浮世に言い忘れたこと
失われた時を求めて(4) 花咲く乙女たちの影に
失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)
- 作者: プルースト,吉川一義
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/06/16
- メディア: 文庫
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反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方
数学
来週には公立高校の入学試験だというのに、娘は相変わらず数学に苦労している。昨日塾へ送っていく車中では、数学の過去問をやっても50点以上にならない、学校から帰ってきて金沢情報を見てから勉強しようと思っていたのだけれど、急に悲しくなって机に座って泣いてしまったとボソボソ言っていた。相当に追い込まれているようだ。安易に慰めの言葉をかけたところで、鋭い娘のことだから反発されるだけだろうと意識しすぎて、「そうか、大変だね。」と他人ごとのような返事をしてしまった。
思い返してみれば、彼女は小学校4年生くらいから算数が苦手で、いつも補修クラスに入れさせられていた。そのうちにわかるようになるだろうと放置しておいたのがよくなかったのかと、そろばん教室に通わせておけばと、今更後悔してみても詮無い。きちっと考えようとする姿勢はある。でも、ちょっとわからない所に出会うと、そこから先へ屁理屈をこね回してでも進む力がない。結局はよくわかっていないということか。
今のところ、目覚ましい成果は現れていないけれど、彼女のこの1年間の勉強ぶりは大したものだと思う。なんとか苦手な数学と理科を克服しようと毎日コツコツと取り組んで、わからないところは学校や塾の先生にもうんざりされるくらい粘り強く質問していた。支払った月謝のもとは十分に取ったと思う。
残り1週間。心穏やかに受験できるように見守っていたい。それしか出来ないのだが。
甘栗
日曜日に義父の誕生日プレゼントを買いに、妻と駅前のモンベルに行った帰り道、別院通りを歩いていると、「甘栗 金澤堂」という看板を見つけた。ガラス越しに中を覗くと、入口脇に甘栗を煎る釜が置いてある。その右手がショーケースになっている。観光客と思しきリュックサックを担いだ男女二人連れが、お店の人と話しながらお金を払っている。香ばしい香りがしてくるので、中に入ってみようかどうか迷っていたところ、「今ひとつ剥きますから食べて行ってください。」と中から声をかけられ、思わず入ってしまう。
ショーケースには「小、750円」、「中、1400円」、「大、2100円」の3種類の紙袋が並んでいる。その横には贈答用の箱を唐草模様の風呂敷で包んだ物がいくつか並んでいる。
店主の方だろう、私と同年代の50歳前後の男性が栗を向きながら色々と話を聞かせてくれた。富山県の高岡市で春日堂という甘栗屋さんを35年前から続けていて、2月1日から金沢に出店したそうだ。甘栗だけで商売になるのかいな、と思いながらお話を聞く。実は手土産に甘栗を使う人が年配の人に多いらしい。昔はデパートの食品売り場で煎りたての甘栗を売っていたのだが、今はどこも止めてしまったそうで、金沢の甘栗好きは通信販売かスーパーで売っているので我慢していたらしい。富山のお店はそんな甘栗マニアの受け皿となっていて、金沢からもわざわざ買いに来るお客さんがたくさんいたそうだ。それもあって、金沢に出店したとのこと。2月1日にオープンして、まずはPRを兼ねてご近所に煎りたての甘栗を配ったそうだ。そのおかげか、順調にお客さんも増えていて、朝に煎った甘栗を余らせたことがない。リピーターも多く、2、3日前に小松からタクシーを飛ばしてやって来て、1万円分買っていったおじいさんがいたそうだ。
剥いてもらった甘栗はたしかにほんのりと甘くて後味すっきり。何個でも食べたくなる味だ。艶を出すために水飴をかけながら煎るのでので、ピカピカとして見た目も食慾をそそる。
宵越しの甘栗は売らないのがモットーで、朝に煎った甘栗はその日に売り切ってしまい翌日には持ち越さないと、何度も話されていた。
物は試しと、「中、1400円」を買って、家でお茶のお供に食べてみた。煎りたてだからだろう、まずは皮が剥きやすい。爪を立てるとパキッと音がして切れ目が入る。割れ目を挟むように両脇がら抑えると、パカっと皮が開いく。ちょっと力を入れすぎて、一つ目は実が半分に割れてしまう。身を掘り出すようにして食べる。ふたつ目は手加減してたので少し渋皮は残ったものの壊れることなく実を取り出すことができた。うまい。3つ目はきれいにポロリと剥くことができて、そのまま口に放り込む。
お店の人は甘栗は3粒目が1番うまいと言ってた。口も甘栗に慣れてくるし皮を剥くのも3粒目くらいには上手になるので、たしかに3粒目が1番うまい、ような気がした。
そう言えば、お盆や正月など一族が集まる機会があると母は必ずスーパーで甘栗を買っていた。今度実家に行く時には手土産にしてみよう。
ぶらぶらと。
午後の仕事を休んで自転車で香林坊に行く。昼ご飯をせせらぎ通りのアシルワードで食べる。カレーが2種類でナンとサフランライスが付いたアシルワードセットを注文、カレーはチキンカレーとダルカレー。右隣は3、40代の男性2人連れ。ネパールのカレーラーメンのような料理を食べている。職場の先輩がもう1人に付け合わせの香辛料の使い方を教えている。2人が食事を終えて立ち去ったと思ったら、すぐに左隣のテーブルに大学生3人組がやってきた。3人でバイトの話をしていた。あそこの塾講師の仕事は報告書の作成が楽でいいとか、コンビニのバイトが忙しくて大変だとか。うちの息子も塾講師のバイトを始めると言っていたので話の内容が気になって、一心不乱にカレーを食べているようなふりをしながらも耳は彼らの会話に釘付け。授業の準備時間も勤務時間に参入できるとか、本当は車でバイト先まで行ったとしても、バスと電車で行くことにして交通費を多めにもらうとか、なかなか具体的で参考になる。間にコンビニバイトやコンサートのスタッフのバイト談義も織り交ぜる。うちの息子もこんな会話を東京でしているのかと思うと、彼らが愛おしくなりカレー代をおごってあげたくなったが、変なおじさんと思われるだけなような気がして思い留まる。
食後は東急ハンズで、ゼブラのサラサドライという水性ボールペンの0.5ミリの太さの替え芯を2本買い、うつのみやで本を物色。その後尾山神社近くのブランケットカフェで、カラメル味のビスコッティを齧りながらコーヒーをすする。コーヒーのお供は、プルーストの「失われた時を求めて」の第4巻。劇的なストーリーが展開するわけでもなく淡々とリゾート地でのひと夏の情景が展開していく。面白くないけれど、情景描写や心理描写の解像度の高さには唸らせられる。ブランケットカフェは次々と入れ替わり立ち替わりお客さんが入ってきて、活気があっていい雰囲気。お店のご主人と常連さんらしいお客との気さくな会話が場をなごます。日差しが暖かくて自転車に乗っていても気持ちがいい。玉川図書館に移動して数学と仏教、家事、ラテンアメリカ文学、経済学の書架をチェック。ノーベル経済学賞を受賞したジャンテロールの「良き社会のための経済学」を借りる。
昨日の飲み会のダメージで食欲が無かったが、アシルワードのスパイシーなカレーのお陰で胃袋の目が覚めた。もたれた感覚が薄らいで食欲が復活した。宿酔いには、汁物とか麺類がいいと思っていたが、スパイシーなカレーもなかなかなもの。胃がシャキッとするわ。
哲学JAM
プリン
スリランカからの留学生
妻は中学生3年の娘の同級生を5人集めて週1で英語教室をやっている。受験勉強というよりは、英語を使ってコミュニケーションすることの楽しさを伝えたいようで、会話中心に教えている。2年くらい前だったろうか、どこで知り合ったのか金沢の大学に来ている留学生2人をゲストに迎えて生徒たちに会話させていた。スリランカから来た留学生でお姉さんと弟だ。中学生に好評だったのか、月1回英会話教室に来てもらって、2人に晩御飯をご馳走して家まで車で送るのが恒例になっていた。弟さんはそれほどでもないけれど、お姉さんは日本語は難しいと言っていた。普段は学校が終わると、金沢の有名な餃子屋さんで餃子を包むアルバイトをしているとのことだった。餃子が好きなのかと聞くと、仕事でやっているだけで餃子は食べないと言ってた。妻とは留学生も大変だねと話した。
楽しく日本で暮らしているのかと思っていたのだが、半年くらい経った頃、お姉さんが大学をやめてスリランカに帰ることになった。理由を聞くとスリランカに帰国して結婚すると言う。日本語が難しくて勉強についていけなかったことも原因だったようだ。
彼女がスリランカに帰った後も妻はメールで連絡を取っていたようで、去年の10月に彼女から結婚式の招待状が送られてきた。スリランカの結婚式に招待されることなんて、一生のうちでそう何度もあることではないので娘と2人で行ってきたらと進めたのだが、高校受験を控えた娘と一緒に行くわけにもいかない。娘を残して行く訳にもいかない。ということで、招待のお礼と結婚のお祝を送るにとどめた。
先日、その結婚式の写真が、スリランカから送られてきた。驚いた。マハラジャかと思うような豪華な結婚式。妻によれば、両家とも相当なお金持ちで600人を招待した披露宴が3日3晩続いたのだそうだ。
留学中のアルバイトとは言え、そんな大金持ちに餃子包ませたらあかんやろ、と妻と話した。
Amazon prime wardrobe
Amazonでズボンを買った。休日用はジーンズと茶色のクライミングパンツを着回してきたのだが、ジーンズは1日はいていると足が疲れる。クライミングパンツはネットでエイヤッと当てずっぽうでサイズを選んで買ったので、私には少し大き過ぎた。自分にピッタリと合うサイズのクライミングパンツが欲しかったのだ。
Amazonのprime wardrobeなら、8アイテムまでなら、送料無料で取り寄せることができる。家で試着して気に入った商品だけを購入して残りは送られてきた箱にいれて返送すればいいのだ。送り返す送料も無料、気が利いたことに宛先住所が記入済みの送り状も同封されている。
今回はLサイズとMサイズの2種類で、それぞれ通常の長さと、Just Cutと称する短めの丈の2種類ずつ、合計4種類を取り寄せた。金曜日のお昼に注文したら土曜日の午前中に届く。早速試着したところ、私にはLサイズのJust Cutがぴったりだった。決まれば購入と返品の手続きをして、返す商品を箱に詰め直して、同封のラベルを貼ってコンビニに持っていき終了。全部で1時間もかからなかった。
こりゃ便利だわ。休日に買い物に出かけると、どうしても半日は潰れる。出かけても気に入った商品の欲しいサイズがあるかどうかはわからない。店が混んでいる落ち着いて試着もできない。
通販は、再配送の手間などを考えるとエネルギーの無駄遣いではないかとも思ったが、ズボン1本買うのに車で遠くの店まで出かけることを考えると、インフラとして末端までの配送ルートが確立されてしまえば、そのインフラにズボンを1本載せるだけなので、逆にこちらの方がエネルギー効率が良いのではとも思う。少なくとも人口密度が高い都市部にはあてはまるような気がする。家で落ち着いて心ゆくまで試着できるのもいい。
そう思うと、服を買いにわざわざお店に出かける理由って何だろう。本屋さんも同じだけど、自分の好み以外の思いがけない品物と出会いがあったり、お店に出かけること自体に何か楽しいことがないと出かけなくなるだろう。
失われた時を求めて
失われた時を求めて」の第4巻を読んでいる。ようやくお話にすんなりと入っていけるようになった。風景描写にしろ、登場人物の心理描写にしろ、解像度の高さには驚く。これって俺のことを語っている。昔こんな風に感じたことあった、と思い出させるような描写に次々に出会う。スワンが、最初はそれほどオデットのことを好きでもなく、ちょっとお手軽に楽しんでやれくらいに思って付き合っていたのに次第にオデットのペースに引き込まれて、オデットなしでは夜も昼も開けないくらいに好きになって行くところなど。
何気ない情景の描写も細かい。海の見え方、空の様子が具体的で細かい。そして、ああ確かにそんなふうに見えることあるわと思わせる。ただし、描写が詳細なだけに文章に集中して噛みしめないと単に字面を追ってるだけになりかねない。
わかってもわからなくても、プルーストの描写に身をまかせるような読み方も心地よい。
見ると欲しくなる。
江戸散歩 上下
三遊亭圓生が、東京に江戸の面影がまだ残っていた頃の様子や、その頃にたくさんあった寄席や芸人さんの思い出話を語る。圓生が編集者に語った内容を文字に起こしたものなので、読んでいるうちに圓生の落語の語り口が頭の中に自然に再生され心地よい。