いなさで猪シチュー

仕事帰りに久しぶりにいなさに立ち寄る。白ワインとスープドポワゾン。ガスエビや小魚を煮て濾したのがのがスープドポワゾン。魚のエキスが凝縮されていて、魚だけれど豚骨スープのような濃厚な味。その後は、赤ワインに猪シチュー。シチューはマッシュポテトを皿に敷き詰めて、その上にシチューをのせる。男爵いものマッシュポテトは舌にまとわりつくようなもっちりとした食感。バターの香りが聞いていてシチューのソースを絡めると、にんまりしたくなる旨さ。

浮世に言い忘れたこと

三遊亭圓生の随筆集。昭和を代表する名人と称される落語家。
 
居間のテレビでYouYubeが見られるようになってから、暇を見つけては圓生の落語を見ている。「百川」、「盃の殿様」、「死神」あたりがお気に入り。ゲラゲラと笑う訳ではなく、しみじみと面白い。YouTubeで落語を聴こうとしてたまたま見つけたのがたまたま圓生だったというだけで、色々聴き比べたわけではない。でも、はにかみながらニコッと笑った時の表情が好きだ。出囃子が終わる瞬間と、座布団に座り終わる瞬間がいつも一致しているのが見ていて気持ちいい。噺の途中で湯飲みから茶を飲んだり、手ぬぐいで口元を拭う所作がいい。
 
この本は、圓生が自らの生い立ちや、芸人仲間のこと、食べ物のことなどを書き留めている。いたって真面目で地味だ。芸人らしい破天荒なところがない。真面目に稽古して芸を磨いて、自分で稼げるようになるべきだと文中で何度も言っている。本を読むのが好きだったらしく、電車の中ではいつも本を読んでいたらしい。また、休みがあれば映画やお酒に出かけるのでなく、お線香のいい香りが漂う座敷にこもって本を読んでいたいとも書いている。
 
1900年生まれで1979年に亡くなっている。5歳の頃から子供義太夫語りとして舞台に立ち、9歳で落語家に転身。江戸の頃からの落語家に直接教えを受けているので、江戸の雰囲気が肌感覚でわかる人だ。なにせ魚市場といえば日本橋。築地に移転して江戸の風情がなくなったと言うのだから。
 
そう思うと市場が豊洲に移って、築地の伝統が失われて残念などと言うのもどうだかなと思う。
浮世に言い忘れたこと (P+D BOOKS)

浮世に言い忘れたこと (P+D BOOKS)

 

 

失われた時を求めて(4) 花咲く乙女たちの影に

ノルマンディー地方の避暑地バルベックで過ごし一夏を600ページ以上にわたって詳細に語る。祖母と汽車でバルベックに向かって出発し、一晩かけて避暑地に到着し、ホテルに入る。ホテルの部屋に入った時の、部屋になじまない感じ、違和感、よそよそしさが、部屋に飛び込んでくる日差し、飾り棚に映り込む海の景色の描写にのせて詳細に綴られる。文章にして目の前に突きつけられると、あーそうそう、初めての部屋に住んだ時に、そんな風に感じる。でも、この作品を読まなければ意識することがなかった感覚だ。
 
何か大事件が起こるわけではない。せいぜいが、バルベックで仲良くなった少女、アルベルチーヌにキスをしようとして肘鉄を食らわされるくらいだ。しかし、読んでいるうちに自分の過去に向き合わずにいられなくなる。

 

反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

タレブの「反脆弱性」を読んだ。面白かった。「ブラックスワン」を横目で見ながらいつか読みたいと思っていたのだが、こんなことならもっと早くに読んでおくべきだった。
 
実世界では想定外大事件が起こる。どんな頻度で、どんな規模で発生するかは予想できない。我々にできることは、想定外の大事件によって、一発で崩壊したり、死んだりしないようにしておくこと。大事件で死んでしまう個人や組織は「脆い組織」。大事件が発生しても影響を受けないようなしっかりした組織を「頑健な組織」。大事件をきっかけに繁栄する組織が「反脆い組織」。
 
ガラスのコップはテーブルから落ちると壊れるので脆い。ステンレスのコップは壊れないので頑健。じゃあ、反脆いとは何。生命や組織、システムを想定している。個別の生命は、寿命が来れば死んでしまう、気候変動で絶滅するので脆いけれど、種の遺伝子に着目すると気候変動などの大事件にも、誰かが生き残り、変動後に繁栄するので反脆い。個別の中小企業は経済変動で倒産するので脆いけれど、中小企業が活発に活動する経済体制は反脆い。、中小企業がショックを吸収するとともに、多様な中小企業の中から変動後の経済を担う企業が生まれるのだ。大企業ばかり、あるいは計画経済だと、状況によってはうまく適合して繁栄することもあるが、経済環境が変わって適応できなくなくなる。
 
脆いのか、反脆いのかの違いは、環境の大きな変動が致命的な損失に繋がるのか、莫大な利益につながるのかの違いだ。固定利率で資金調達して、固定利率で貸す銀行ビジネスは、恐慌で企業が倒産すると共倒れになる脆いビジネス。一軒家を買って借金を抱えた家計は、自然災害に対して脆い。賃貸住宅に住んで借金のない家計は、自然災害で家がなくなっても、さっさと違う場所で生活を始めればいいので頑健。ベンチャー投資家は、多くのベンチャー企業に分散して投資して、そのうちの一つでも大化けすれば莫大な利益を手にすることができる反脆いビジネス。
 
生き残るための指針は、リスクの予測とか期待収益率ではない、未曾有の事件に対して脆いかどうかだ。頑健なシステムならなんとか生き延びられる。反脆いシステムなら、生き残ってさえいれば莫大な利益をもたらす大変動がそのうちに起こる。
 
自分の家計や、職場のこと、政府の状況を、脆い、頑健、反脆いで評価してみると面白い。

数学

来週には公立高校の入学試験だというのに、娘は相変わらず数学に苦労している。昨日塾へ送っていく車中では、数学の過去問をやっても50点以上にならない、学校から帰ってきて金沢情報を見てから勉強しようと思っていたのだけれど、急に悲しくなって机に座って泣いてしまったとボソボソ言っていた。相当に追い込まれているようだ。安易に慰めの言葉をかけたところで、鋭い娘のことだから反発されるだけだろうと意識しすぎて、「そうか、大変だね。」と他人ごとのような返事をしてしまった。


思い返してみれば、彼女は小学校4年生くらいから算数が苦手で、いつも補修クラスに入れさせられていた。そのうちにわかるようになるだろうと放置しておいたのがよくなかったのかと、そろばん教室に通わせておけばと、今更後悔してみても詮無い。きちっと考えようとする姿勢はある。でも、ちょっとわからない所に出会うと、そこから先へ屁理屈をこね回してでも進む力がない。結局はよくわかっていないということか。


今のところ、目覚ましい成果は現れていないけれど、彼女のこの1年間の勉強ぶりは大したものだと思う。なんとか苦手な数学と理科を克服しようと毎日コツコツと取り組んで、わからないところは学校や塾の先生にもうんざりされるくらい粘り強く質問していた。支払った月謝のもとは十分に取ったと思う。


残り1週間。心穏やかに受験できるように見守っていたい。それしか出来ないのだが。

甘栗

日曜日に義父の誕生日プレゼントを買いに、妻と駅前のモンベルに行った帰り道、別院通りを歩いていると、「甘栗 金澤堂」という看板を見つけた。ガラス越しに中を覗くと、入口脇に甘栗を煎る釜が置いてある。その右手がショーケースになっている。観光客と思しきリュックサックを担いだ男女二人連れが、お店の人と話しながらお金を払っている。香ばしい香りがしてくるので、中に入ってみようかどうか迷っていたところ、「今ひとつ剥きますから食べて行ってください。」と中から声をかけられ、思わず入ってしまう。


ショーケースには「小、750円」、「中、1400円」、「大、2100円」の3種類の紙袋が並んでいる。その横には贈答用の箱を唐草模様の風呂敷で包んだ物がいくつか並んでいる。


店主の方だろう、私と同年代の50歳前後の男性が栗を向きながら色々と話を聞かせてくれた。富山県高岡市で春日堂という甘栗屋さんを35年前から続けていて、2月1日から金沢に出店したそうだ。甘栗だけで商売になるのかいな、と思いながらお話を聞く。実は手土産に甘栗を使う人が年配の人に多いらしい。昔はデパートの食品売り場で煎りたての甘栗を売っていたのだが、今はどこも止めてしまったそうで、金沢の甘栗好きは通信販売かスーパーで売っているので我慢していたらしい。富山のお店はそんな甘栗マニアの受け皿となっていて、金沢からもわざわざ買いに来るお客さんがたくさんいたそうだ。それもあって、金沢に出店したとのこと。2月1日にオープンして、まずはPRを兼ねてご近所に煎りたての甘栗を配ったそうだ。そのおかげか、順調にお客さんも増えていて、朝に煎った甘栗を余らせたことがない。リピーターも多く、2、3日前に小松からタクシーを飛ばしてやって来て、1万円分買っていったおじいさんがいたそうだ。


剥いてもらった甘栗はたしかにほんのりと甘くて後味すっきり。何個でも食べたくなる味だ。艶を出すために水飴をかけながら煎るのでので、ピカピカとして見た目も食慾をそそる。


宵越しの甘栗は売らないのがモットーで、朝に煎った甘栗はその日に売り切ってしまい翌日には持ち越さないと、何度も話されていた。


物は試しと、「中、1400円」を買って、家でお茶のお供に食べてみた。煎りたてだからだろう、まずは皮が剥きやすい。爪を立てるとパキッと音がして切れ目が入る。割れ目を挟むように両脇がら抑えると、パカっと皮が開いく。ちょっと力を入れすぎて、一つ目は実が半分に割れてしまう。身を掘り出すようにして食べる。ふたつ目は手加減してたので少し渋皮は残ったものの壊れることなく実を取り出すことができた。うまい。3つ目はきれいにポロリと剥くことができて、そのまま口に放り込む。


お店の人は甘栗は3粒目が1番うまいと言ってた。口も甘栗に慣れてくるし皮を剥くのも3粒目くらいには上手になるので、たしかに3粒目が1番うまい、ような気がした。


そう言えば、お盆や正月など一族が集まる機会があると母は必ずスーパーで甘栗を買っていた。今度実家に行く時には手土産にしてみよう。

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ぶらぶらと。

午後の仕事を休んで自転車で香林坊に行く。昼ご飯をせせらぎ通りのアシルワードで食べる。カレーが2種類でナンとサフランライスが付いたアシルワードセットを注文、カレーはチキンカレーとダルカレー。右隣は3、40代の男性2人連れ。ネパールのカレーラーメンのような料理を食べている。職場の先輩がもう1人に付け合わせの香辛料の使い方を教えている。2人が食事を終えて立ち去ったと思ったら、すぐに左隣のテーブルに大学生3人組がやってきた。3人でバイトの話をしていた。あそこの塾講師の仕事は報告書の作成が楽でいいとか、コンビニのバイトが忙しくて大変だとか。うちの息子も塾講師のバイトを始めると言っていたので話の内容が気になって、一心不乱にカレーを食べているようなふりをしながらも耳は彼らの会話に釘付け。授業の準備時間も勤務時間に参入できるとか、本当は車でバイト先まで行ったとしても、バスと電車で行くことにして交通費を多めにもらうとか、なかなか具体的で参考になる。間にコンビニバイトやコンサートのスタッフのバイト談義も織り交ぜる。うちの息子もこんな会話を東京でしているのかと思うと、彼らが愛おしくなりカレー代をおごってあげたくなったが、変なおじさんと思われるだけなような気がして思い留まる。


食後は東急ハンズで、ゼブラのサラサドライという水性ボールペンの0.5ミリの太さの替え芯を2本買い、うつのみやで本を物色。その後尾山神社近くのブランケットカフェで、カラメル味のビスコッティを齧りながらコーヒーをすする。コーヒーのお供は、プルーストの「失われた時を求めて」の第4巻。劇的なストーリーが展開するわけでもなく淡々とリゾート地でのひと夏の情景が展開していく。面白くないけれど、情景描写や心理描写の解像度の高さには唸らせられる。ブランケットカフェは次々と入れ替わり立ち替わりお客さんが入ってきて、活気があっていい雰囲気。お店のご主人と常連さんらしいお客との気さくな会話が場をなごます。日差しが暖かくて自転車に乗っていても気持ちがいい。玉川図書館に移動して数学と仏教、家事、ラテンアメリカ文学、経済学の書架をチェック。ノーベル経済学賞を受賞したジャンテロールの「良き社会のための経済学」を借りる。


昨日の飲み会のダメージで食欲が無かったが、アシルワードのスパイシーなカレーのお陰で胃袋の目が覚めた。もたれた感覚が薄らいで食欲が復活した。宿酔いには、汁物とか麺類がいいと思っていたが、スパイシーなカレーもなかなかなもの。胃がシャキッとするわ。

哲学JAM

先月から始まった石引パブリックの「哲学JAM」の2回目に参加してきた。哲学者の仲正昌樹さんが10回シリーズで現代社会について語る会だ。今回のテーマは、「独裁」は悪か 〜なぜ今、世界に独裁者が誕生しているのか
 
厳密に考えてみると、何が独裁なのか、定義が意外に難しいという問題提起があった。独裁者が一人で全てを決めることと独裁を定義する。そうすると、独裁者といえども、権力基盤や支持者がいるはずで、彼らの意向を無視して自分の一存でなんでも決められるわけではない、支持者の意向に合うように意思決定するはず。それを独裁と言えるのか。トランプ大統領金正恩も支持者なり軍の意を忖度して政策を決めている。それが独裁なのか?
 
次に、そもそも独裁は悪いことなのか。民主制が必ずしも良い政治になるとは限らない。民主制の下でアホな意思決定が行われることは古今東西を問わず明らか。プラトンも政治的な資質に優れた哲人が統治すべきと言っている。
 
民主制は意思決定に手間がかかる。なかなか決められない。近年は世界的に民主制を否定するような動きが続いているのも、その決められない政治に人々がうんざりしているから。誰かきちっとした立派な人に決めてもらいたい、哲人による統治を求める機運が高まっている。独裁につながる可能性が高まっているのだ。
 
では、どうすべきなのか。熟議だ。議論の参加者がそれぞれの政策の根拠を明らかにして、根っこの部分から合意を取りながら議論していくのだ。根っこの部分の合意といっても、価値観を共有できなければ熟議も成立しないのではと思いながら聞いていたら、質疑応答で同じような質問をしている人がいた。仲正さんの回答は、熟議を唱えたハーバーマスロールズも理想形としては述べているので簡単に実現するとは思っていなかったのではないかとのこと。熟議によって全員の合意を得るのは非常にコスト(時間)がかかるし実質的には不可能。価値観を共有できるある程度の範囲に対象を絞り込まなければならないだろう、とも。
 
仲正さんに質問しておけば良かったと思うのは、なぜ今、世界中いたるところで民主制がうまくいかなくなり独裁に傾きつつあるのかということ。東西冷戦の終結により、西側民主制国家の共通の敵が無くなってしまい、宗教や民族の対立が露わになったためじゃないかと思うのだが。
 
議論のポイントがたくさんあって、よく整理できないでいるのだが、たくさんの人が同じテーマで考える場に参加できて面白かった。一人で本を読んでいるだけでは得られない刺激だった。

MLEANA

スリランカから結婚の記念として送られてきた紅茶がおいしい。香りがしっかりしていて、味は妙な渋みや苦味がなくスッキリしている。「この紅茶うまい。」と思いがけずつぶやいてしまったくらいおいしい。現地仕様だからなのか、パッケージは地味目で、ティーバックも雑だけどおいしい。パッケージを見ると「MLESNA」と書いてある。
 
ネットで調べてみると日本でも売っているようなので、どこかで探して飲んみよう。

プリン

プリンを作ってみた。参考にしたレシピはこちら。
 
まずは、カラメルソースを作る。鍋に砂糖50グラムを入れ、ほんの少しの水を加えて火にかける。砂糖が溶けてブクブクと泡が立つ。しばらくすると鍋の縁が茶色に変化する。茶色が全体に広がり色が濃くなっていく。全体が焦げ茶色になったところで火からおろして、これ以上砂糖が焦げるのを防ぐために大さじ2杯のお湯を加える。ドロドロの状態の時にプリンの入れ物に流し込んでおく。
 
次に牛乳と砂糖、バニラビーンズを鍋に入れ火にかける。70度くらいまで温めて火からおろして冷ます。ボウルに全卵3個、卵黄1個を入れと解きほぐす。そこに冷ました牛乳を入れてかき混ぜる。均一に混ざったらざるで漉す。漉すと舌触りが滑らかになるそうだ。表面に泡が浮いていたらお玉ですくって取り除いておく。これも舌触りを良くするためだ。
 
卵液をカラメルソースを入れた入れ物に入れ、その入れ物をお湯を張ったバットに並べて、140度のオーブンに入れ45分火を入れる。後は冷まして、半日くらい冷蔵庫に入れて出来上がり。
 
滑らかな口当たり、ほどよい甘さで卵の優しい味が活きている。材料は卵と砂糖と牛乳だけだし、手間もそんなにかからないので、気が向いたらすぐに作れるのがいい。
 
今回使ったバニラビーンズは、アメリカで働いていた時に、同僚のタヒチ出身の中国系フランス人の女性にもらったもの。グラニュー糖を詰めた瓶に埋め込んであったものを使った。20年もの。ちゃんとバニラに香りがしたしお腹も痛くならなかった。タヒチはバニラビーンズが特産らしくて、彼女が里帰りするたびに買ってきてもらったのだ。

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