松林図屏風

東京国立博物館では毎年1月の前半に、長谷川等伯の国宝「松林図屏風」を公開する。長谷川等伯は石川県七尾市の生まれ、何年も前から一度は本物を見てみたいと思っていたが、なかなか正月休み明けすぐに東京に行くことができなかった。

 

今年は「いつ何があるかわからないから、行きたいと思った時に行っといたほうがいいよ。 」という妻のありがたいお言葉に背中を押され日帰りで見物することにした。

 

朝6時発のかがやきで東京へ、8時30分に上野に到着。開館は9時30分なので、駅のお店でスープとパンの朝食を摂りつつ時間をつぶす。9時15分頃に東京国立博物館の正門に到着すると既に長蛇の列が出来ている。100人以上が並んでいて、それに続々と人が加わっている。即位の式典で使われた高御座の展示を見る人の列だ。通常の展示は別の列だったのでホッとする。

 

本館正面の階段を2階に上がり左側に進むと、埴輪や仏像などの縄文、弥生、古墳時代のの美術品が並ぶ。その奥に松林図屏風が見えた。

 

松の木が霧の中からすっと浮き出ている。本当に霧が立ち込める空気感が伝わってくる。背景は一見したところ、ただの白に見えるが、近づいてよく見るとうっすらと墨が塗られている。左側の屏風の白い山は墨の濃淡だけで描かれている。

 

展示室に置かれて椅子に座って遠くから眺めたり、近づいて観察したりと30分以上見ていた。同じように行ったり来たりして、写真を摂りながら仔細に鑑賞している人が何組かいた。

 

松林は北陸の海岸沿いなら何処にでもあるありふれた風景。うちの実家の窓からもまさに松林図屏風の松林と同じような景色が見える。冬のどんよりとした雲の下、日本海の荒波が砕ける音が聞こえる中で霧雨に煙る松林。そんな風景を思い浮かべながら見ていた。

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犬の散歩

東京で息子の引越しを手伝い、元日を大阪の実家で過ごした妻と娘が、2日に私の実家にやって来てようやく家族が揃う。

 

夕方、娘と一緒に弟夫婦が飼っている犬(豆柴)を散歩に連れて行った。海岸沿いの防波堤を隣町まで行って、我が母校の小学校へ向かう。小学校はポツンと田んぼの真ん中にある。原野の一本道を歩くことになるので、冬の季節は風が強過ぎて傘がさせない。カッパを着て通学していた。冬の雷は恐怖。いつ雷に打たれるかと怯えながら歩いたものだ。通学路からは白山や富士写ヶ岳など山並みが綺麗に見える。住んでいた時は当たり前の風景でなんとも思っていなかっったが、久しぶりに見るといい風景だなとしみじみ思う。

 

東京、大阪に少しかぶれ気味の娘は、田舎感が半端ないと喜んでいる。

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ソビエト・ミルク ラトヴィア母娘の記憶

20年ほど前、とある電機メーカーのシリコンバレーの子会社へ派遣されていた時の同僚にラトビア出身の人がいた。アレックスという当時30代前半の男性で、私と年が近いこともあり、屋外の喫煙所でタバコをふかしながら、お互い不自由な英語でボソボソとよく話した。

 

彼はソ連では、社会経済研究所のようなところで働いていたが、ソ連の崩壊に伴って難民としてアメリカに来たといっていた。奥さんと子供一人連れて来たそうだ。その時は、ラトビアという国がどこにあるのか、ソ連ラトビアユダヤ人の関係、どんな経緯で難民になったのかも全くわからなかった。当時の英語力ではこみいった話はできそうもなかったし、過去のことにあまり立ち入るのもどうかと思い、それ以上の詳しい話は聞くこともなかった。

 

その後、日本に帰ってから、ティモシー・スナイダーの「ブラッドランド」を読んで、第2次世界大戦の中の独ソ戦の時に、ドイツとソ連の間のポーランドやバルト3国では、ドイツに占領されている時はソ連の手先だと疑われ、ロシアが再占領した時にはドイツの手先として疑われ、地元の人々が大変な扱いを受けたと知った。

 

最近、池内紀の「消えた国 追われた人々 東プロシアの旅」とギュンター・グラスの「蟹の横歩き」、「玉ねぎの皮をむきながら」を読んだこともあり、ロシアとドイツの間、バルト3国についてもっと知りたいと興味を持っていたこともあり、朝日新聞の書評でこの本を紹介しているのを読んで直ぐに購入した。

 

この本に登場する母親は1944年生まれ。ラトヴィアがソ連の一部として実質上併合された時に幼少期を過ごす。実の父親は、ソ連兵に反抗したばかりに暴行を受け収容所送りになる。産婦人科医として働きながら25歳の時、1969年に娘を出産する。母親が精神的に不安定で、アルコールや薬物に走り、娘が祖父母が母親を支える。母と娘の回想が交互に記される。反体制的な教師が収容所送りになって突然いなくなる、そんなことがあっても、誰も何もなかったように平然と日常生活が過ぎていく。

 

二人の回想はソ連の指導者がゴルバチョフの時代となり、ベルリンの壁崩壊まで続く。歴史書を読んでいるだけでは、感じることができない人々の生活の肌触りが伝わる。

ソビエト・ミルク: ラトヴィア母娘の記憶

ソビエト・ミルク: ラトヴィア母娘の記憶

 

1991年にソ連の崩壊とともに、ラトヴィアは独立。ラトヴィア人主導の政府となる。今度は立場が入れ替わり、人口の約30%を占めるロシア系住民が、無国籍になるという問題が発生している。

反穀物の人類史

狩猟・採集社会から農業社会へ移行して、それと同時に移動生活から定住生活へ移行して、国家、文明が始まる。文明の恩恵にあずかろうと雪崩をうって人々は国家に参加する。国家はこういうふうに始まったと思い込んでいた。

 

定住生活と国家の組み合わせって、今はあたりまえで国家が無い社会は考えられないけれど、国家が始まった当初はそんなにいいもんでなかったということがこの本に書いてあります。

 

そもそも、農業の始まりや定住生活の始まりと国家の始まりに直接の関係はなくて、農業が始まって数千年間は大規模な国家ができていないし、狩猟・採集社会であっても豊かな地域では定住生活をしていた。農業が始まったからといって、狩猟・採集生活を止めてしまったわけでもない。食料調達の為の手段として随分長い間並存し、自然環境の変化に合わせて狩猟をやったり農業をやったりしていた。

 

肥沃な沖積平野に、人口を集中して住まわせ小麦や米などの単一の穀物を栽培させ余剰生産物を税として徴収する。そのための仕組みが国家だという。別に国家などなくても暮らしていけたし、国家に属さず狩猟採集で生活していたほうが豊かな暮らしが出来たらしい。その証拠に、疫病や凶作で生活条件が悪くなると、人が逃げていくので、国は常に奴隷や捕虜を連れてきて補充しつつげないと国家を維持できなかったそうだ。万里の長城は北方の遊牧民が中原に侵入するのを防ぐためにあるのではなく、中原の人々が北方へ逃げ出さないよう閉じ込める為にあるのだと著者は言う。中島敦の小説、「李陵」で、万里の長城を警備していた李陵が遊牧民に襲われて捕虜として北方に連れ去られた時に、李陵の一族が皆殺しにされた部分を読んで、どうしてそこまで厳しい処罰になるのかと思っていたが、もしかしたら北方へ逃げそうとする人々への見せしめの意味があったのだろうか。

 

また、人が密集して住む都市は伝染病の温床になる。それに家畜も加わると動物由来の伝染病も加わる。古代文明の中心地がある日突然消滅することがあるのは伝染病が原因とのこと。

 

単一穀物の栽培を基盤とした国家の仕組みだけしかなかった訳ではないのだ。国家の下で暮らすことの条件が悪ければ人は自ら選択して国家を捨てて、文明が及ばない「野蛮人」となった。野蛮人、未開人、部族、非定住民等という呼称は、国家の側が名付けたもので、必ずしも野蛮でも未開でもなかったと著者は言う。

 

「飼い慣らし」という考え方も面白い。野生の動物や植物を飼い慣らして、家畜や栽培植物にしているのだが、よく考えてみるとどっちが飼うほうで、どっちが飼いならされている方なのか? 動物の食べ物を準備して、毎日欠かさずに世話をして奉仕しているのは人間ではないか。植物の成長に最適の環境を整えて身を粉にして働いてるのは、人間ではないか。飼いならされているのは人の方とも言える。更に本当は狩猟や採集など食べ物を入手する方法はいろいろあるのに、他は捨てて単一の穀物の栽培だけして一生を過ごすというのは、まさに人が家畜や植物に飼いならされているのではないか。

 

いろいろ考えるきっかけになる、目から鱗が何枚も剥がれ落ちる本です。

反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー

反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー

 

 

 

焦がしキャベツのスープ

有賀薫さんの「スープ・レッスン」という本がある。シンプルな味付けで、メインの野菜一種類を味わうためのスープのレシピをまとめた本らしい。「らしい」というのは本を買っていないからで、アマゾンでオススメされて説明を読んだのだ。その本の表紙にはキャベツを使ったスープの写真が使われている。大ぶりに切ったキャベツのところどころが茶色く焦げている。焦がしキャベツのスープというらしい。

 

この表紙だけで、キャベツの焦げた甘い香りとベーコンの燻製香が思い浮かんで、なんとも食欲をそそられる。冷蔵庫のコストコで買ったベーコンとキャベツを眺めていて、このスープの写真を思い出した。本は読んでないけれど適当に想像して作ってみる。

 

鍋にオリーブオイルを入れて大ぶりにくし切りにしたキャベツを焦がす。焦げた香りが立ち上るまでじっくり待つ。いい具合に茶色くなったらひっくり返して反対側も。水とベーコンを入れてキャベツに火が通るまで待つ。焦げが溶け出してスープは茶色になる。キャベツが柔らかくなったところで塩、胡椒で味付けして完成。

 

コンソメスープの素や鶏がらスープなど、だしの類は全く入れていないけれど、十分な旨味と香り。妙な旨味が後味として残らずスッキリして良い。

 

考えてみれば、ハチバンの野菜ラーメンや焼きそばの旨さは、少し焦げ気味に炒めたキャベツに負うところが大きいのかもしれない。その旨さに着目して、スープという形でまとめたのはすごいな。

 

他のレシピも気になるので、「スープ・レッスン」買うことにする。

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スープ・レッスン

スープ・レッスン

  • 作者:有賀 薫
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

サッポロ一番塩ラーメン

昨日の昼ごはんは、買い置きしてあった「サッポロ一番塩ラーメン」。

 

具は冷蔵庫に残っていたもやしと卵。

 

中華鍋にバターを入れてもやしを炒め、塩胡椒で味付けしたものを一旦お皿に取る。中華鍋にお湯を沸かして麺を茹でる。麺がほぐれたら生卵をそっと投入する。麺が茹で上がったら取りよけておいたもやしを鍋に戻し、粉末スープを入れて完成。

 

とろとろの黄身がスープにとけだすのがいい。最後にスープにご飯を入れたいところだが、太るので今日は我慢、我慢。

 

インスタントラーメンは子供の頃からサッポロ一番塩ラーメンが一番のお気に入り。

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豚大根クミン味

28日から妻と娘が東京の息子のところへ行ったので、31日まで私は猫と留守番。食費の節約と好きなように料理したい気持ちを満たすため、食事は冷蔵庫の残り物でしのいでいる。

 

豚小間が少しと大根があったので、豚肉と大根をごま油で炒めて醤油で甘辛く煮ようと思ったのだが、大根をいちょう切りにしていた時に、この前買った大量のクミンを使ってカレー風にしようと思い立つ。

 

鍋にごま油とクミンを投入して火にかける。クミンの香りが立ってきたところで豚肉を入れる。あらかた豚肉に火が通ったところで、いちょう切りにした大根と人参を投入。大根が柔らかくなるまで15分くらい煮込んで、カレーパウダーとパクチーを入れる。塩胡椒で味を整えて完成。

 

思いつきでチャチャッと作ったにしては、それらしい味に仕上がった。丼にご飯を入れたところに、汁ごとぶっかけてハフハフとかきこむ。わかりやすい美味しさ。

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レモンと柚子

岡山の叔母が自宅の庭でレモンが沢山採れたということで、母のところへ大量のレモンが送られ、母からのおすそ分けでレモンを20個ほどもらった。生食では全部食べきれないと思い、半分の10個でジャムを作ってみた。

 

まず、レモンの皮をむく。皮の白い部分は苦味になるので黄色い部分だけを皮むき器で薄く剥ぎ取る。皮を剥いたらレモンを半分に切って果汁を絞り出す。種はザルで受けておく。

 

鍋に湯を沸かして皮を茹でこぼす。茹でこぼすと苦味が和らぐらしい。ザルで受けた種は別の鍋に少量の水を入れて煮込む。煮込むとペクチンが抽出される。ペクチンがジャムの粘りの素になるので種の茹で汁を果汁と合わせておく。

 

鍋に果汁、皮、果汁の1.5倍の重さの砂糖を投入して煮詰める。どれだけ煮詰めても粘度が出てこないので味見をしながら少しずつ砂糖を追加する。鍋をかき混ぜるヘラに少し抵抗を感じるようになったところで火を止める。

 

150mlの保存瓶4つ分のジャムが完成。熱いうちはサラサラの液体でジャムらしくなかったのだが、常温に冷えたらねっとりと飴のようになった。どうも煮詰めすぎたらしい。しかし、果汁と黄色い皮の部分だけで作ったおかげなのか、濃厚だけど苦味がなくスッキリとした味わいに仕上がった。

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冷蔵庫の野菜室には、大量の柚子がレジ袋に入れたまま萎びかけていたので、こちらはポン酢にすることにした。

 

柚子の皮の黄色い部分は料理のあしらいに使えるので、皮むき器で丁寧に剥いておく。ラップに包んで冷凍しておくのだ。

 

柚子を半分に切って果汁を絞る。15個ほど絞って約250mlになった。保存用の瓶に、果汁ど醤油(果汁と同量)、昆布、鰹節を投入して出来上がり。1、2週間寝かせると味がまろやかになるそうだ。年明けにこのポン酢で魚介の寄せ鍋をしてみたい。

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サイゼリヤ

仕事納めの金曜日、18時に職場を出たものの、ワイン飲みながら本でも読もうと金沢駅の西口にあるサイゼリヤへ。高校生が沢山で相変わらず混んでいる。

 

彩イタリアンサラダにチョリソー、ポトフ、白ワインは500mlのデキャンタでオーダー。サラダは細かく切ったオリーブやトマト、チーズが調和しておいしい。量もたっぷり。ポトフは899円とサイゼリヤにしては値段が高いけれど、大ぶりの牛スネ肉が3切れ、鶏の手羽元が2本、じゃがいも1個、人参1/2個、玉ねぎ1/4個と量がたっぷりで食べ応えあり。おろしニンニクをつけながら食べるとさらに良い。サラダとポトフ、それにパンが一切れあれば十分満足できる。年寄りにはチョリソーは余計だった。

 

料理を食べた後も、ワイン飲みながら1時間くらいのんびりする。ワイン500mlはさすがに飲みすぎだったようで酔っ払う。これで2000円は安い。

玉ねぎの皮をむきながら

 ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスが、子供時代から代表作「ブリキの太鼓」を書き上げるまでを回顧する。この本が出版された2006年にグラスは第2次世界大戦の末期にナチス武装親衛隊員だったことを告白して、マスコミで大騒ぎになる。この本でも親衛隊員だったことが語られる。

 

ナチスの時代に、反ナチスの言動をした教師が、ある日突然いなくなる。そんなことがあっても、グラス自身も含めて誰も声をあげない。見て見ぬふりをする。何度も同じようなことが続くうちに、国全体がナチス一色になってしまう。「何かおかしい。」と思った時に、沈黙してしまったことをグラスは悔いる。戦後もずっと重くのしかかる。

 

「私の名前を持った少年が、その時◯◯した。」というような、著者本人の語りのはずなのに、3人称での語りが混在する。ボッっと読んでいると誰が誰のことを説明しているのかわからなくなる。また、時系列に回顧した内容が並んでいるわけでなく、時代が進んだり、元に戻ったりするので、わかりにくい。何回か読み返さないと頭に入ってこない。しかし、つまずき、立ち止まり、読み返すうちに、この本のリズムに馴染んで、本の中に没入していくようになる。ゆっくりじっくり読むべき本なのだ。

 

ドイツ人にとっての第2次世界大戦の時代の肌触りをうかがい知ることができます。

玉ねぎの皮をむきながら

玉ねぎの皮をむきながら

 

窓掃除

母から、正月までに窓掃除をするようにとの指令があり、土曜の朝、部活に出かける娘を高校まで送った後、そのまま加賀市の実家へ行く。

 

9時前に到着して玄関を開けようとするが、鍵がかかっていて入れない。早起きの母がこの時間まで寝ているなんて、もしや布団の中で倒れているのではと思い、慌てて庭に入って覗くと居間でテレビを見ている。窓ガラスを叩いて知らせて鍵を開けてもらう。一昨日から風邪ひいて、昨日は1日中寝ていて、今起きたばかりとのこと。

 

コーヒーで一服してから窓掃除を始める。まずは網戸を外して小屋の壁際に立てかける。本来なら網戸は水洗いして乾かしてから仕舞うべきなのだが、小雨が降っているので、来年の夏に網戸を取り付ける時に洗うことにする。

 

ホースでじゃぶじゃぶと窓ガラスを濡らしてブラシでこする。そのあとスクレーパーで水分をキレイに拭う。実家は海岸から200メートルくらいしか離れていないので、冬場に海が荒れると塩分交じりのしぶきが飛んで来る。それが窓ガラスに着いて白くガラスが曇る。増築した仏間と和室には縁側があって、縁側は全面がガラス窓に覆われている。玄関の風除室のガラスも洗う。全部終わらすので1時間半かかった。

 

ホースを片付けながら出来栄えを眺める。網戸を外してスッキリした窓ガラスがピカピカと光っている。満足。

 

昼ごはんの時間。母は病み上がりで食欲がないらしく、スーパーで巻き寿司とみかんを買ってきてくれという。車で10分ほどの所の小さなスーパーへ行き買ってくる。私は天ぷら蕎麦にしようと、冷凍の蕎麦と野菜かき揚げを買う。

 

二人でテレビを見ながら昼飯を食べて、少し昼寝をして14時に実家を出て金沢に戻る。

孫助

午前中の仕事が一段落し、午後に何しようと考えて見ると、特に急ぎの仕事があるわけでもなく、誰かと会う予定もない。外を見るとこの季節には珍しく明るい日差し。ということで、午後は休むことにした。12時に職場を出て県立図書館に向かう。仕事がらみでヨーロッパの風力発電にについて調べたいことがあり、関連の本を借りる。

 

香林坊のハンズでノートとバッグインバッグを物色。気に入る物がなかったので何も買わず店を出る。せせらぎ通りの洋食屋「くらつき」で昼飯にしようと思ったら、扉に「本日は都合により臨時休業」の張り紙。お母さんが最近体調がよくなさそうなので心配。

 

香林坊側に少し引き返したところにある。「孫助」という居酒屋さんに入る。以前から存在は知っていたが入るのは初めて。お昼は、エビフライ、カキフライ、ヒレカツ、クリームコロッケ、刺身、焼き魚などの定食がどれも1000円。今日は赤ガレイの焼き魚定食をお願いする。

 

ふんわりと焼いた赤カレイ、イカと大根の煮物、ナメコと卵の味噌汁、納豆、自家製と思われる大根の漬物、炊きたてのご飯。満足です。

 

今までは、せせらぎ通りでお昼を食べるとなると、カレーの「アシルワード」か「くらつき」、ピザの「サリーナ」のどれかだったが、これからは「孫助」も選択肢に入れよう。夜も良さそうだ。

ひゃくまん穀

柔らかめのご飯が好きか固めのご飯が好きかは、人によって好みがはっきりと別れるところ。私の好みは固め。結婚した時には、妻に、ご飯だけは固めに炊いてくださいとお願いした。柔らかく炊いたご飯は、お釜の中で米粒と米粒が融合して団子になってしまうことがある。その団子ようなの食感が嫌いで食べられないのだ。

 

飯粒が融合して、ご飯が団子のような食感になるのは嫌いだけど、団子やお餅そのものは大好きなのでややこしい。赤飯やおこわなどもち米も好きだ。しかし、普通の白米だけは飯粒の一粒づつが際立ったシャキッとした食感が好み。

 

石川県が独自に開発したお米の品種、「ひゃくまん穀」は、大粒で、粘り気が強くて、しっかりとした粒感で食べ応えがあるとのことで、10キロ買って食べてみた。

 

食べてみた感想は、固めのご飯好きとしてはもっちりしすぎてもう一つ。普通に炊くと柔らかめになってしまいお釜の中で団子になる。お弁当に入れると粘り気が強くて塊になり食べづらい。自分がサクッとさらっとした食感のお米が好みだということにあたらめて気づいた。

 

普通に炊くと柔らかめになるということは、作る側もわかっているらしく、他のお米よりも水量を少なく、浸水時間を短くするように注意している。

hyakumangoku-pr.com

大粒の食べ応えや、粘りの強さは確かにおむすびにぴったりだと思うので、次回は水少なめで炊くようにする。

石川太郎

妻の友達がお芝居に出演するというので、妻、娘、私の3人で金沢市民芸術村で見てきた。地元の劇団、「劇団110show++」が上演する芝居、タイトルは「石川太郎」。石川太郎とは、学校や役所へ提出する書類の記入例に登場する架空の人物の名前、石川県なので石川太郎。架空の人物をテーマとした3本のお芝居だ。

 

最初は役者さんたちのハイテンションな動きや台詞回しについていけず、「やれやれ最後まで見るの大変だわ。」と思っていたが、場に慣れたきたこともあり、2本目からお芝居の世界に入り込むことができた。3本目の人工知能ロボットの話は面白かった。

 

小さな会場で間近にお芝居を見るのが初めてだった娘にとっては、かなり刺激的だったようで、家に帰ってからも「えらいもん見てしまった。」としきりにつぶやいていた。

 

 

数学読本1 数・式の計算 方程式 不等式

今年の初めに1ページ目を開いてから1年、ようやく読み通した。途中で2ヶ月間ほど放置していた時期もあったけれど、毎日1ページでも、1問でもいいつもりで少しずつ進めて、なんとか最後のページまで到達した。明け方の居間のコタツで、ひとり最後の問題を解き終え、なんとも言えぬ達成感に浸っている。来年もこの調子でやろうとアマゾンで「数学読本2」を発注した。 

 

高校時代は数学がからきしダメで30点以上取ったことがない。できないなら必死で勉強すればいいものを、できない自分を認めるのがいやで勉強もしなかった。

 

今は数学がわかったところで誰が褒めてくれるわけでもない。単なる道楽なので気楽に取り組めるのがいいのかもしれない。それに学生時代とは違って、時間に追われることがないのがいい。気が向いた時に自分のペースで進めていける。

 

この本の解説は、先生が生徒に語りかけるような調子で書かれていて親しみやすい。更に、問題が無闇に難しかったりテクニカルだったりしないのもいい。本文で説明したことの確認程度の問題から徐々に難易度を上げた問題が並んでいる。難しい問題は解答例を鑑賞するつもりで読んだ。

 

仕事に数学が必要なわけでもない。数学が苦手な娘の質問に四苦八苦しながら答えているうちに、ふと「数学意外と面白い。」と感じて、酔った勢いでアマゾンでこの本を買って始めたのだ。どれだけ時間がかかるかわからないけれど6巻まで読み進めるつもりだ。

新装版 数学読本1

新装版 数学読本1