めてしまったことを心の奥底で後悔しているからなのか、時々数学や物理の独学本を発作的に買ってしまう。これまでに買ったのは、

虚数の情緒―中学生からの全方位独学法

虚数の情緒―中学生からの全方位独学法

 
基幹物理学―こつこつと学ぶ人のためのテキスト

基幹物理学―こつこつと学ぶ人のためのテキスト

 

どちらも途中で挫折して本棚でホコリをかぶっている。いつかまた始めるつもりで背表紙を毎日眺めている。  

キッチン・コンフィデンシャル

 著者のアンソニー・ボーディンはディスカバリーチャンネルの「アンソニー世界を食らう」という番組の予告で見て、面白そうな人だなと思っていたが、番組自体はじっくり見たことはなかった。今年の6月に彼が自殺したと聞いて気になったので、著書を読んでみた。

 

内容は、アンソニー・ボーディンの料理との関わりを綴ったもの。子供の頃にフランスの親戚の家で、牡蠣棚からあげたばかりの生牡蠣を食べて、あまりのうまさに衝撃を受ける。この体験が料理の道へ進むきっかけになったという。

 

彼の料理人としての経験を語っていく。それが、結果としてレストラン業界の内幕を暴露するような内容になっている。レストランで月曜日に魚料理を頼むなとか、スペシャル料理は残り物の食材を使い切るために設定されるので気をつけろというような、裏話。あるいは、ドラッグやアルコールまみれで、食材の横流しや、ネコババが当たり前な料理人の世界。

 

ひどい内容なのだけれど、読んでいてそんなに嫌な気持ちにならないのは、著者が料理の世界を最高だと思っているのと、淡々とした語り口のおかげだろう。淡々としているけれど、ディテールは細かいところまできっちり描く。東京の寿司屋で、夢中であらゆるネタを食べ尽くす場面に引き込まれた。

キッチン・コンフィデンシャル

キッチン・コンフィデンシャル

 

 

夕焼け

10月下旬だというのに汗ばむくらい暑かった日曜日の夕方。宝泉寺に夕日を見に行った。夕日が地平線に沈むまで30分ほどぼんやりと眺めていた。

 

夕日はきれいで良かったのですが、じっとしていると蚊柱がたつくらいのたくさんの蚊が寄ってきた。背中やお尻をボコボコに刺されてしまった。

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大根菜の炒め煮

家庭菜園が趣味の妻のお父さんから、大きな大根が2本送られて来た。しかも葉っぱつき。勢いがあって見るからに美味しそうだったので料理して食べることにした。

 

まずは、葉っぱを1センチくらいの長さに刻む。それをくたっとなるまで湯がく。湯がくと大根菜特有の苦味が和らいで食べやすくなるのだ。湯がいた葉っぱはしっかりと絞る。

 

フライパンにごま油を熱してちりめんじゃこと油揚げを炒める。そこに大根菜を入れて炒める。油が行き渡ったところで、お水、お酒、醤油、みりんを入れて煮込む。汁気がなくなったら出来上がり。今回は仕上げにすりゴマをふりかけてみた。

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1日1アイス

ここ2週間ほどお酒を控えている。惰性でほぼ毎日お酒を飲むようになっていたので、このままでは依存症へまっしぐらじゃないかと、健康のことも考えて少し控えているのだ。

 

おかげで体調は大変良い。夜はぐっすり眠れるし目覚めも爽やか。今までのように、晩御飯の時に腰を落ち着けてお酒をじっくり飲むこともないので、夜の時間が長くなった。その分はゆっくりお風呂に使ってストレッチをしたり、猫の毛づくろいをしながらぼけっと過ごしている。

 

お酒を飲まないとご飯の後に何か甘いものが食べたくなる。ビールのロング缶を飲むことに比べれば、アイスをひとつくらい食べてもカロリーは大したことないだろう。それに、なんでも我慢してると思うとストレスになるので、仕事帰りにコンビニでアイスを買って食べている。好きなのは、白くま、パピコあずきバー、パルム。ファミリーパックはお得な気もするが、ひとつずつのサイズが小さくていけない。普通のサイズを食べたい。

 

年末になり飲み会を多くなるので、いつまでお酒を飲まずに過ごせるのかわからないが、家ではできるだけ飲まないでおこうと思っている。

座禅

時々、座禅の真似事をやっている。お寺に行って坐り方をちゃんと教えてもらった訳でないので真似事だ。短い時で20分、調子がいいと40分くらい坐っている。意識を呼吸に持って行ったり、聞こえてくる音に集中するようにして過ごす。油断すると、いつのまにやら仕事でしくじったことを思い返したていたり、今日の昼ごはんをどこに食べに行こうかと考え込んでいる。それに気づいたら、また呼吸と物音に意識を持っていくようにする。それを何度も繰り返す。次から次へと後悔の念、心配事、妄想が湧いてくる。本当に尽きることはない。そうしているうちに、わさわさしていた気持ちが静まっていくような気がする。

 

坐ると何が変わるのか。まず、日頃あまり目に入ってこない風景に気づく。いつも見ているはずなのだけど、気にかけたことがない、通勤途中の空の青さ、街路樹の紅葉に気付く。それから、少し面倒だなと思うようなことに、そんなに抵抗なくすっと取りかかれるようになる。こだわりがなくなって淡々と体が動くような感じだ。また、体の芯のこわばりがほぐれる感じもする。

 

調子がいいので、しばらく続けてみるつもりだ。

推定10年ものの梅干し

時々、お弁当におむすびを作って持っていく。おむすびといえば梅干し。農協の直売所やスーパーで売っている梅干しは結構いい値段がする。

 

母は毎年梅干しを漬けているので、電話して梅干しはあるか聞いてみると、去年のも今年のも、弟夫婦が持っていったり、広島のおばさんに送ったりしたので残っていないという。ただし、10年くらい前に漬けたのならあるかもしれないという。

 

ということで、母からもらってきたのがこの梅干し。

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梅干しらしい赤色はどこへやら。見た目は茶色でいかにも不味そう。食べられるのかどうかも心配だったが、試しにひとつ食べてみたところ。ちゃんと梅干しの味がする。しかも塩味、酸味がまろやかでまことに美味しい。今のところお腹が痛くなることもない。

 

この梅干しでおむすびを作るのが楽しみだ。