大甚 16時30分

久しぶりの名古屋出張。早めに仕事が終わったので、迷うことなく伏見の大甚へ直行。16時過ぎに着いた時には既に店内は大賑わい。暑い中、名古屋の街を一日歩いて喉が渇いたので先ずは生中。つまみは、マカロニサラダと茄子の揚げ浸し。一息ついて周りを見回すと、前方には70過ぎのおじさん6人組が宴会。後方には、クソ暑いのに毛糸の帽子やらベレー帽被ってヒゲ生やした若者たち8人組の飲み会。私が座ったテーブルは、お一人様のおじさんが私も入れて3人と、男女二人連れ。まだ5時前だというのに沸いた沸いたの大騒ぎ。

 

サクッとビールを空けて、賀茂鶴の大徳利を燗でお願いする。つまみはマグロ刺身。ここの燗酒は樽の香りがして何度飲んでもうまい。最初からこれにしとけば良かった、と思うくらいうまい。

 

お勘定はいつものシャネルのメガネのお父さんでなくて女性の方がでっかいそろばんで計算してくれた。シャネルのお父さんは入口で声かけ役になった模様。

 

何度来てもここは居心地いい。

キャッチボール

浪人中の息子が、藪から棒にキャッチボールがしたいと言い出した。

 

「いいね。やろう、やろう。」と答えたものの、よく考えたらうちにはグローブもボールもない。私自身は、小学生の頃は学校が終わると友達と野球ばかりしたいたし、その頃はプロ野球も好きで見ていたが、中学生になってからは、野球をすることが全くなくなったし、テレビでナイターなんかを見ることもなくなった。息子が小学生の頃には、こちらから野球を教えるとかキャッチボールをやらせたことも一度もない。だから、息子は高校までは野球を全然知らなかったようで、バッターが打った後は、右側に走るのか、左側に走るのか私に聞いてきたことがあった。

 

そんな息子が、最近BS放送の野球中継をよく見ていると思ったら、少しルールがわかるようになって、野球に興味が出てきたのだそうだ。それで自分でもやりたくなったとのこと。

 

とりあえず、グローブと軟式ボールを買いにスポーツデポに行った。本格的なグローブは安くても1万円くらいからで、高いのは5万円くらいのもある。50過ぎのおじさんと、自宅でゴロゴロしている浪人生が暇つぶしにキャッチボールをするだけなので、そんな本格的なのはいらない。売り場をウロウロしていたら、3千円のお遊び用のグローブがあったのでそれを二つと、2個で699円の練習用軟式ボールを買った。

 

次の問題は家の近所に大人がキャッチボールできるような場所がないことだ。近所の公園では、子供ならまだしも大人が一生懸命キャッチボールを始めれば近隣の人に怒られそうだ。ご近所の手前、家の前の路上というわけにもいくまい。小学校のグランドも開いていないだろうし、浅野川の河川敷も狭い。

 

仕方がないので、車に乗って卯辰山のてっぺんにある運動場に行くことにした。あそこなら周りに民家はないし、夕方なら他の人もいないだろう。2人で準備をしていると、娘も学校でソフトボールをやっているところなので私も行きたいという。娘も連れて行くことにした。

 

娘が幼稚園の時に買った子供用のグローブをどこからか引っ張り出してきていた。運動場で3人で三角になってキャッチボールを始める。息子はぎこちないところもあるが、普通にボールを受けて投げることができる。娘はボールを投げるのは上手だが、ボールが怖いのか受け取る時に腰が引けている。ボールを受けるときは体の正面で両手で受け取るように、とか、ゴロは腰をしっかり落として受けるようにとか教えながら3人でボールを回す。娘はグローブだけひょいと差し出してボールを取ろうとするので、グローブを外して素手でボールを受け取る練習もやらしてみた。

 

すぐに飽きるかと思っていたが、やり始めると楽しい。1時間があっというまに過ぎて汗だくになった。私は木陰で休憩して、2人でキャッチボールをやっている姿を側で眺めていた。この歳になって息子と娘がキャッチボールする姿を見ることになるとは思わなかった。

 

これからも時々キャッチボールをやろう。次はバッティングセンターへ行くのもいいかもしれない。 

Curio

横安江町商店街にあるCurioは経営者が海外の方だからなのか、欧米からの旅行者が多い。一方では商店街のおじさん、おばさんもふらりと立ち寄ってコーヒーを飲んで行くので、店内は英語の会話と日本語の会話が飛び交う独特の雰囲気。カフェラテも美味しいけれど私はアメリカーノにすることが多い。アメリカーノを頼むと濃いのと薄いのどちらにしますかと聞かれる。いつも濃いのでと答える。そんなに苦くなくスッキリして飲みやすいコーヒーだ。アメリカ風の大きなカップで量もたっぷり出してくれる。カウンターのガラスケースには、クッキーやビスコッティー、パウンドケーキなどがある。ここのチョコチップクッキーは大きくて食べ応えがある。

 

コーヒーとクッキーを注文して、商店街に面した席に座る。通りを歩く人をぼんやりと眺めながらコーヒーを飲んだり、店内の賑やかな会話を感じながら書き物をするのが心地よい席だ。

 

休日は次々にお客さんが入ってきれ賑わっているので、長居は迷惑かと思い30分くらいで切り上げる。

ドトールコーヒー 19時30分

仕事帰りにドトールコーヒーに立ち寄る。ジャーマンドックとブレンドコーヒーのMサイズを頼む。奥にある丸くて大きなテーブルの左端に座る。このテーブルは大きくてしっかりしているのでノートや本を広げられるのが気に入っている。書き物をしたり、じっくり本を読みたい時にはありがたい。店内には、仕事帰りのサラリーマンと思しき男性が3人と女性2人。本を読んだり、教科書とノートを広げて何かの勉強をしたり、スマホをいじったり、それぞれが、それぞれのやり方で過ごしている。居酒屋のこれから飲むぞっというような解放感に溢れた感じではないが、仕事が終わってホッとして、落ち着いた時間が流れている。

 

ここのジャーマンドッグは210円。外側がパリッとしたパンにソーセージを挟んでからしを添えただけのシンプルなもの。シンプルだけどうまい。クッキーやらケーキは食べたくないけれど何かお腹にいいれたい時に食べる。

 

40分ほど書き物をして店を出た。  

 

 

仏教思想のゼロポイント(再読)

 目で見る、耳で聞く、鼻で匂う、舌で味わう、肌で感じる、頭で意識する。感覚器官から入ってくる刺激に対して、人は常に、快く感じる、不快に感じる。好きだと思う、嫌いだと思う。自分にとっていいことか悪いことなのか判断している。その判断をもとに、それぞれの物語を紡ぎ出す。そして、その物語を実体化して、思い通りになれば有頂天となり、思うようにならないと満足できずに苦しむ。一切皆苦の「苦」は肉体や精神の直接の苦しみというよりは、満足できずにもっともっとと求めてイライラすること=不満足だと著者は言う。

 

ブッダは感覚器官からの刺激や意識に浮かぶことに対して、いちいち良い悪いを判断するな、イメージを作るな、物語を作るな。と言う。そんな妄想が集まった束が自我だと言う。

 

悟りとは、常に意識することで妄想のクセを抜け出して、自我を脱却すること。ブッダが言ったことは大変シンプルだ。

 

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

 

イワン・イリッチの死

イワン・イリッチ はロシアの官吏として、そこそこの地位と収入を得て、そこそこ綺麗でそこそこの家柄の女性と結婚する。関心事は仕事での出世と快適な私生活。子供ができて家庭生活の面で奥さんとのゴタゴタが絶えなくなると、世間体を保つ上で最低限の役割を果たすだけだと割り切って奥さんや子供たちと付き合う。面倒なことが起こると仕事があるからと家から逃げ出す。そのくせ、地位が上がって収入が増えると新しい家を買い、自分好みの家に改装して舞踏会を開き、良き家庭であることを世間に自慢したりもする。

 

仕事でも、人間関係は職務上必要最小限な付き合いしかしない。そして、ドライに割り切った人間関係をうまくこなせることが、ひとつの能力であるとさえ思う。組織内での出世を第一として、上司の意向に沿うように行動する。

 

そんなイワン・イリッチが自宅の居間を自分で改装している時に梯子から落ちる。そして、その時の傷が元で不治の病に侵される。職場の同僚は一応心配してくれてお見舞いに来てくれるが、職場の同僚としての立場上、必要最小限の役割を果たしているに過ぎないし、あわよくばイワンのポストを我が物にしようという下心が見え隠れする。妻が具合はどうかと聞いてくる言葉も、妻という役割をこなしていく上でのセリフにしか聞こえない。診察する医者も病名などの専門用語をこねくり回すばかりで、病気が命に関わる重大なものなのか、快方に向かっているのかというイワンにとって一番大事な質問には言葉をはぐらかす。

 

死に向かっているという不安に苛まれながら、誰もこの不安を正面から受け止めてくれない、これまでの生き方が全て間違っていたのではという疑いに苦しめられながら衰弱していく。

 

イワン・イリッチは私だ。50歳を過ぎて死を意識するようになった人に。

 

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)