珉来

昼飯に中華が食べたくなり若宮の珉来に行く。前は何度も通ったことがあるけれど、お店に入るのは今回が初めて。10台以上はありそうな駐車場がいっぱいだった。お店に入ると、テーブル席を待つお客さんが列をついている。私は一人だったのですぐにカウンター席に通してもらえた。周りのお客さんはチャーハンを食べている人が多い。メニューを見ると、麺類と飯もののセットが目立つ場所に書いてある。普通サイズの麺と小さい飯ものがAセット、小さい麺類と普通サイズの飯ものがBセットとある。チャーハンがうまそうだったので、ラーメンとチャーハンのBセットにした。

 

店員さんは女性が多い。女性4、5人に男の人がひとり。店員さんのお客さんへの目配りが行き届いていて、席への案内や注文取りなど応対が気持ちいい。ジャーからホカホカのご飯を取り出してチャーハンを作っている。

 

5分ほどでチャーハンとラーメンをほぼ同時に持って来てくれる。チャーハンは普通サイズといいながら結構なボリューム。ラーメンは鶏ガラズープのあっさり味。こんなに食べたら午後は眠くて使い物にならないと思いつつも、ラードが効いたチャーハンをかきこみラーメンのスープで流し込むと、もう止まらない。炭水化物バンザイ。

 

普通の街中華です。居心地がいいお店でした。

昼ビール

風は肌寒いけれど、真っ青な空にキラキラした陽射し。居ても立っても居られない気持ちで、あてもなく家を出た。とりあえずどこかでお昼ご飯を食べようと武蔵ヶ辻から香林坊に歩く。ただ青空を眺めているだけで気持ち良い。日陰に入ると半袖のポロシャツでは寒いが日なたにいると心地いい。

 

四高記念館の裏で、  ワインのイベントをやっているので様子を見にいったら物凄い人。食べ物にありつくまでに時間がかかりそうだし、ゆっくり食べる場所もなさそうだった。ここはパスして池田町バルバールで昼呑みすることに。

 

バルバールでは先客は男女の二人連れが一組。出入り口近くの明るいテーブル席に座り、「大人の昼酌セット」を注文する。これは小皿のおつまみが4品と生ビールもしくは赤、白のワインがついて1,000円。喉が乾いていたので今回は生ビールにした。入口のドアとその脇の大きな窓が開け放たれているので、風と陽射しが入ってきてここちよい。ビールを飲みながら持ってきた本を読む。ビールをおかわりしたら気持ちよくなって、何か食べたくなったのでミートソースのパスタを食べる。ラザニアをテープ状に切ったような太い麺がミートソースの旨味を受け止めて旨い。

 

店を出て新竪町に向かう。もう15年以上経っただろうか。家を建てたときに椅子を買った「Phono」さんをのぞいてみる。娘の誕生日に北欧ものの雑貨でも買おうかと思ったのだが、彼女のイメージにしっくり合うものがなかった。自分が欲しいものはたくさんあったけれど。

 

そのまま新竪町を抜けて、犀川の河川敷に出る。山のてっぺんにかろうじて雪が残っている。もう2、3日で消えるだろう。雪解け水のおかげだろうか。滔々と豊かに流れる川をながめる。W坂をのぼって、寺町台から本多町方面を眺める。

 

川沿いを片町まで戻って、香林坊、武蔵ヶ辻を通って帰宅。

 

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最後の天朝 上 毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮

 近年、ロシアや東欧諸国、中国、アメリカで公開されはじめた公文書を元に、1945年からの中国と北朝鮮の関係を掘り起こしていく。関係者の個人名や地名が詳細に記されていますが、その辺を適当に読み飛ばしても読み物として大変面白い。

 

なるほどと思ったのは、

  • 1920年から1940年ごろの中国の共産主義運動の中で、朝鮮の人々が重要な役割を果たしていたこと。日本の植民地の朝鮮から、中国へ多くの人が逃れて共産党に加わって党の幹部となっている。
  • 日本の敗戦後に、共産党中国東北部をめぐって国民党と戦っていく上でも、東北部に住む朝鮮人たちが共産党の根拠地を確立する手助けをしている。なにしろ、中国共産党は、日中戦争中は内陸部の延安に根拠地を構えていたため、東北部には全く手がかりがなかったのだ。また、ソ連の後ろ盾を得ていち早く北朝鮮に入った金日成が、物資の補給、軍隊の移動、休養に関して中国共産党にとってなくてはならない存在だった。
  • 朝鮮戦争、戦争後の復興においては、中国は大規模な義勇軍を投入した上に、経済的にもソ連を上回るくらいの身の丈以上の巨額の援助をしている。それにも関わらず、北朝鮮は中国よりもソ連の顔色を伺う。
  • ソ連は、アメリカと真正面から対立することを恐れて、国民党と戦う中国共産党へも、朝鮮戦争時の北朝鮮へも直接支援しない。一歩下がって側面支援にまわる。

 

米朝首脳会談を間近に控えて、朝鮮半島情勢の「そもそも」をおさらいするにはうってつけの本です。

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(上)

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(上)

 

 

お酒

お酒を飲むのを少し控えようと思っている。夜にお酒を飲まないとぐっすりと眠れるのだ。飲んで酔っ払うとすぐに横になって寝てしまうのだが、3時間くらいで目が覚めてしまう。眠りも浅い。また、日中はすぐに眠くなるし、心なしかいつも体がだるい。

 

今までは、そんなこと感じたことなかった。先週たまたま3日間、お酒を飲まなかったら体調が非常に良かったので気付いたのだ。お酒を飲まずにベッドに入ると、ほぼ朝までぐっすり眠れる。ここ何年も味わったことがない爽快感を目が覚めた時に味わうことができた。

 

ほぼ毎日ビール350ml缶を1本とお酒1合くらいを飲んでいた。お酒を飲まずにしっかりご飯を食べて、何なら食後にアイスクリームも食べて、食事をパッと切り上げると、夜の時間を有効に使える。

 

ぐっすり眠ることが楽しみになって来た。

負債論 その2

 著者は富の配分には3種類の方法があるという。

 

1つ目は、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。」という共産主義的な方法。いやいや、共産主義なんて今更ないやろと思ったが、よく考えてみると家族の中や、親しい友人同士、会社の組織内の小さな集団の中では、できる人が引き受けるというやり方はよく見受けられる。日々の業務では手の空いている人がチーム全体をみてカバーするというやり方ができないと仕事がうまく進まない。

 

2つ目は、身分や地位に応じて慣習として決めてしまうという方法。王様に毎年貢物をするなど。税金はこの範疇に該当するのだろう。

 

3つ目は互酬。物々交換やお金でものを買う方法。直接交換しなくても、この前はお隣さんから野菜を頂いたから、今回はお魚を持って行こう。というような貸し借りの関係もこれに含まれる。

 

イヌイットの社会では、他人にご馳走してもらってもお礼を言ってはいけないという話が本書の中にある。ご馳走する人は1つ目の、できる人がご馳走するのが当然という考え方でいるのに、お礼を言われるいうことは、ご馳走する人とされる人の関係が、2つ目の身分の違いや、3つ目の貸し借りの関係に変節してしまうので、それを避けるためだ。

 

何年か前に職場の仲間と韓国に行った時に、韓国のさる偉い方に晩御飯をご馳走になった。その時にも、ご本人にご馳走されたお礼を言ってはいけないと言われた。その時は何故なのか理由がよくわからなかったけれど、同じようなことなのだろう。

負債論 貨幣と暴力の5000年

負債論 貨幣と暴力の5000年

 

 

負債論 貨幣と暴力の5000年

 連休中にザクッと一通り読んだけれど、内容が盛りだくさんで受け止めきれていない。注釈や参考文献に目を通しながらもう一度じっくりと読みたい。

 

著者は人類学者。まず、経済学の教科書でよく出てくる貨幣の起源に関する物語をきっぱりと否定する。昔々、ある村に魚を持っていて米が欲しい人と、米を持っていて魚が欲しい人がいました。二人は出会って物々交換していましたが、もっと交換を便利にする為に貨幣を使うようになりましたとさ。という類の話だ。

 

そもそも、ミクロネシアの石のお金や中国の子安貝などの原始の貨幣は日用品のようなものを買う為に使われていたわけでない。結婚して妻を迎え入れたお礼として、あるいは、争い事で間違って人を殺してしまった場合の償いとして送るのだ。相手側の部族に迷惑をかけた補償として貨幣が送られるのだ。その貨幣が何か別の品物を買う為に使われることはない。人間がやり取りされる時に使われるだけだ。物を交換するときは、贈与またはツケ、つまり信用のやりとりで行なっていたという。

 

物の交換に貨幣が使われるようになるのは、国どうしの戦いが絶えず軍隊が幅を聞かせる時代。国は金属貨幣を鋳造し軍人への給料の支払いに使う。一方で国は税を金属貨幣で納めるように強制する。すると市中の農民、商工業者は、税金を納入するための貨幣を手に入れる為、軍人へ生活に必要なものを競って売りにくるようになる。こうして日常生活に貨幣が浸透する。また、戦争により捕虜となり奴隷となる兵士、女性、子供がたくさん出てくる。奴隷の価格を測る為にも貨幣が使われるようになる。

 

紀元前600年くらいまでが、信用取引の時代=金属貨幣があまり使われなかった時代。紀元前600年から600年ごろまで、ヨーロッパではギリシャ・ローマ文明の時代、中国では秦、漢、唐の時代。キリスト教イスラム教、仏教が生まれた時代は、戦乱が続き、貨幣が使われた時代。その後1400年の大航海時代まで、いわゆるヨーロッパの中世は貨幣の使用が下火になる。大航海時代から1971年のドルと金の兌換中止(ニクソンショック)までが再び金属貨幣の時代。そして今は貴金属による価値の裏付けがない不換紙幣=信用貨幣の時代なのだ。

 

これまでの歴史を通して、著者は国家による暴力、奴隷、金属貨幣の流通は常にセットで登場するという。物々交換を効率化する為に貨幣を発明したというのは経済学者が言いふらすおとぎ話にすぎないのだ。

負債論 貨幣と暴力の5000年

負債論 貨幣と暴力の5000年

 

 

鉄板イタリアン(寿がきや)

連休最終日のお昼ご飯。私はあまり食欲がなかったが、娘が何か美味しいものが食べたいというので、冷蔵庫に1食だけ残っていた、寿がきやの「鉄板イタリアン」を作った。玉ねぎとパプリカをスライスし、ソーセージと一緒にフライパンで炒める。そこに、茹で麺と水を入れて麺をほぐしながら混ぜる。麺がバラバラにほぐれたところでトマトソースを投入にしばらく炒める。最後にフライパンの周りから溶き卵を回し入れて、卵が大方固まったら完成。

 

少し脂っぽかったのか、私も1/3ほど分けてもらいました。トマトソースが焦げかけたところがうまいね。

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